「僕たちは池を食べた」

「僕たちは池を食べた」(春日武彦/河出書房新社)

→B級精神科医の春日武彦氏の短編小説集を読む。
氏の濫造する一般書とどちらがおもしろいかと問われたら答えに窮してしまう。
なぜならきっと著者自身は、
むしろ小説のほうを評価してもらいたいと思っているのがわかるからだ。
勝手に親しみを感じている人の感情を逆なでするようなことはできるだけ書きたくない。
たしかにどれも春日武彦でなければ書けない小説になっていたように思う。
春日氏の文章のおもしろさは人の悪口にあるのである。
美談を耳にしても鼻で笑い飛ばし、
逆に美談の裏のグロテスクな部分をにやにやしながら妄想するのが
春日武彦という精神科医の「生きにくい」感受性と言ってよいだろう。

ふつうわれわれは寡黙だがまじめに働く底辺労働者を評価している。
そういう底辺労働者の美しさをヒューマニストぶって称賛する。
だが、春日はそうではないのである。
本書はいちおう私小説のような体裁を取っているが、
精神科医のもとにきた癲癇(てんかん)の患者「アヅマ君」を
春日は悪魔のような筆づかいで描写してしまう。
われわれはふつう癲癇という病気を持つ底辺労働従事者を、
同情や「世界への信頼」のようなものから好意的に眺めてしまうようなところがある。
しかし、春日武彦氏はそうではないのである。
ここは何度読み返しても笑いがとまらないので、
多少長くなるが一部略しながら著者への敬意を込めて抜粋させていただく。
患者として受診してきたアヅマ君37歳のことを春日はこう描写する。

「アヅマ君は頭が五分刈りで首が太く、体つきはずんぐりしている。(……)
外見の通りに鈍重であり、口下手で気が利かない。
人付き合いは苦痛で、友人も少ない。才気煥発といったものとは縁がなく、
他人に命じられたことを黙々とこなしていくことで精一杯である。
何が楽しみで生きているのやら、いやそんなことを考えたことすら果たしてあるのか。
人並みに希望や夢といったものも秘めているだろうに、
そんなことを自ら語ることは決して無いし、
そういうテーマについて喋る機会も相手も無い。
女性と付き合うことなど思いもよらない。
二人っきりになったら、どう振る舞ったらいいのか途方に暮れてしまうことだろう。
ただし肉欲といったものは常に渦巻いていて、
だから散らかった自室でSM雑誌を開いてオナニーにでもふけっていそうな
雰囲気も感じられて、よけい女の子に敬遠される。
冗談ひとつ言えず、マナーは知らず流行には無頓着。
「がさつ」のひとことで言い切ってしまうには、
どこか図々しさのパワーといったものに欠ける。
惨めったらしいところがある。(……)
創意工夫に欠けるから、どんな分野においても底辺に留まる運命である。
努力家というよりは、同じことを延々と繰り返していても
疑問を持つことのない鈍感な人間として理解して良いのかもしれない。
(……) アヅマ君は現在三十七歳である。家族はいない。
家庭を持っている訳ではないし、
四人いた同胞が今どこで何をしているのか知る由もない。
小さい頃から「ひきつけ」やら痙攣をしばしば起こし、病院で診てもらう
こともないまま人生におけるハンディとなって彼にのしかかっていた。
吃りがちで暗い目つきをしているくせに、
何かの拍子で突然怒りを爆発させることがあって、
しかも爆発の原因があまりにも些細なことだったりするので、こいつは
「おかしいんじゃないか?」といよいよ他人が彼を敬遠することになる。
嫌われるというよりは、気味悪がられる傾向のほうが大きかった」(P64)


こういった人を舐めくさった文章を書けるのが春日武彦氏の魅力なのである。
だとしたら、この才能は小説よりもむしろ一般啓蒙書で生かされる類のものではないか。
だがまあしかし、患者を見ながらこういう妄想をしている精神科医はいやなもんだ。
精神科医としてはいささか問題ありだが、人間としての春日武彦はおもしろすぎる。
厭世家の春日武彦氏にとってあれこれ妄想して、
その結果として世界の彩りに気づくのはたいそう「生きる喜び」になっているそうだ。

「実はこういった類の飛躍に満ちた内的体験は僕にとってごく自然なことであり、
自分にとっての数少ない「生きる喜び」の一要素なのである。
悪意と傍観者的態度と妄想傾向との組み合わせが生きる支えの一つと
なっているのは寂しい限りだが、思い描くばかりかこうして文字に
書かねばいられないところが、もはや何かの業(ごう)なのかもしれない」(P145)


人を見ながらあれこれ妄想するのって思いのほか陰気で卑猥な喜びなのかもしれない。
春日氏が描いたアヅマ君のような人はいまの時給850円のバイト先にいなくもない。
人生で底辺労働どころか一度もアルバイトをしたことがない春日武彦さんは、
妄想だけでけっこうな真実めいたものを書いてしまうのだからその意地悪な才能には参る。
先ほど、こう書いた。
目のまえの患者を診ながらあれこれ妄想する春日武彦は精神科医としていかがなものかと。
しかし、それは違うのかもしれない。以下のような箇所を見ると、
実際の春日武彦さんはかなりの名医かもしれないとさえ思うくらいである。

「人の心なんて千差万別なのだから、基本的なルールを踏まえていれば
あとは場合に応じて柔軟に対処していく他ない。
いささか規格外の人間が精神科医であると、
本人の持ち味とでもいったものが
意識的なバリエーションを越えたものをもたらすから、
その意味で精神科の医師は優等生ではない者のほうが
予想外の効果をあげる場合が少なくない。
患者にとっても医者にとっても、ある種の病態に関しては
互いの「出会い」と「相性」が決定的になる。
つまり治るのも治らないのも、運次第といったところがあるのだ」(P104)


じゃあ、たとえば芥川賞の小説と春日氏の作品を比べたらどうなるか。
春日さんの小説よりもおもしろくない芥川賞作品はかなりあるだろう。
とはいえ、精神科医という枠をうまく使い量産作家に成り上がった春日さんが、
その地位が新人にはふさわしくないと判断され芥川賞候補にならないのは、
まあ人生そんなもんよねとしか思わない。
もうちょっと社交がうまかったら春日先生はもっと偉くなれていたのかもしれないなあ。
まあ所詮は他人事なのでべつにどうでもいいことだけれども。

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