「桂川連理柵」

「桂川連理柵」(菅専助/土田衛:校注/新潮日本古典集成「浄瑠璃集」)

→「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」はそれなりに有名な作品らしい。
もしかしたら芝居の原形というのは人の噂話ではないだろうか?
学生なら部活やサークルの噂話がじつのところお芝居のもとになっている。
どこの部活やサークル、会社でもそう。もてる優秀な男というものがいるものである。
当然彼に嫉妬するものもいるが、当人は恵まれているゆえ性格もよくあまり気にしない。
もちろん、そういう部長クラスには正式な彼女がいるものだ。
そのうえ、彼を慕っている下級生や新入りの女子もかならずいるのである。
で、新入りは身体を使って優秀な男を誘惑するようなことを女の本能としてやらかす。
すぐに噂は広まり、サークルの仲間同士が集まると
あれはどうなったという話で盛り上がるわけである。
女はとにかくこの手の噂話が好きなようである。芸能人のゴシップとかもそう。

お半という14歳の美少女がこの芝居のヒロインである。
かなり注意して読んだつもりだが、彼女の身分がよくわからなかった。
たぶんこの呉服屋に養女待遇であずけられた娘なのだと思う。
いまお半は呉服屋主人の長右衛門および使用人一行と参詣の旅をしている。
長右衛門は38歳。一家の主人で妻がいて、遊郭には愛人までいる。
まあ成功者と言ってよいだろう。かなりの果報者なのは間違いない。
深夜、旅先で寝ている長右衛門の枕元にお半が近寄ってくる。
主人がどうしたのかと聞くと、少女は困っているという。
夜ごと使用人の長吉が寝ているお半の蒲団に入ってきていやらしいことをするのだという。
長吉はまだ20歳にもならぬ男だから、いまが性欲の盛りなのだろう。
お半は長右衛門に泣きつく。長吉のやつ、このごろは無茶をするようになって、
もう京都に戻る時期だからとさっきなんか最後までやられてしまう寸前だった。
まあ、こういうことを男に相談する女は無意識的にセックスアピールをしているのだろう。
14歳の少女でも女は媚態の作り方を知っているものである。
お半は長右衛門にお願いする。長吉が怖いからおなじ布団で寝かせてください。
さてさあ、長吉は寝床にお半がいないのでいぶかしむ。
今晩こそまだ男を知らないお半を女にしてやろうとの意気込みたっぷりである。
もしやと思って長右衛門の部屋に行くと小さなあえぎ声が聞こえるではないか。
長吉が障子の穴から部屋のなかを盗み見ると――。

「サアサアサアサア。存のほかなことをみしらした。
前髪の[まだ若い]おれを差し置き。よい年からげて[いいおっさんが]初物[処女]を。
賞翫(しょうがん)するやつもやつ。据膳(すえぜん)する悴(がき)も悴め。
ヘエエエエエエエ ヘエエエエエエエ ヘエエエエエエエ、
体が燃えて腹が立つわい。腹ばかりか何もかも立つわいやい」(P323)


かなりいいシーンではないかと思う。
自分がものにしたいと思っていた少女の初々しい身体を、
年配の主人が賞味しているところを盗み見たわけだから。
自分にはふくれっ面しかしてくれなかった生娘が、
身になにもまとわず嬉しそうにあんな恥ずかしい格好をしている。
まさに「体が燃えて腹が立つわい。腹ばかりか何もかも立つわいやい」だろう。

世の中には恵まれた人間がいるものである。
長右衛門は呉服屋に養子としてもらわれてきた男なのである。
しかし、隠居からの信頼も厚く後妻の子(腹違いの弟)よりもひいきされている。
金の管理もしているから、自由に使える金もかなりある。
遊郭にお気に入りがひとりいて、だいぶ入れ揚げているようだ。
にもかかわらず、しっかりものの妻もいて妻からは深く愛されている。
いまお半からも愛され初物の据膳を賞翫したところだ。
「不幸にな~れ、不幸にな~れ」と念を送りたくならないか?
われわれ(わたしのみ?)の期待通り長右衛門は落ちていくのである。
まず腹違いの弟の悪だくみからお殿様からあずかったたいせつな刀を紛失してしまう。
遊郭に百両使い込んだことがばれた。さらに義母の悪だくみで、
五十両を長右衛門が金庫からくすねたという濡れ衣を着せられた。
トドメはお半が妊娠してしまうのである。
すべてなんとかしようと思ったら対処できなくもないのだろうが、
長右衛門はこれまで恵まれてきたせいか人間の悪意に弱いのかもしれない。

いや、この芝居(事件)の主犯はお半なのかもしれない。
もしかしたら長吉を誘惑していたのはお半の無意識の色香だったのかもしれないわけだ。
男を振り回す14歳の少女とかぞくぞくするねえ。
この子は精神不安定だから、すぐに「死ぬ死ぬ」と言うのである。
身ごもってしまい、どうせ一生正妻の座にはつけないのだから死ぬしかない。
お半は長右衛門に書置きを残す。
自分は桂川に身を投げるので、どうか今後末永くご夫婦仲良しでいてください。
長右衛門は書置きを読む。
今日は仏壇に向かって念仏する義父の声がなぜかよく聞こえる。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
このとき長右衛門の死の物語が完成する。合点がいく。人生、わかったと思う。

「そなた[お半]が死んではなほもつて。生きていられぬ長右衛門。
一緒に死ぬるが親御へのいひわけ。アアいかさま因果はの車の輪。
十五六年以前。宮川町の芸子岸野にのぼり[うつつをぬかし]。
つまらぬことで桂川へ心中に出た所。さきへ岸野が身を投げたを。
見るよりふつと死におくれ。人の知らぬを幸ひにその場を逃れ。
今日まで生きのびたが。思へば最期の一念で。岸野はお半と生れ変り。
場所も変らぬ桂川へ。われを伴ふ死出の道連れ。
これこそ因果の罪滅ぼし。さうぢや。さうぢや」(P373)


こう物語ったあと長右衛門は桂川に向けて駆け出す。
はっきり言って、同情の余地もないというか、死ねというか、いや死ぬのだが。
長右衛門はもてたんだなあ。そして、こいつはひでえやつだ。
心中を約束したのに相手だけ死なせて知らんぷりするなんて最低の男ではないか。
またこういう男のほうがどうしてか女にはもてるのである。
まじめだけが取柄の誠実な努力家よりも遊び人のほうがどうしてかもてる。
閉幕直前で桂川に死体がふたつ上がったぞという噂話が広まる。
なんでもそれは男盛りの長右衛門とまだ14歳の少女でどうやら心中らしいぞ。
ざまあみやがれ。ざまあみろだ。あはは、あはは、どうだ見たか。
もしこの芝居が観客に受けたとすれば、絶対にこういう理由からだと思う。
あたまのなかではそこまで理解しなくても、
心の底のほうではざまあみやがれと喝采をあげているような気がするけれど、
違うのかなあ。間違えているのかなあ。

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