「風前の灯」

昭和49年放送の山田太一脚本「風前の灯」をジェイコムにて視聴する。
いまはなきTBSの東芝日曜劇場だから1時間ドラマ。
スポンサーが東芝だから、決して一般庶民をバカにする話を書けない枠。
(そもそもテレビとはそういう大衆支配の道具)
多数派の庶民、大衆、下層民にも生きがいがあるということを、
大企業の東芝やテレビ局の社員がテレビを使って教育するのが東芝日曜劇場だ。
本作「風前の灯」のテーマはお金こそいちばん大事だということ。
人間はみんな99%お金のために生きているおかしさをドラマは描いている。
みんながみんなひたすら求めているのはお金なのである。
お金いっぱい持っていそうだから姑(しゅうとめ)に逆らえない嫁がおかしい。
姑が好きなカマボコをめぐるやりとりがいちばんおもしろかった。
姑が朝食時にカマボコを食べたいと言ったら、
実際にはあるにもかかわらず台所をあずかる嫁がもうないと答えた。
そのくらいのことで恨みが発生するのが非常にリアルでおもしろい。

わたしはカマボコは嫌いではないが、好きでもないので世代間のギャップを強く感じる。
カマボコなんていう、まあぶっちゃけ、まずいもんで嫁姑が争った時代があったのか。
話は飛ぶけれど、おせち料理なんか絶対幻想で、
あんなものをうまいと思っている40歳以下は味覚がまずいないのではないかと思う。
山田太一ドラマの描く世界は、人生とはお金、お金、お金。
医療費も新聞代金もできたら払いたくない。
可能ならば強盗をしてでも、お金をほしい。
「がつがつしたくない」が、みんながつがつしている。
かつて刑務所に入っていたおじさんがある一家に来たことが物語の主軸だ。
おじさんは昨日、強盗殺人をしていた。
そのおじさんが、ドラマの終盤で逮捕されたとき、
みんながみんなお金のためにがつがつしている一家に言うのである。
「おれとおまえらは紙一重よ」
まったくそうだと思う。
みんながみんなお金のためにがつがつしていて、
究極的に金銭的に行き詰ったものが運悪く犯罪をしてしまうのだと思う。
殺人強盗犯のおじさんは最後に捕まるが、
そのちょっとまえだけ、ひとりの悪役の存在のおかげで、
いままでがつがつしていた一家が仲良くなる。
そしてそれぞれが嘆く。こういうふうに今日は仲良くしていても、
明日からはまたがつがつするなんてやりきれない。

しかし、それが生きるということだ。生活するということだ。
生きるとは東芝のテレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジを買うことだった時代があった。
いまわたしは東芝のパソコンを使っている。
ジェイコムの有料放送も、この東芝のパソコンで見ている。
テレビが不要になりパソコンが幅をきかせるようになった時代、
いったいどういう表現が多数派大衆からは求められているのか。
そもそも、みんなをいっしょくたにするようなテレビドラマは、
時代の流れに逆らっているのではないか。
そんなくだらないことを思った。
東芝製のパソコンで生まれる2年まえの東芝日曜劇場ドラマを有料放送で視聴して思った。
わたしひとりの思ったことが、
東芝製のパソコンを通じて、だれにも読まれていないのだろうが、
世界中のだれもが閲覧可能な記事になる。
山田太一ドラマ「風前の灯」が放送されてから40年になる。

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