「とりかへばや、男と女」

「とりかへばや、男と女」(河合隼雄/新潮文庫) *再読

→いったい男ってなんだろう、女ってなんだろう、という文脈で三度目の読書。
異常な性癖を告白するようだが、「男装する姫君」や「男装の麗人」が好きでたまらない。
現代日本語では「ボクっ娘」って言うんだっけ?
男と男の友情に見えて、じつはいっぽうの正体は女性で……とか来るねえ。
男女の性愛に見えて、じつのところ女と女の関係だったとかもいい。
「とりかへばや」では――。

「外見は男女と見えつつ実は女と女の関係とか、
外見は男と男と見えつつ実は男と女との関係とかの場面が
美的に語られるのである」(P116)


中学、高校のころはボーイッシュな女の子が好きだったなあ。むかしの話。
いまは男も女も人間すべて、自分さえもあまり好きになれないところがあるけれど。
いや、最近ちょっと変化したのだったか。
アニマとかアニムスとかそういう死語(ユング用語)は抜きにしても、
事実として男のなかには女が、女のなかには男がいると思う。
むかし匿名掲示板でネカマをやったことがあるけれど、女にもばれなかったもん、あはっ。
たぶん女よりも女々しい女が腐ったような性格だからだろう。
驚くべきことに、そのネカマキャラに惹かれた女の子と会ったりしたこともあった。
反対もやられたこともある。
メールやコメント欄で男と自称していたのに、いざ会ってみたら女だったとか。
こんなことを3回も人生で経験しているのって絶対おれだけだと思う。
そのうち1回は中国の長春での出会いだったのだから、めちゃくちゃな人生だなあ。
このためか性別ってなんなんだろうと思う。

本書は「とりかへばや」というマイナーな古典物語を河合隼雄が紹介したもの。
明恵といい「とりかへばや」といい、どちらも河合隼雄が世に出したようなものだから、
氏は本当に個性的な人物だったのだろう。
本書でも冒頭で「とりかへばや」を評価している権力者を徹底的にヨイショして、
「とりかへばや」および本書の価値を上昇させている。
その世渡りの手腕こそ氏の天与の才能の最大のものであったのかもしれない。
「とりかへばや」は「男装の姫君」の話で、
男として育てられ世に出た姫君が女となり母になる物語である。
とにかく、河合隼雄の語り口がうまいのでストーリーに引きこまれた。
実際に「とりかへばや」を読んだらおそらくそれほどおもしろくはないのだろう。
偉大な氏と自分を同列に置くようで恐縮だが、わたしなんかもむかしよく言われた。
ブログ記事を読んでその本を読んだら大しておもしろくなかった。
わたしのつたない読書感想文のほうがよほどおもしろかったと。
お世辞だろうと思っているが、あんがい本当のことかもしれない。

ぶっちゃけ、このブログで書評をしようなんざまったく思っていない。
本を書いた他人のことなんてある意味ではどうでもいい。
重要なことは、それを読んだ自分がどう思ったかである。
河合隼雄もおそらく明恵や「とりかへばや」を借りて、自分を出したかったのだろう。
氏は自分のあたまで考えるおもしろさをよく知っていた。
可能ならば、それは困難な道だが、他人にも自分のあたまで考えてほしいと思っていた。
自分のあたまで考えよう。

「筆者は心理療法家という職業のため、
当人にとってまったく責任のない苦悩を背負っている方にお会いすることが多い。
なかには、その「責任」を無理矢理他人に押しつけて、
恨んだり嘆いたりする人もあるし、
やたらと「みんな私が悪い」と責任をかぶりたがる人もあるが、
そんなことでは何も話が発展しない。
運命と呼ぶかどうかは別として、自分のおかれたその状況と正面から取り組んで、
自分に課せられた運命の意味を見出してゆこうとすると、
不思議に状況が変わってくるのである。
そして、問題が解決する頃には、最初は恨んでいた運命に対して、
その意味がわかったと言われることが多い」(P218)


