「ナイフの行方」

12月22、23日にNHKで放送された山田太一ドラマ「ナイフの行方」を視聴する。
金持の老人がナイフで無差別殺人をしようとしていた若年無職男性を更生させる話だ。
またまあ、よくわからないドラマを山田太一さんは書くもんだと思ったものである。
これはものすごくやばいドラマなのである。
このドラマに感動したとか言っている人は、本当にその意味をわかっているのか?
このドラマを放送してしまったNHKは、
倫理的な問題として袋叩きに遭ってもふしぎはないと思う。
しかし、山田太一というブランドのおかげで世間さまから叩かれないおかしなドラマだ。

このドラマの根本は無差別大量殺人をするような男は悪いのか、である。
新聞やテレビが大好きな無知蒙昧な9割の大衆(庶民)は、
殺人は悪いことで無差別殺人者は厳しく裁かれるべきだと思っているはずだ。
たとえば秋葉原通り魔事件の加藤智大氏は極悪人ということになっている。
さて、ドラマ「ナイフの行方」の今井翼のモデルのひとりは間違いなく秋葉原の加藤だろう。
わたしは殺人がよいのか悪いのかまだよくわかっていない未成熟な大人なので、
秋葉原通り魔事件の報道を見て、
すごい宿業を持った人が世の中にはおられるんだと思ったのみであった。
秋葉原の加藤くんだって、前日にでも事件決行1時間まえにでも
だれかがとめてくれていたら今井翼のように事件を起こさなかったわけでしょう?
秋葉原で殺された被害者もそう。
たまたまあの日にあの場所にいたから殺されてしまった。
不謹慎なことを書くと、わたしはあのとき秋葉原にいたかった。
正直、生きているのがいやだし、通り魔に殺されたり交通事故で死ぬのは理想。
自殺って面倒くさいし、周囲の人に一生ものの心の傷をつけてしまうわけだから。

ナイフで知らない人を刺そうとするのは絶対に悪いことなのか?
もし刺されたほうが死にたがっている人だったら、かえって善行をしたことにならないか?
どうして秋葉原通り魔事件の加藤智大は厳しく裁かれなければならないのか?
今井翼は加藤智大にほかならないのに、どうしてみんなからチヤホヤされるのか?
加藤智大も自分がどうして「それ」をしたのかよくわかっていないと思う。
今井翼は失恋物語をでっちあげていたけれども(あれは後付けの物語)、
本当にどうして自分がナイフで人を刺そうとしたのかは自分でもわからないと思う。
金持の松本幸四郎がどうしてあそこに居合わせて、
凶行を犯す寸前の今井翼をとめて逃がしたのかもだれにもわからない。
にもかかわらず加藤智大は裁かれ今井翼は人からやさしくされ美女までゲットする。
不平等じゃないか。不公平が過ぎやしないか?
このドラマに感動した人がいたならば、
その人はテレビニュースで殺人者の顔を見ても
裁くような態度を取ってはならないことになる。
このドラマを放送したNHKの責任も重い。
NHKのキャスターはニュースで殺人を報道したあとに善人ぶったコメントをするなよ。
あなたがまさにあなたがさみしい人にやさしくできなかったから、
その殺人は起こってしまったのかもしれないのだから。
だれかが松本幸四郎になっていたら、あの事件もこの事件も起きなかったのである。
ひっくり返せば、無数の殺人事件をとめた無名の松本幸四郎がいたことになる。
たまたま松本幸四郎に出逢わなかった不運な人が、
ナイフ事件を起こしてしまったのかもしれない。

いったいこの壮絶な差はなんなのだろうか?
どうして加藤智大は孤独なまま大量殺人をやらかしてしまったのか?
どうしておなじことをしようとした今井翼は温かい人に恵まれ美女から愛されるのか?
ブサイクでキモメンの加藤智大はなにゆえあそこまでかわいそうなのか?
7歳からひとりぼっちのイケメンの今井翼はどうしてあそこまで運がいいのか?
正直さあ、中卒無職の今井翼が女にもてるっておかしいよ。
いまでは有名大卒正社員の人でも孤独をこじらせていると聞くこともあるのに。

