「エゴイスト入門」

「エゴイスト入門」(中島義道/新潮文庫)

→哲学者の中島義道の一般向けエッセイを読む。
ろくな大学教育を受けていないから(授業中は寝ていた)これは間違いだろうが、
哲学とはたぶん自分のあたまで考えたことを自分独自の言葉で語ることなのだと思う。
なんだ、そんなこと、みんな当たり前のようにしているじゃないか
と言われるかもしれないが、本当に自分のあたまで考え尽くしたことを
自分独自の言葉で語ることほど難しいことはない。
わたしも含めてほとんどの人が他人(あるいは多数派)の考えたことを
さもあたかも自分の言葉のように偽装して語っているに過ぎない。
考えるためには疑うちからが強くなければならない。
しかし、この世の中のことはいったん疑い始めると、
蜃気楼(しんきろう)のようなものだと気づいてしまい強烈な不安に襲われる。

このため、人は新聞やテレビにすがりつく。
新聞がなぜ「正しい」かと言えば、大学教授や有名作家が寄稿しているからである。
ひっくり返せば、大学教授や有名作家の偉さ「正しさ」もまた新聞が保証している。
先日、朝日新聞記者と朝日賞脚本家の対談を拝聴する機会に恵まれたが、
この構図こそまさに権威なるものを象徴(具体化)していると感激したものだ。
どうして新聞に書いてあることは「正しい」んだろうと疑うのが考えるということだ。
どうして大企業のトップの言葉は「正しい」のかと疑うのが考えるということだ。
東京大学教授の言葉が「正しい」ことになっているのは、
いったいどういう仕組みのためか。
こういうことを考え(疑い)始めてしまうと世界観が崩壊してしまうはずである。
「犯罪者は悪い」という社会の常識通りの言葉を発していたら安心だ。
村八分に遭うようなこともない。
文系の研究は「他人の言葉」(偉い人の言葉)をうまく接着融合させることだろう。
偉人の引用や参照をしつこく繰り返し礼儀を守ったうえで、
ところどころに自分の考えらしきものを挿入するのが研究論文なのだと思う。

中島義道は朝日新聞に寄稿を依頼されたという。
経済学者が女子高生のスカートの中を手鏡で覗いた事件についてだ。
そこで中島は覗きはたしかに違法だが、人間としては正常だという文を書いた。
これはもっともな話で性的趣味は人それぞれだが、
女子高生のスカートの中を覗きたいという欲望は男性多数派が共有するもの。
ならば、異常ではなく正常な感覚である。
ただし違法であることを知っているから処罰を恐れてみなしないだけだ。
この延長で中島は強姦もまた違法だが、異常な行動ではないと本書に書いている。
さて、話を朝日新聞に戻すと、
スカートの中を覗き見するのは人間として正常な行為、
と書いた記事はボツになったという。
「善良な市民の代表」たる朝日新聞にそういう記事は掲載できない。
中島義道はべつに「言論の自由」などをふりかざして怒るわけではない。
新聞とはそういうものだと自分の言葉で新聞を定義するのみだ。

「新聞の社会的役割とは、決してナマの真理を伝えるものではない。
さまざまな事象を取捨選択して、みずからの信ずる価値や理念の実現を目指すこと、
その理念に反する事実は、断固排除することである」(P18)


とはいえ、中島義道の言葉が絶対的に「正しい」わけではない。
ただ中島は自分で考えたことを自分の言葉で語っているからおもしろいのである。
わたしの考えでは、スカートの中を覗き見る男は正常だが、
強姦をする男は異常に思えてならない。
中島義道はみんなが自分のようにレイプ願望が強いと思っているのだろうか。
「正しい」の類似語は「多数派」だから、これは統計を取ってみるしかないが、
しかしいくら無記名のアンケートでも「強姦したい」と答えられる人は少ないだろうから、
結局のところ真理(真実)がどうなっているのかはわからない。

