「ココロによく効く 非常識セラピー」

「ココロによく効く 非常識セラピー」(ジェフリー・ウィンバーグ/春日武彦監修/中田美綾訳/アスペクト)

→著者はオランダのセラピスト(心理療法家?)。
大学で心理学を学んだだけなのに個人開業してけっこう食えているらしい。
監修のB級精神科医・春日武彦氏が指摘しているように、
個人開業セラピストはどこか街角の占い師と変わりがないうさんくささがある。
しかし、本書の著者はインチキ心理屋として食えているばかりではなく、
そのうえさらに本も出していて、これもそこそこ売れているという、まあ人生の成功者。
成功者ほど成功なんて意味がないという「本当のこと」を言うけれども、
本書はオランダのセラピストが書いたセラピーなんて意味がないという内容の本。
日本のカウンセリングはロジャースの影響が強く、
もっぱら傾聴(=ただ相手の話を聞く)が主流になっているようなことを聞く。

著者のやっているのは傾聴とは正反対の「挑発的セラピー」だ。
これの効果があるのはわからなくもない。
著者の「挑発的セラピー」をよく理解できた証拠に自分の言葉で紹介してみよう。
著者は器が小さいためだろうが、どうやら自殺志願のお客はあまり来ないようだ。
セラピストやカウンセラーがいちばん来られて困るのは自殺志願のお客だろう。
もし著者の言う「挑発的セラピー」に従うならば、このお客への対応はこうである。
「あたし、死にたいんです」
こう来られたら、たいがいのセラピストは前向きな発言をするだろう。
生きていたらいいこともありますよ、とか。
傾聴を習ったおばさんセラピストなら、そうですかとぐっとこらえるかもしれない。
著者は書いていないが、
著者の「挑発的セラピー」にしたがうならばこう応じてみるのもおもしろい。
「まったく同感です。死にたい? ああ、まったくです。
わたしもこんなくだらない人生とは一刻も早くおさらばしたいと思っています。
生きているのがいやでいやでしようがありません。
本当にあなたとのセラピーが終わったら自殺しようと思うくらいです」
人間はあまのじゃくだからこういうネガティブなことを言われると、
逆にポジティブなことを思い始めるらしい。

どうでもいいボク話をすると、
わたしもかつていきなりメールで逢いたいと言われた女性から
「死にたい」と言われたことがある。
「ああ、わたしも死にたいですね」と本気で答えました。
ネガティブにネガティブで応戦する「挑発的セラピー」はけっこう使えるのかもしれない。
たとえば――。
「友達がいません。どうしたらいいんでしょうか?」
「それがどうしましたか? みんな本当は友達なんていませんよ。
みんながみんな友達ごっこをして群れているだけ。
人間なんてしょせんくだらぬ存在でひとり生まれひとり死んでいくだけです」
「恋人ができないので悩んでいます」
「あのさあ、いざ恋人ができたらどれだけうざったいと思いますか?」
人間の悩みなんて99%がどれもありがちでみんなが思っていることなのである。

セラピーは「お金で買われた友情」(P54)に過ぎない、
と言い放つセラピストの著者の物言いはどれも挑発的である。
ある意味では「本当のこと」を言っているのだろう。

「失礼なのは承知のうえで言おう。セラピストは
「決して満足しない」という人間につきものの性質を利用して、稼ぎすぎている」(P184)


どんな成功者でも金持でも美男美女でも人生に不満を抱いているのである。
むしろ人生でいわゆる上へ行けば行くほど人生への不満は強まるのかもしれない。
みんながみんないまの人生への不全感は抱いているのだろう。
それどころか過去の後悔やら将来への不安も人間ならばだれしも持っている。
そういうところを食い物にするのがセラピストだとセラピストの著者は言っている。
本当は人生なんてだれもが思い通りにはならないのに、
さもそのことが解決すべき問題ででもあるかのような態度を取って、
その問題をあえて相互了解的にこじらせてお金を稼ぐのがセラピストかもしれない。
もしかしたら「本当のこと」を言えば――。

「まったく解決策のない問題だって存在するのだ。
それがわかれば、人生はもっと生きやすくなるだろう」(P106)


問題は解決しなければならない、問題にはかならず解決策がある、
――といったような学校教育やらマスコミ報道の悪影響のせいで、
われわれはどうにもならないどうしようもない問題をこじらせているだけなのかもしれない。
あるいは人生上の問題はいくら人間が解決しようとあたまをひねっても
どうにもならないのかもしれない。
いくら過去のサンプルや成功例を調べても、
人生上の問題はどうにもならないのかもしれない。
しかし――。だが、しかしセラピーにもきっと意味がある。
セラピストの著者はセラピーの実際を正直にあるがままに書いていると思う。

「わたしの最初の患者のことを話そう。彼はまだ若い学生だった。
オランダの地方都市で孤独な生活を送っていて、
寂しくてたまらないとセラピーにやって来た。わたしの指導教授は、
学生の過去を探り「内なる抑圧の理由」を見つけろといった。
しかし三回目のセッションの日、学生はすっかり自信を取り戻しているではないか。
彼は誇らしげな顔で、
かわいい女の子と恋をしてずっと一緒なんですとのろけた。
彼から行動を起こしたわけではなく、
彼女のほうから休み時間に話しかけてきて、「とんとん拍子に進んだ」のだそうだ。
わたしは面談を三十分で打ち切り、
素晴らしい人生を祈りますよと言って彼を見送った。
教授はわたしの仕事にいたくご不満だった。
わたしが「多くの潜在的な問題」を未解決のままにした、と思ったらしい」(P26)


これってまったくもって「本当のこと」だよねえ。
人生の問題って解決しようと思わなくなったら、
かえって「とんとん拍子」に進んでうまくいくことも経験からないわけでもないと思う。
なにか「正しい」助言をしたら問題は解決に向かうと信じている人のおられるようだが。

「セラピストが考えだした、
いかにもよさそうな解決策がまた新たな問題を呼んでしまうこともある。
よくあるのが、思っていることは言ったほうがいい、というアドバイス。
患者はそれにしたがったとたん、失業したり、恋人や友達を失ったりする」(P139)


むろん失業が人生を全体的に考えたら絶対にマイナスとも言い切れないのではあるが。
あるいは当面の恋人や友達を失うことが将来的にはプラスかもしれないのだけれど。
「挑発的セラピー」で食っている著者はアドバイスをしないわけではない。
それ以上の通常ならやってはいけないとされることをしてしまうのが、
挑発的セラピストたるゆえんだろう。セラピストがこんなことをしてもいいのだ。
きっと人生なにが正解かわからないのだから、ならばおそらくなんでもいいのだろう。

「まだセラピストとして見習い期間中だったときのこと。
ある青年が診察室にやって来た。集中力も落ちたし毎日が寂しいのだという。
わたしの指導教授は
「この青年はアイデンティティの危機にある。治療は一年は見ておくように」
と耳打ちした。わたしは聞く耳を持たず、
前の日に同じような悩みで来た女性を彼に紹介してみた。
どうなったかって? そう、ご名答。
二人は末永く幸せに暮らしたということだ」(P200)


人生って、そんなもんだよねえ。人間って、こんなもんさあ。
わたしもあらゆる悩みらしきものは魅力的な異性の登場で一時的に消えると思う。
でも、どうしたらそういう奇跡が起こるかはまったくわからないのである。
従来の傾聴カウンセリングをしていても、オランダ式の挑発的セラピーをしていても、
「それ」は起こるときには起こるし、起こらないまでは起きないのだろう。

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