「男と女」

「男と女」(渡辺淳一/講談社文庫)

→もうとっくに死んでいて大活躍した男根もあわれ灰になった情痴作家の名言集を読む。
ちょっと調べてみただけだが(だから間違いの可能性のほうが大きい)、
渡辺淳一さんって成功者のモデルともいうべき
破綻のない順調な人生をまっとうしたんだなあ。
みんなから尊敬されて、お金もふんだんにあって、女性からもモテモテで――。
いいなあと嫉妬するのでさえ恐れ入るレベルの高身分の御仁でいらした。
有名作家は最後まで言えなかっただろうけれど、
本当は成功者なんてつまらないんだろうなあ。
だって渡辺淳一が女からもてたのは、たまたま成功していたからでしょう?
渡辺淳一が警備員として震えるように寒い夜、
旗を振っていたとしてもひとりの女でさえ視線を向けることはなかっただろう。
存命時に渡辺淳一の下半身はたいそう活躍したそうだが、
それはこの作家が人間としてすぐれていたからではなく、
単に地位が高くて金をあふれるほど持っていたからに過ぎないのである。
エロ小説を書きながら、男性作家はどれほど女性というものに幻滅したことだろうか。
もし自分が時給千円もいかないアルバイトの身分でも、
「失楽園」の渡辺淳一は自分ならば女からモテモテになると信じていたのだろうか?
渡辺淳一がモテたのは、たまたま社会的に評価され金をたくさん持っていたから。
おなじおっさんがいい歳をしてアルバイトだったら、
だれも老女でさえも目を向けやしないことをたぶん人気情痴作家はよく知っていた。

渡辺淳一はいろいろ「本当のこと」に気がついていたとわたしは思う。
けっこう本物ではなかったのではないかと思う。
「真面目」「誠実」「人の良さ」がモテない男の三箇条だと指摘しているのがおもしろかった。
なんだかよくわからんが、わたしもむかし「真面目」で「誠実」で
「人の良さ」くらいしか売りがない人間だと
他人から思われていた時期があったような気がする。
いや、いまでもそうかもしれない。
わたしはどうしようもなく宿命のようなものとして「真面目」で「誠実」で、
「人の良さ」が顔にあふれているのかもしれない。
そんなのは大っ嫌いなのに。
まあ、モテない男はたいがい「真面目」っぽく「誠実」そうで「人の良さ」が感じられる。
すると、女からいいようにあしらわれてしまうのだろう。
若いころから地位(医者、直木賞作家)と金にものを言わせて、
しこたまいい女ばかり食い散らかしたグルメの渡辺淳一先生は指摘する。

「真面目で誠実で、人が良すぎるところが、別れの理由にならないとはかぎらない。
たしかに外から見た場合、それらは美徳のように見える。
だが現実に身近にいる者には、
真面目さの裏の退屈さに、誠実さの裏の融通のなさに、
人の良さの裏の迫力のなさに苛立(いらだ)ち、
それらが重なり合って嫌悪に変わらないとはいいきれない。
離れて見るときと、身近で見るときで、評価が変わるのは、よくあることである」(P43)


あまたの美女と快楽のかぎりを尽くした人気作家の渡辺淳一氏は、
「真面目」「誠実」「人の良さ」を鼻で笑いながら、
あえてそれらの反対のちょい悪を演じることによって絶倫人生をまっとうなされたのである。
おそらく日本で渡辺先生ほど性的快楽をむさぼり尽くした男のなかの男はいないだろう。
直木賞作家の渡辺淳一ほど美女を思うがままにおもちゃにした果報者はいないと思われる。
その性的快楽の帝王、医者で直木賞作家の最後に行き着いた性的嗜好は視姦であった。
視姦とは盗み見ることと言ってもよいだろう。
大ヒット小説「失楽園」から――。

「初めは、すべてを剥(は)ぎとられた女体を、
上から猛々(たけだけ)しく襲うつもりであったのが、
美しさに見惚れるうちに惜しくなり、なおしばらくこのまま眺めていたい。
若いときは、ひたすら奪うことしか知らなかったが、
年を経たいまはむしろ目で犯す悦(よろこ)びも深い。
まさに視姦とでもいうのか、
自ら月の光になり、白い女体へ浸透するように視線を這(は)わせる」(P205)


おいおい、先生さあ、なーんかモテない男のキモい妄想みたいじゃないか。
結局行き着いた先はそれかよと言うか。
視姦だったら直木賞作家でなくても、だれでも金がなくても顔が悪くてもできるのではないか。
さすがにだれかに見られていただけで警察に通報する女はいないだろうし、
さすがに正義の警察官もただ見ていただけの男を逮捕はできないだろう。
なーんだ、結局男と女って見ることと見られることなのかもしれないなあ。
男女それぞれ見ることでお互いのことをいろいろ想像(妄想)する。
男女それぞれ見られることでお互いのことをあれやこれや考えざるをえなくなる。
見ちゃえばいいという話なのかもしれない。
男は「真面目」ぶるな。「誠実」ぶるな。「人の良さ」そうな笑顔なんて捨てようぜ。
もちろん、人間は「顔、金、肩書」だから、
いくら「真面目」「誠実」「人の良さ」を捨てても異性のことは思うようにならないが、
しかしそれでも見ることなら可能ではないか。ちらちら見ることなら。
たとえ医師の国家資格がなくても直木賞作家でなくても、
人は人のことを見ることができるのではないだろうか。
たとえひと言も言葉を交わせなくてもちらりと盗み見ることならできるのではないか。
あーあ、変態みたいなことを書いちゃったよ、うえーん。

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