自分のあたまで考えたことを自分の言葉で語るのが哲学ではないか、と書いた。
これはわたしが中島義道や河合隼雄から教わったことだ。
自分のあたまで考え、自分の言葉でそれを語るのがどれほどおもしろいか。
とはいえ、言葉の持ついかがわしさにも中島義道は言及する。
絶対的真理のひとつとして「他人の痛みはわからない」ということがある。
しかし、「痛い」という言葉が発明され共有されてしまった。
ある身体現象を「痛い」という言葉で表現するというルールができてしまった。
このため、人はあたかも他人の痛みがわかるような錯覚に襲われるのだと中島は言う。
それはたしかに中島の言う通りだが、そうでもないぞという気もしている。
人間にはその痛みをどのように痛いか細部にわたって表現するという、
言語能力に恵まれたものが少数ながら存在するのではないか。
さらに言葉を介さない感情交流というのもまた存在するような気がしてならない。
このあたりを専門にやっていたのが臨床心理学者の河合隼雄だったのだろう。

偶然に尋常ではない興味を持っている。
なぜなら、人生を決めるものの正体はあるいは偶然ではないかと疑っているからだ。
本書に偶然に対する中島義道のおもしろい考えが書かれていた。
人は偶然に遭遇したときに運命や神秘的なものを感じることが多い。
だが、偶然は人工的につくることもできないことはない。
たとえばAさんが海外で偶然に知り合いのB子さんに逢ったとする。
これはAさんにとっては偶然である。
しかし、B子さんがAさんがどこにいるかを知っていて逢いに行ったのなら、
Aさんとの出逢いはB子さんにとっては偶然ではなく計画的である。
この後、AさんとB子さんが結婚したとしたら、
AさんはB子さんのワナにはまったことになる。
意外とこういう偶然のワナを用いて
意中の男性を捕獲した女性って多いんじゃないかなあ。
待ち伏せしていたのに偶然を装って運命の女神のするような化粧を出逢いに塗りつける。
これはうまく使えば人生を好転させる裏ワザかもしれない。

人生すべてにおいて成功した中島義道さんの悪口も最後に書いておこう。
人の悪口っておもしろいもんね、にゃはっ。
中島義道はいわゆるクレーマー体質なのだろう。
ウィーンの日本料理屋で天ぷら定食を注文したら鶏のから揚げが出てきたらしい。
ものすごい剣幕で激怒する東大卒の哲学博士である。
恐れをなした店側は特別の魚料理を博士に提供する。
女性店長もクレーマー対策として「先生、先生」と中島に挨拶に来たという。
著書多数の権力者を怒らせたら怖いから、
女将は帰りぎわお土産に夜食のおにぎりまでベストセラー作家の中島に渡した。
このときの中島の感慨に吹き出してしまった。

「ならず者は[中島のこと]、旅先での思いがけない親切についほろりとする」(P85)

偉い大学の先生って世間のことをまるで知らないのだろうか。
この夜食のおにぎりは「親切」ではなく「クレーマー対策」もしくは「賄賂」でしょう?
めんどうくさい客が来たけれど、いろいろ言い触らされたら迷惑だなあ。
だから、ふつうの客にはしないサービスを中島義道にだけしたのである。
それは99%「親切」と呼べるものではない。
中島義道もあんがいわかっていたのだろうか?
ちゃんとウィーンの日本食レストラン「優月」と名前を書いて本書で宣伝しているのだから。
新聞に悪口を書かれたら終わりだから、
むかしはみな新聞記者にはサービスしたという(いまはどうか知りません)。
有名作家が旅先の旅館などで特別待遇を受けるのもおなじことである。
中島は本書で有名人は「天真爛漫」な人が多いと書いていたが、
特別なサービスや好意ばかり周囲から受けたらだれしも人が好くなろう。
中島義道さんの一般書はいろいろ発見があっておもしろい。
「正しい」のかどうかはわからないが、おもしろいことはわたしにとってはたしかである。

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