みんながみんなさみしいんだろうなあ。
みんな心のどこかで人になにかをしてあげられたらと思っている。
人との交流を持ちたいと思っている。
しかし、それはなかなかうまくいかない。お節介と嫌わられてしまう。
しかし、なにもしないと人は孤独なままだ。ひとりぼっちのままでさみしい。
さみしいからナイフを手に持ってしまう。
さみしいからナイフを持った若者を家に置いておこうなんて思う金持もいる。
さみしい人とさみしい人が出逢って一瞬でも交流を持てばいいのに、
それがどれほど難しいか。突破口がいかに開かれにくいことか。
今井翼のナイフは突破口だったのだろう。
さみしすぎて孤独でひとりぼっちでやりきれないから、
ナイフを使ってでもいいから人と関わりたい。人と関係を持ちたい。

中卒無職「さみしいね」
金持「あんたほどじゃない」


人と関わるとはどういうことか?
自分の話をするということだ。相手の話を聞くということだ。
わたしはちょっとだけ変わった人生を送ってきたから、
その全部は他人に話せないところがある。
でも話したい、わかってほしいという甘えた気持もある。
「甘えるのが下手なやつ」なのかもしれない。
他人の話はおもしろいと思う。
いまの職場の同僚全員からこれまでの人生来歴をうかがいたいと思っているくらいだ。
しかし、踏み込めない。立ち入れない。
仕事でカッターを手にしても、それを相手に向けるほどの根性は持っていない。

津川雅彦「(缶ビール片手に)他人(ひと)の話はおもしろいよ」
今井翼「そうですか?」
津川雅彦「つらい話も他人事(ひとごと)だもんな、ハハハ」
今井翼「あなたがどういう人か知らないのに(自分のことを話してしまって)」
津川雅彦「人徳だよ(と自分を指す)」
今井翼「え?」
津川雅彦「人徳。(あんたは)黙りすぎたんだ」
今井翼「――」
津川雅彦「しゃべればいい」


ゲバラを知っているいまの中卒の若者がいるのだろうか、
ということはドラマの設定なので言わないようにしておこう。
老人ふたりはかつてキューバ革命の立役者のゲバラに惹かれたという。
ゲバラは――。

「生まれたアルゼンチンのためじゃない。
どこの国だろうと、その国の人たちの正義の戦いに加わるのが
これからの生き方だろうなんて、けっこう本気で考えていた」


松本幸四郎と津川雅彦は、
某国の正義のためにマチとムラを連帯させようとして、
かえって相互関係をこじらせて殺し合いを誘発してしまったのである。
松本幸四郎と津川雅彦が正義のことなんて考えなかったら百人近くが死なないで済んだ。
自分たちが正義のために動いたから百人近くが殺し合いをしてみんなひとり残らず死んだ。
かつて正義に殉じた人は、もうひとりの正義の人に言う。

「あなたもそうでしょうけど、あれ以来、あの日をかかえてずっと余生を生きてきました」

本当かよ、と思うね。あんな豪邸をかまえていて、なにが余生だよ、笑わせんな。
もしわたしがそんな大勢の人を死にいたらしめたのならとっくに自殺していると思う。
かつて正義のために大量殺人をしたのに自殺もせず、
いまは家政婦つきの豪邸で優雅に暮らすイケメンで金持の松本幸四郎が好きになれない。
松本幸四郎は今井翼のことを「軽い」と裁くが「軽い」のはおまえのほうだろう?
正義のためとはいえそんな大罪を犯した老人が偉そうになーに言ってんだか。
おまえの長所は金があって力が強く(合気道)イケメンなことだ。
わたしが今井翼だったら
寝込みを襲って松本幸四郎の胸にナイフを突き立てていたかもしれない。
目を開いた松本幸四郎に「おまえは軽いんだよ」と言い放つ。
老人ふたりはさも人生をわかったような口ぶりでこんな会話を交わす。

