「遠い国から来た男」

2007年7月に放送された山田太一ドラマ「遠い国から来た男」が
有料放送ジェイコムで放送されたのでなんだかとても見たくなって再視聴する。
見ながら涙がとまらなかった。
調べてみたらうちのブログにストーリーをこと細かく記録していたのである。
にもかかわらず、ほとんど内容を覚えていなかった。
山田太一ドラマの特徴は、あまり記憶に残らないところにあるのかもしれない。
山田太一がテレビドラマに描くのは、
ほとんどが少しばかり高級(※底辺では断じてない!)なだけの庶民の日常である。
「なんにもない」庶民の7、80年の人生でわずかながらも
なにかあったと感じるような特別な時期を日常感覚を失わずにうまく描写する。
山田太一の描くのは源義経や赤穂浪士といった特別な人たちの物語ではない。
われわれ庶民のなんにもないささやかな日常におけるちょっとした波乱を丁寧に描く。
山田太一は小さな感動をたいせつにする作家と言ってもよいのだろう。
小さな感動に大きな価値を見出したのが山田太一ドラマである。
このため必然的に山田太一ドラマは記憶に残りにくい面があるのかもしれない。
記憶にあまり残らないというのは、山田太一作品の短所ではなく長所なのだが、
このあたりの価値判断は人それぞれだろう。
大きな物語はおおやけに記録されるが小さな物語はみんな忘れてしまう。
しかし、どうして小さな物語に価値がないと決めつけられようか?
圧倒的多数の人間が小さな喜怒哀楽を物語にしながら生きているのである。

2007年7月にこのドラマを見たときはそれほど感動しなかった。
しかし、2015年の1月に再視聴したら本当に涙がとまらないのである。
一昨日も昨日もさっきも一部を酒をのみながら見て女子供のようにわんわん泣いた。
このドラマはいいよなあ。そうとしか言えないところがある。
あらすじは7年半まえに異常なほど詳しく書いたから、ふたたびは書きたくない。
そういえば2007年7月にはあの人にも、
そうそうあの人にも人生で出逢っていなかったことに気づく。
まえのドラマ視聴感想はこうまとめられていた。
自分で書いたのにまったく覚えていなかった。
「20年あったらなんでもできる」と栗原小巻は言っていたが本当だろうか?
これからわたしの人生にドラマのようなことは起こるのだろうか?
結局は経験なのかもしれない。
その人の経験によっていかようにもドラマ、映画、芝居、小説の感想は変化する。
かといって、人は宿命的に経験を選べないところがあるのだから、
だとしたら絶対的な作品評価は存在しえないことになろう。
まったく、まったく、そうなのだと思う。
だとしたら、いまは理解できないが「遠い国から来た男」の、
こういうセリフのやりとりを理解できる日もいつか来るのだろうか。
それともこれはまったくのフィクションで嘘だからみなに感動を与えているのか。

津山雄作(仲代達矢)は岡野典子(栗原小巻)と47年ぶりに再会する。
津山雄作こそ「遠い国から来た男」である。
時代は日米安保で「日本はこのままでいいのかって思いが」満ちあふれていた。
中国やソ連が輝いていた時代だった。
そういう時代に商社マンの雄作と女子大生の典子は出逢い、恋に落ちた。
雄作は婚約者を日本に残し3年という約束でひとり南米の某国に会社のために行った。
南米の某国で、雄作は日本では冷めていたのに若い情熱に刺激され
反政府活動に加担することになる。独裁政権を倒すために武器の調達を手伝った。
結果、12年ものあいだ監獄に入れられることになった。
会社はおろか日本もなにもしてくれなかった。典子は同僚の男と結婚してしまった。
雄作は日本を捨てて47年、海外で生きてきた。
その雄作が日本に1週間限定で戻ってきて、
47年ぶりにいまは小学3年生の孫もいる典子と再会したのである。
ふたりの会話のやりとりがとてもよかった。
雄作と典子が出逢ったきっかけは偶然だった。
ある丸の内のビルの屋上で典子が歌をうたっていた。
その歌声を聞いた雄作は思ったという。
以下、雄作(仲代達矢)と典子(栗原小巻)の50年近いむかしを回想する会話だ。
屋上でモンゴルの歌をうたう典子のうしろすがたを見た雄作は――。

雄作「不思議なものを見たような、この世のものではないような」
典子「大げさ」
雄作「恋に落ちた」
典子「顔も見ないうちに?」
雄作「感動で息が詰まりそうだった」
典子「(からかうように)私、抜きでね」
雄作「「(真剣に)動けないで立っていた」
典子「気配で、私、その方を見た」
雄作「なんて美しい人だと思った」
典子「ううん。私こそ、なんて素敵な男の人だって思った」
雄作「いつもは女性に臆病なのに」
典子「フフ、本当かな?」
雄作「吸い寄せられるように、他の道がないように近づいて行った」


典子は日米安保反対のデモの帰りだった。
もし典子と出逢わなかったら雄作は南米で反政府活動などしなかっただろう。
しかし、人生は取り返しがつかない。
雄作は典子と出逢い恋に落ちた結果、典子と別々の人生を歩むことになった。
この偶然はなにがなんだかわからないが人を感動させるものがある。
いまわたしがこのドラマを見て思うのは、
もしかしたらいまでは否定されている社会主義のすばらしさだ。
資本主義は人を競争に追い込み、人それぞれを孤独の淵に追いやる。
社会主義はたしかに人を堕落させるのかもしれないが、
そこには人と人を連帯させるようなあたたかいものがあるのではないか。
日米安保反対と見知らぬ人と肩を組めたとき、その人は孤独を忘れることができただろう。
いまベトナム社会主義共和国の若い留学生と一緒にアルバイトとして
働いているせいか、社会主義にもよいところがふんだんにあるのではないかと思ってしまう。

「ドラマ・ファン掲示板」によると、
今月26日に渋谷のユーロスペースで映画上映と山田太一氏の
脚本講座的なトークイベントがあるとのこと。
26日はバイトのシフトを入れていたが、
人員過剰のため強制休みを言い渡された日ではないか。
どうせ暇だから行ってみようと思う。
渋谷はわたしにとって魔界である。その象徴がユーロスペース。
おおむかし一度行こうとしたのだけれど、結局行き着けなかったことがある。
当日は迷う時間を予定に入れて行動したい。
さっきセブンイレブンでチケットを買ってきたけれど整理番号は17。
収容人員は150人程度なのに、まったく売れていないのかもしれないなあ。
山本周五郎作家、小林秀雄賞作家、朝日賞作家の
山田太一氏の(いちおうのところ)脚本講座イベントなのに、ああ、もったいない。

(参考記事)
放送当時の「遠い国から来た男」の稚拙な感想文↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1236.html

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3989-85c96741