「女にモテたきゃ男を磨け」

「女にモテたきゃ男を磨け」(安藤昇/双葉文庫)

→ぜんぜんインテリじゃないから、おれ。
おれはさ、こういう本をきまじめに読みながら女のことばかり考えているアホ。
ぶっちゃけ、女と現代的通俗的な「恋愛」なんかまったくしたいと思わない。
女さまのご機嫌をおうかがいして、
テレビや雑誌で取り上げられたらしいスポットに行くくらいなら腹を切ったほうがまし。
そうそう、そうなのだ。
おれは女と「恋愛」なんぞがしたいわけではなく、ひたすらモテたいのだ。
女をおれの自由気ままに思うがままにコントロールしたい。
「恋愛」なんかしたくないけど、クリスマス近くの発情期だからか女にモテたい。
そんな邪悪な欲望から、むかしのヤクザの大親分が書いたという(99%口述筆記)
モテ本を目をギラギラさせながら女の裸のことばかり妄想して読んでみた。
いったいどうしたら女にモテるのだろう。くうう、たまらなくモテたいぜ。
教えてヤクザの安藤親分さま。

「女は男の”力”に惚れるのは間違いないが、その力というのもいろいろある。
腕力だけではなく、知力、権力、経済力、そして魅力だ」(P60)


本音をぶちまけると、この文章、ものすごくバカっぽいよねえ。
「知力、権力、経済力、そして魅力だ」のくだり。
いかにも日本語をわからないおバカさんが得意げに論じたという感じ。
こんなバカでもヤクザの親分だったらモテるのかなあ。
あわわ、いま身の危険を感じた。というのも著者は、
調べてみたらまだご存命らしいからヒットマンに撃ち殺されちゃうのかなあ。
なんか前科ならびにムショ歴のある偉い(?)人らしいしさ。
いま力がほしい。いまおれは力がほしい。なぜならば――。

「力や自信のある男がモテるのは、女が将来を考えた計算ずくだけじゃない。
そんな男の顔は、輝いていて色気が発散されている。
その色気にひかれて、女たちが集まってくるわけだ。
こういう色気は、じつは周りの男も敏感に反応する。
つまり、男が男に惚れる」(P65)


やっぱり人間、自信がたいせつなのか。
おれ、なんだか世間を知らないからか、いい歳をしていまだに自分に自信がある。
だから、勘違いをするのだろう。
いやあさ、あはは、バイト先で(あるはずないのだろうが、錯覚でしょうが)
ドキッとする視線を壮大な誤解として感じることがなくもない(ハイハイ、妄想妄想)。
もしかしたらそういう勘違いがモテるためには重要なのかもしれないなあ。
だって、著者の顔を見てだれが女にモテそうな顔だと思うかって話。
とはいえ、やたら人生でモテたらしいヤクザの著者は女をわかっている。
モテるというのはどれだけ相手の気持になれるかだと思う。
ヤクザの親分はフェラチオ(尺八/口淫)でイケる女がいちばんいいと主張する。
これ、わかるわかる、わかりすぎる。
フェラチオ(尺八)は女にとってもっとも屈辱的な行為だと思う。
だって、男の小便の出てくるところをキャンディーのように舐めるわけでしょう?
しかし、そこに女としての醍醐味があるのだとヤクザの親分は説く。
男に対する奴隷的奉仕である尺八でイケる女はもっともいい女だ。
なにがいいのか? あたまも感受性もなにもかもいい。
モテ親分の言葉を引く。

「尺八でイケる女には、もう一つ見逃せない長所がある。
それは頭がいいということ。
男を味わうだけでなく、尺八のポーズに興奮し、
さらにはよがっている男を見て興奮する――これは、
想像力がたくましいというか感受性が強いというか、
鈍い女には決してできない」(P95)


あたまがいい女が好きってすごいわかるなあ。
あたまがいいって学歴や知力や記憶力じゃないんだ。
強いて言うならば、著者の言葉を借りるならば、想像力が大事なのかもしれない。
結局、男も女もエロが好きなわけでしょう?
じゃあ、エロがなにかって言えば、とどのつまり想像力じゃないかなあ。
生まれ変わったら絶対女になって男どもをいろいろ喜ばせたいなあ。
そういう想像力があると(女ならぬ)男の場合、
かえってモテないとこの男性ホルモン過剰でマッチョな著者は言いたかったのかもしれない。


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