「越南不眠惰眠旅三昧」

「越南(ベトナム)不眠惰眠旅三昧」(日比野宏/凱風社)

→日比野宏さんの本の大ファンなのだが、
このベトナム旅行記も深みのあるとてもいい本だった。
いま日本人がベトナムのことを知ろうと思ってどういう方法があるだろう。
インドや中国ほどベトナムは学問領域に入っていない。
インドや中国でさえ欧米志向の強い日本ではマイナーな分野だろう。
どうしたらベトナムのことを理解できるかと言っても方法がないわけだ。
ベトナム人と友人になれればいちばんいいのかもしれないが、ふたつ問題がある。
ベトナム人ならば、ベトナム人というだけで、ベトナムのことをよく知っているのか。
もうひとつのほうの問題は根本的で、
他人と友人関係になるのは神さまや仏さまの手を借りなければならぬほど難しい。
とくにわたしのようなコミュニケーション能力に障害があるカタワもんは。
だからこうして優秀な旅行作家が書いたベトナム見聞記を読むしかないわけである。

日本は戦後70年だが、ベトナムは戦後わずか約40年なのである。
そのうえ日本の戦争とベトナム戦争では格が違うとも言えなくはない。
日本が第二次大戦中に落とされた爆弾の数十倍の量を、
ベトナム北部はアメリカによって落とされたという説もあるらしい。
戦後70年だからか、日本人はお人好しなのである。他人を信じすぎる。
よくも悪くも危機意識があまりない。
まだ「地球の歩き方」も出ていない時期なのだから当たり前なのだが、
当時ベトナム人にだまされたりぼられたりした著者は、
「サイゴン、バカヤロウ」と本書に書いている。
これはわたしもまったくおなじでベトナム旅行中のブログ記事を読み返したら、
ベトナム人の悪口ばかり書いている。
いまはベトナムびいきのようなことを書いているが、
ベトナム人からされたことは親切3、意地悪7くらいのような記憶がある。
ベトナムは、タイ、カンボジア、中国とは毛色が異なるむしろインド寄りの国だろう。
しかし、あのひどい戦争を経験して
それほど時間が経っていないのだから当然とも言えよう。
著者もお書きになっている。

「他者への思いはさて置き、まずは自分中心に生きる――という風潮こそ、
サイゴンという街の厳しさや、ここに住む人間たちのしぶとさを表す証左ともいえる」(P92)


戦後70年で戦争を完全に忘れてしまった日本人は、
絆とか思いやりとか助け合いとか薄っぺらい言葉がお気に入りのようだが、
人間はみんな自分がいちばん大事なのではないか。
自分中心に生きてなにが悪いか?
こう言葉にしてみてわかったが、これはベトナムやインドの旅で思ったことだ。
ベトナムが明らかに日本に比べて活気があるのは、
みんなが「自分中心に生きる」という根っこのところを忘れていないからなのかもしれない。
明日、爆弾を落とされたら財産どころか命の保証さえないのである。
著者が旅先で知り合った戦争経験者の南部ベトナム人はこう言ったという。

「明日がどうころぶか、いまだって誰にもわからんだろ。
だから、いまを精一杯生きていくんだ。
食えるときは思う存分食い、楽しめるときは思いきり楽しんでしまうんだ」(P232)


べつに日本人批判をしたいわけでもなく、ベトナム居住のベトナム人よりも
日本人のほうがはるかにやさしいから日本人は好きなのだが、
日本人はいまを楽しむことを忘れて、あるかどうかわからない老後のために
寸暇を惜しんで労働ばかりしている人が多いような気がしなくもない。
それはそれで日本人のとてもよいところなのだが。
日本は――、日本人は――、と書いているが、みんないっしょくたにはできない。
はっきり言っておなじ日本人でも関西の人はわからないとか、
東京の人はドライで情がないから嫌いだとか、そういう意見もあるわけである。

むろんのこと、ベトナムでもそういう地域差はふんだんにあるらしい。
ベトナム人は――、なんていっしょくたにして語れる存在ではないのである。
ベトナムは南北に広がる国である。
北にあるのがベトナムの首都ハノイ(ベトナム戦争で勝った共産党サイド)。
南の中心地が旧サイゴンのホーチミン・シティ(戦争で負けた資本主義サイド)。
ベトナム戦争では南北でおなじ国の人が殺し合ったわけである。
日本以上に南北の差があるのは当たり前だ。
北ベトナムの人はベトナム戦争を「対米救国戦争」と呼んでいたそうだ。
なかには「アメリカ破壊戦争」と呼んでいた人もいた。
結局、社会主義サイドの北が資本主義サイドの南に勝ったのがベトナム戦争だ。