他人のための書評なんてさらさらする気はないので、自分のことを書く。
いまどうやら人生の小さな転換期のようなのである。
周囲の変化が大きいし、自分もそろそろ重い腰を上げる時期が来たのかとも思う。
とはいえ、人生の目的のようなものはない。
目的を決めて、それに向けて努力するとか、もういいおっさんだからノーノーうんざり。
河合隼雄も目的重視の人生への違和感を本書に記している。

「西洋人にとって、人生の目的とは何か、いかにしてそれに到達してゆくのか、
という問題を考え、論理的に構築した筋道に従って、
それを明確に伝えることが大切であるとすれば、
日本人にとっては、人生の目的は自明のことで――つまり来世における成仏――、
どちらにしろ、この世の人生はそれまでの過程――つまり道行――
なのだから、過程そのものを楽しもうという考えも強くなるのであろう。
『曾根崎心中』にしても、その目的は大したことではなく、
そこに到る道行を鑑賞することが大切なのである」(P201)


人生を決めるのはほんのちょっとした偶然である。
いったい偶然をどうあつかったらいいのだろうか。
瞬間の偶然で人生が決定してしまうのならば、偶然をどう見るべきか。
思うに、日本でいちばん偶然のすごさ怖さを知っていたのが河合隼雄で、
もっとも偶然に対する畏怖を持っていたのもまた氏であったのではないか。

「人間がまったくの偶然と思っていることでも、
よく見ていると偶然とも言い難いことがある。
たとえば、図6に示したような三点、ABCがあるとすると、
これは別に何ということもない三角形である。
ここで、こんなのは何のこともない偶然にできた三角形さ、と思う人と、
正三角形が少し変形している―→正三角形のはずだと思いこむ人がいる。
前者の人は偶然を偶然のままに棄ててしまう人である。
後者は偶然に何かを読みとろうと焦りすぎる人である。
ところが、続いて点Dが見えてくる。
ABCを正三角形と見る人は、Dの存在を無視するであろう。
しかし、ABCDを二等辺の台形と思い込む人もあるかも知れぬ。
その人は、続いて点EFGが出てくると、うるさいと感じるかもしれない。
しかしA……Gの点を全体として眺める人は、それが同一円周上にあることに気づき、
次は、Hあたりに点があらわれないかなと予想してみたりもできるのである。
全体の構図を見出すためには焦ってはならない。
継時的に起こる事象をすぐに因果的に結合させようとせず、
暫(しばら)く待ちながら、全体をぼんやり眺めていると、
隠されている構図が浮かびあがってくるのである」(P220)


ひとつひとつの偶然に大げさに一喜一憂してはいけないけれど、
さりとてささいな偶然を見落としてはならないのだろう。
河合隼雄いわく、全体を見るのが重要か。
最近、テレビのニュースどころかネットニュースさえも見なくなってしまった。
せめてヤフーニュースくらい毎日見るようにしたほうがいいのかもしれない。
毎日占いは4サイト閲覧していて、
おまえは女の子かよって話だが、かなり行動の指針にしているのだが、テヘペロ。
ところで、こんな自分のためだけに書いた文章を最後までお読みくださった方がいるのか。
とはいえ、無報酬なのに他人のために文章を書くやつは絶対にインチキ。
あなたがいまこの文章を読んだことも、ある偶然の一点なのだから、
それを踏まえて全体をぼんやり眺めてぜひぜひすばらしい一生を送ってくださいませ♪

COMMENT

東方不敗 URL @
02/22 22:42
紅茶入りのブランデーは最高. 「男装の麗人」で川島 芳子さんを思い出した。


男装っていいよね。
宝塚版銀河英雄伝説は最高だと思う。
Yonda? URL @
02/24 00:59
東方不敗さんへ. 

本当に親しくなるには雇用関係を離れるしかないのかもしれませんね。
お互い一緒に会社を辞めますか?
なーんちゃって、うふふん♪








 

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