「いまでも世界中のあちこちで殺し合いを憎みながら殺し合っている」
「自分にもそんな血が流れているんじゃないかと思うことがあるよ」


このドラマに感動したという老人は、
本当に感動したのならニュースで殺人者を見てもその人を裁くなよ!
NHKのニュースキャスターも「上から目線」でものを言うのをやめろ!
このドラマを書いた山田太一さんは、人間を信用しすぎているところがあるのではないか。
あるいは書いたあとにまずいんじゃないかとブルブル震えたのではないか。
みんなバカだから気づかないでくれるんじゃないかと期待したのか。
このドラマの根本メッセージは「殺人者に罪はない」とも言えよう。
どの殺人者のまえにも松本幸四郎や相武紗季が現われていたら、
彼は犯行を起こさなかったことになるのだから。
だとしたら、殺人者の罪っていったいなんなのだろう?
殺人者の罪はわれわれみんなのやさしさの足りなさが遠因なのだから、
みんなで責任を引き受けなければならないのではないか。
作者に期待するものは人それぞれでいいのだが、
わたしは山田太一さんに東日本大震災や格差社会といった根本のことを書いてほしくない。
根本のことを書くのは山田太一さんの仕事ではないのではないかと言いたくなる。
もっとささいな喜び、ちっぽけな意地悪、ありふれた失望や希望を書いてほしい。

たとえばの話だ。わたしがネット上に犯行予告を書いたとしよう。
人生に絶望した38歳アルバイトの男がいまからナイフを持って渋谷に行く。
果たして松本幸四郎、津川雅彦、松坂慶子、相武紗季のような人は現われるのか?
いちばん登場してほしいのは相武紗季だよなあ。
いまからナイフを持って渋谷に行くと書いたら――。
うちのブログは本名を公開しているし住まいも調べればわかるから、
すぐに警察官が飛んできてくれてそれで終わりだろう。
山田太一ドラマのようなことは現実には起こらない。
しかし、本当にそうだろうか? 本当に山田太一ドラマのようなことは起こらないのだろうか?

(追記)渋谷とかナイフとかもちろん嘘ですからね。通報しないでよ。

COMMENT

- URL @
04/09 21:25
異議申立てます。. 人間の心の闇。人間には、誰でも殺人者となる可能性を秘めている。誰もが生まれた環境によって、十二分にそうなることはあり得る。誰もがそうではないでしょうか。永山則夫が私やあなたであっても不思議でもなんでもない。永山則夫がなぜ文学者として認められているか、わかりますか? あなたは「罪と罰」をお読みになったのですか? ラスコーリニコフは私たちであると、ドストエフスキーは言っているのではないですか? 犯罪者はあなたの心の闇にも潜んでいる。それを描くのが、文学や映画芸術の役割ではないのですか? 法律は社会の秩序を維持するために人間を裁きます。しかし、人間は人間を裁けない。それが芸術家としての態度であり、それを描くのが芸術ではないのですか?
Yonda? URL @
04/12 10:56
異議さんへ. 

あなたのあたまがわるいせいか、わたしの頭が悪いためか(おそらく後者でしょう)、あなたがなにを言いたいのかさっぱりわかりませんけれど、いろいろな意見があっていいのではないかと思います。この記事があなたのご気分を害したのでしたら謝罪します。ごめんなさい。
異議 URL @
04/12 22:30
私が何を伝えたかったか、ということ。. 先のコメントは、あなたの述べておられる「このドラマの根本は無差別大量殺人をするような男は悪いのか、である。」、「このドラマの根本メッセージは殺人者に罪はないとも言えよう。」という認識に対する私の問いかけであり、反論です。
あなたが理解しようとしまいと、この記事を読む方に、その認識が一方的に正しいと理解される方がいては、よくないのではないか、という懸念のためです。あなたの言われる「いろいろな意見」を述べるためです。
それ以上のものではありません。あしからず。
Yonda? URL @
04/16 10:01
異議さんへ. 

質問ではないのですが(=コメントいりません)、わたしがあなたのお考えにまるで興味がないのはどうしたらいいのでしょうか?
- URL @
04/12 03:30
. 作中の台詞を借りてこの評の感想を表すなら
「万事が軽い」








 

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