旅行中、著者についてくれた北ベトナム出身のガイドはこういう表現をしている。

「北も南も、同じベトナム人には変わりありません。
だけど、北の人間は勤勉で辛抱強いのですが、
南の人々は陽気で楽天的で、とても楽しい人たちです。
北の言葉はとても美しい発音ですが、南は抑揚があって元気です」(P132)


敵をつくらないうまい玉虫色の表現と言えよう。
本書によるかぎり、一般的に(戦争に勝った)北は南の人をどこかで見下しているようだ。
履歴書に南ベトナム出身であることを正直に書くと就職できない仕事もあるとのこと。
こういうのってリアルだよなあ。
ここまでベトナムに迫れた著者の人間パワーには感心する。
日本社会でも言葉にできない微妙な差別意識のようなものはあるけれど、
それをたとえばベトナム人留学生が理解するのは相当に難しいはずである。
いまベトナム人の若い子たちといっしょに時給850円で働いている。
男も女もベトナムの子は笑顔がすばらしいのである。
本書によると、ベトナムには以下のことわざがあるらしい。

「一つの微笑みは千の言葉にも値する」(P262)

ベトナム女子の笑顔にメロメロになる男もいるんだろうなあ。
著者もその口だったらしく、笑顔の裏に隠されたベトナム人女子のプライドの高さ、
自分勝手さにほんろうされたことを、
ひとりよがりにならない読書に耐えるレベルの楽しい読み物としてお書きになっている。
ベトナムの子の笑顔って本当は怖いんだなあ、ガクガクブルブル。

日比野宏さんの旅行作家としての才能のひとつは運のよさだと思う。
著者は5年ぶりにある家族に逢いたくなってベトナムに行ったという。
しかし、かつての住所にはその家族はいなかった。
にもかかわらず、著者はかならず逢えるという自信を持って行動するのである。

「……彼女たちの居所はまったくわからなかった。
だが、この地はベトナムである。
また、旅のさなかでは、なにがおきてもおかしくない。
夕食をすませたあと、なんらかの手がかりと偶然を願い、
小雨まじりのドンコイ通りを歩きまわった。
ボローダーというヨーロッパ調のレストランを通りすぎ、
ホテルに戻ろうとしたちょうどそのとき、
背後から「ヒロシ!」という声が聞こえた。ふり向くと、ぬれた路面の上で、
ウエートレス姿の次女バンが銀色のトレンチを片手に、
満面の笑みをたたえながら立っていた。
彼女は昨夜、べつの系列店で働いていたが、
今夜になって人手が足りずにこの店に派遣されたそうだ。
勤務時間が終わりに近づいたころ、窓側の客に呼ばれてふとガラス窓の外を見ると、
店先の小道を歩いていた私に気づいたという。
旅行中はとかくこの手のタイミングで偶然がよくおこるものだ」(P154)


これはまったくその通りで、旅行中は信じられないような偶然がよく起こる。
何度もおなじ人に逢ったり、
シンクロニシティの存在を確信するようなことがたびたび発生する。
きっと「旅のさなかでは、なにがおきてもおかしくない」
と無意識的に思っているからだろう。
いま日常ではなく非日常を生きていると思っているから、
そういう偶然も起こるのではないか。
だとしたら、旅ならぬ人生も「なにがおきてもおかしくない」という態度で生きたらどうだろう。
名著ゆえ、勝手に人生指南のようなものまで読み込んでしまった。
人生は旅とおなじで「なにがおきてもおかしくない」のかもしれない。
「明日がどうころぶか、いまだって誰にもわからんだろ」――。
日本は敗戦時、70年後にこうなっているとは思いもしなかっただろう。
ベトナムも戦争終了時にいまのベトナムを予想できたであろうか。
どうでもいいわたしの個人史を思い返しても、なにが起こるかなんてわかりはしない。

北朝鮮のことをバッシングしている報道を見かけることがある。
だがしかし、いまのベトナムは「勝利した北朝鮮」と言えなくもないのである。
東ドイツもソ連もつぶれたのに、ベトナムだけはうまくやっているのである。
もしかしたらベトナムは今後世界史上で重要な意味を持つ国家ではないか。
ベトナムやベトナム人はおもしろいのではないだろうか。
いまの日本の繁栄がベトナムのおかげという説もあるのである。
1955年生まれの著者はこう書いている。

「東京オリンピックが閉幕したあと、日本経済は不況を迎えた。
しばらくして、アメリカ兵が日本に姿を見せるようになると、
景気は再び上向きに転じた。さらにベトナム戦争が泥沼化すると、
「ベトナム特需」によって日本は高度成長経済に突入し、
その後の目覚しい発展を迎えるきっかけとなった」(P195)


そうしていま2015年、
ベトナムから語学留学生が6千人以上日本に来るようになっている。
その人たちといっしょにいまわたしは働いている。

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