「愛と幻想のハノイ」

「愛と幻想のハノイ」(ズオン・トゥー・フオン/石原未奈子訳/集英社文庫)

→1986年刊。当たり前の話だけれども、ベトナムにも文学はあるみたいだ。
この作品は(英語からの重訳だが)日本語に訳された数少ないベトナム小説のひとつ。
読後に調べて気づいたが作者は女性である。
文学なのか大衆小説なのかはわからないけれど、
そういう区別自体なにも意味はないのかもしれない。
内容を紹介すると、いわゆる恋愛小説である。
主人公はリンという美人高校教師で、理想に燃える新聞記者のグエンと結婚する。
ふたりのあいだにはひとりの娘が産まれる。
社会主義国で生きていくというのは、理想ばかり追っていられるわけがない。
新聞記者のグエンは真実を記事にはせず、生活のために上司の言いなりになっていた。
おかげで優秀な新聞記者として評価されている。生活するというのは、そういうもんだ。
しかし、潔癖なリンには夫の生活のための不正が許せない。
リンは若き日に感じたグエンへの愛を失ってしまう。
グエンはこの国(ベトナム)で生活するとは、
そういうことなんだとリンに何度も説明するが愛妻からの理解を得られない。

まだ若い美貌を持つリンは妻帯者の有名作曲家のチャン・フォンと不倫の恋に落ちる。
そこらの若い貧乏人と恋をするのではなく、
老いた有名作曲家との恋に落ちるところがリアルだ。
リンは錯覚しているわけだ。この作曲家は夫が失ってしまった理想をまだ持っている。
しかし、現実はそんなことはなくチャン・フォンも作曲家として出世するために、
これまでいろいろ権力闘争や世渡りを現実的にこなしてきたのである。
世間知らずのリンはそのことを知らず汚い中年男を理想化して、若い身体を与える。
ひとりしか男を知らなかったリンは、
みずみずしい肉体を恋多き中年からおもちゃのようにもてあそばれたことだろう。
これまであまたの不倫をしてきたチャン・フォンはリンこそ理想の女だと一瞬は思うものの、
強い政治的なコネを持つ妻と別れることはできず、新しい愛人を結局は捨てる。
チャン・フォンはリンに経済的援助をまったくしなかったからリンは貧窮の底に落ちている。
名声を利用して無料で若い肉体をもてあそんだチャン・フォンはまんまとうまくやった。
小説の最後ではまだ妻を愛するグエンが勇気を出してチャン・フォンに逢いに行き、
この老作曲家が若い妻の身体のすみずみまで舐めつくしたのかと想像して歯噛みする。
しかし、すべては後の祭りである。
チャン・フォンは党の上層部とうまくコネをつけたおかげでさらなる出世をする。
グエンは最愛の妻と離婚して、これから娘と孤独なやもめ人生を歩んでいくしかない。
独身に戻った美しいリンにはある画家が目をつけた、というところで小説は終わる。

読み終わった感想は、まあどこの国の人たちも恋愛するんだなあ。
そして、女は地位のある男が大好きってことだ。
それからベトナムは強力なコネ社会だから、不正やスキャンダルもコネで揉み消せる。
しかし、そんなことを言ったら日本だって結局はコネ社会だし、
日本の男女もベトナム以上の恋愛をしているわけではないから、
要約すれば日本もベトナムも大した差はないのだろう。
ただ生活のために小さな不正をしている新聞記者の
夫をとがめる青臭い妻が少しベトナム的かしら。
「正義」とかいう感覚が日本よりもまだ残っているのかもしれない。
小説のなかで編集長が資本主義国は能力主義だが、
ベトナムではそうではない(コネだ)と嘆くシーンがあるけれど、
日本もそこまで能力主義だけではないような気がする。
あれはアメリカと比較していたのかもしれないけれど。

みなさまはベトナムの小説なんて
お目にする機会がないでしょうからお節介から部分を紹介してみましょう。
ベトナム女性は純真とか、そういうイメージにだまされちゃいかんぜ。
ベトナム人女流作家の書く、あるベトナム女性の結婚観はこうである。
ある女性は自分の人生に満足していない。

