「傾城三度笠」

「傾城三度笠」(紀海音/土田衛:校注/新潮日本古典集成「浄瑠璃集」)

→作者の紀海音(きのかいおん)は近松門左衛門のライバルだったという。
人気を二分したとも言われているが、紀海音はすっかり忘れ去られてしまった。
どうして近松門左衛門が残って紀海音は消えてしまったのだろう。
「傾城三度笠(けいせいさんどがさ)」は近松の「冥途の飛脚」とおなじ題材を扱っている。
上演時期は判明しておらず「冥途の飛脚」の改作が「傾城三度笠」とも、
あるいはその反対とも言われている。
近松の「冥途の飛脚」が激情のほとばしりが感じられるいっぽうで、
「傾城三度笠」はウェルメイドというか、構成的にうまく仕上がっている。
変な業界用語を使うと近松門左衛門は箱書きをしないで書いていたような気がする。
反対に紀海音はきっちり箱(構成表)を事前に作ってから書く人だったのではないか。
山田太一(箱書き否定派)と倉本聰(箱書き肯定派)の相違のようなものかもしれない。

これもまたネットのどこにもあらすじ紹介がないので書いてみよう。
忠兵衛という飛脚(運送屋)の丁稚(でっち/見習い)が主人公。
忠兵衛は義母の姪(めい)であるおとらと結婚することになっていた。
ところが、忠兵衛の留守におとらが訪ねてくる。
じつは自分には新七という恋人がいるので婚約を解消させてほしいというのだ。
許してもらえないならば、自分と新七は心中するしかない。
そこまで言われたら仕方がないので義母は姪のわがままを許す。
怒ったのは忠兵衛である。おれのプライドをどうしてくれるんだ?
もう仲間みんなに結婚のことは言い触らしているから顔が丸つぶれだ。
しかし、本当のところ忠兵衛の怒りの理由はそうではなかった。
飛脚の忠兵衛は梅川という遊女に入れ揚げていたのである。
婚約者のおとらの持参金で梅川を身請けしようと計画していた。
ああ、計画が台なしだ。忠兵衛が激憤しているのにはほかの理由もあった。
自分の留守中の親友の利右衛門が梅川とねんごろになっていると聞いたからだ。
どうして自分の好きな梅川を親友は取ろうとするのか。
こうなればカネで勝負するしかないと忠兵衛は飛脚の預り金に手をつける。
大金を片手に梅川のもとに行くと、親友を誤解していたことを知る。
梅川が他の人に身請けされそうになっていたので、
それを防止するために親友は忠兵衛のためを思って梅川と一緒にいた。
忠兵衛はこのカネでおまえを身請けすると宣言して梅川を喜ばせる。
しかし、公務金横領がばれ、追手が迫っきている。
愛し合う忠兵衛と梅川はもう心中するしかないと思う。
ところが、親友が機転を利かせてくれ、ふたりはまんまと逃亡することに成功する。

ふたりはどこに逃げたのか? この設定が紀海音のうまさだろう。
おとらと新七の夫婦を覚えているだろうか。
おとらは本来は忠兵衛と結婚するはずだったが、
心中すると忠兵衛の義母を脅して恋する新七と結ばれた女である。
このおとらと新七が恩返しとして一度は心中を考えた忠兵衛と梅川をかくまうのだ。
このあたりの設計は近松よりもよほど構成がうまくできていると思う。
あるカップルが心中しないでむすばれると、
その結果としてべつのカップルが心中に追い込まれるという構成はうまい。
恩には恩で返すという庶民の義理人情の世界を上手に描いていると思う。
いまもむかしも学のない下層民は義理とか人情が好きなのだろう。
下手をすると当時は近松の「冥途の飛脚」よりも、
こちら「傾城三度笠」のほうが庶民には受けたのではないかとも思うくらいだ。
新七はお尋ね者のふたりをかくまっていることがばれ、
義理人情を重んじるかそれとも身の安全を優先するかで迷う。
結局、忘恩の徒にはなるまいと忠兵衛と梅川を逃がそうとする。
おりしも、追手が家にやってきたため、
女のためにカネをネコババした忠兵衛は逮捕される。

「傾城三度笠」の冒頭にこう書かれている。

「金と色との二道に 迷ふは人の世や深き」(P107)

「傾城三度笠」は俗にいう「犯罪の影に女あり」を地でゆく作品である。
会社のカネに手をつけたくなるほど女との色恋はいいものなのだろうか?
色恋がそれほどいいものだったから、
このために「傾城三度笠」や「冥途の飛脚」のような芝居ができたのか?
それともなんの刺激もない、
なんにもない退屈な繰り返しの日常を送る下層民は、
そういう烈しい色恋にあこがれを持っていたから芝居が提供されたのか?
いったい果たしてどちらが正しいのだろう。
はっきり言って、女なんかのために犯罪をして
警察に捕まるなんてバカじゃないかと思う。
いっぽうで常識なんて忘れてしまうほどの激烈な色恋を経験してみたいとも思う。

しかし、どうやら「傾城三度笠」の忠兵衛は色恋のためというよりも、
自分のプライドのために公金を横領した疑いが濃厚なのである。
親友にオキニのソープ嬢を取られるのは男の沽券にかかわる、
と思っていたふしがうかがわれる。
犯罪を犯すか迷うところの描写は以下である。

「利右衛門[親友]めが何ほどに はり合ひかけてきをるとも。
この金にて埒(らち)がつく[決着がつく]。
しかしこれまた分別どころ。人の物をかすめるからは わが首はないもの。
金にかへて一分を立てうか。イヤ無念をこらえて命を生きようか。
サアどうしようかかうしようか」(P120)


正反対のようなことを書くが、紀海音のほうが近松門左衛門よりもリアリストで
色恋の実際をわかっていたような気もして好ましく感じないこともないのである。
色恋とかってさ、相手のためというよりむしろ
自分の支配欲、自尊心が重大問題になっているのではないか?
男の場合、色恋は自分の所有物(女)を取る取られるという意識でするのではと。
歴史的には近松門左衛門と紀海音の闘いは、近松の大勝利に終わったわけだ。
ひとつわたしが思ったのは紀海音の言葉は近松に比べるとリズム感に乏しいこと。
言い換えたら、あまり声に出したくならない。
言葉として、あるいは音楽としての美しさで紀海音は近松に負けたのかもしれない。
たぶんあたまのよさでは紀海音に軍配が上がったではあろうけれども。

この記事はネット上で最初の「傾城三度笠」紹介記事だ。
善行とか大嫌いなので、わがボランティア精神の過剰にはわれながらあきれてしまう。
いや、義理人情にあふれるのが庶民。
「傾城三度笠」の世界のように、
いつかかならずやだれかが恩返ししてくれると信じている。

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