「エンジニアの夫は、金持ちではあったが、名声への階段を上らせてはくれなかった。
富という夢を叶えただけで、栄光や精神的な満足感は与えてくれなかった。
ものは余るほど手に入ったし、愛情と優しさは存分に注がれたが、
心は満たされなかった。どこへ行ってもちやほやされたかった――
オペラハウスでも、カフェでも、映画館でも。
彼女見たさにみんなが首を伸ばし、見ては好奇心で胸を躍らせ、
名前を囁(ささや)きかわしてほしかった。
視線をくぎづけにし、うらやましがらせたかった。
醜くても地位の高い男をつかまえた運のいい女は多い」(P183)


この小説のヒロインのリンが中年と不倫の恋に落ちるのも、
結局は男が世間から広く認めらた有名作曲家だからなのである。
まあ、人間の女なんてどこの国でもこんなものなのだろう。
いっかいの高校教師にすぎぬリンは思う。

「彼女は自分をありのままに受け止めていた。
何百万といる平凡な教師のなかのひとりにすぎないと思っていた。
それなのに、この才能豊かで有名な男に愛されている。
愛されることが誇らしかった」(P123)


この有名作曲家のチャン・フォンという男がまたおもしろいやつなのである。
やはり芸術家にはどこか悪魔性がないといけないのだろう。
他人なんて知ったことかと自分のために生きるのが芸術家なのである。
この男が不倫をなじられたときに老妻に言う言葉がたいへんよろしい。

「いまのおまえにわたしを誘惑できるなにが残ってる?
器量? 性格? おまえと一緒に暮らしたら仏陀でさえおかしくなる。
普通の人間なら言うまでもない」(P148)


このセリフは女に言ってみたいなあ。
「おまえと一緒に暮らしたら仏陀でさえおかしくなる」
でも、そのためにはまず結婚しなきゃならんのだから壁は高い。
さて、この芸術家が夫の不倫に激情した老妻に向き合ったときの心の声もいい。

「相手は女だ。こっちが屈したら絞め殺しにかかるが、抵抗すれば屈する」(P210)

原文はどうなっていたか知らないが、
ここは「抵抗」よりも「威圧」のほうがいい日本語訳になると思う。
つけたしのように書くが、とても読みやすい日本語訳だった。
若い愛妻を寝取られた新聞記者風情が権力を持つ有名作曲家と対面するシーンもいい。
新聞記者は、女なんて結局は地位に目がくらまされるものだと気づいたことだろう。
賢くもあった若くて美しい妻は、自分よりも老いたこの有名作曲家を選択したのだから。
まだ若い新聞記者の自分は、老いた有名作曲家にはかなわないのである。

「チャン・フォン[有名作曲家]の言葉は
グエン[新聞記者]の耳のなかでガンガンと鳴り響いた。
まだ聞いてはいたが、せわしなくテーブルをたたく作曲家の指を、
ぼんやりと見つめていた。
長く、ほっそりとした、優雅な手。
タバコのやにのあともなければ、肉体労働によるたこや小さな傷跡もない。
ふと思い至った。この手がリンを愛撫(あいぶ)したのだ。
グエンの目に、妻の姿が見えた。
なめらかで柔らかい肌、ひきしまった乳房、すらりとした首。
苦痛という刃(やいば)に貫かれ、肉をえぐられた気がした」(P281)


ベトナムにも日本にもあるらしいけれど、結婚って不思議な制度だよなあ。
ほかにもいい男女はたくさんいるんだから、
いまよりも上が人生舞台に登場したら車のように乗り換えるのが常識じゃないか?
中古車よりは新車のほうがいいし、大衆車よりも高級車のほうがいいでしょ?
日本の場合、国産と外車のどちらの価値が高いのかは知識がないのでわからない。
とはいえ事故車なんて乗っているのは、よほどの物好きとしか思えない。
おそらく変なしがらみがあるから結婚しても車のように男女を乗り換えられないのだろう。
なぜなら愛とは独占欲であり被独占欲だから(世界でひとりだけのあなた!)、
配偶者を裏切ったらかつての自分を裏切ることになってしまう。
それでも人は人を愛するらしい。日本でもベトナムでも。きっとこう叫びながら。
123ページより。

「きみはわたしのもの、わたしだけのものだ」

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3902-6e4ca6b5