「中空構造日本の深層」

「中空構造日本の深層」(河合隼雄/中公文庫)

→代表作のひとつになっているけれども、わたしから見たらもっともくだらない駄本。
思いっきり皮肉で言うのだが、字義通りの「出世作」ではなかろうか。
本書は中央公論とやらのお偉い雑誌に書いた論考(笑)をまとめたものらしい。
内容は、周囲のヨイショばかりである。
当時権威だった有名文化人、有名学者の発言をいちいち取り上げ、
あの人の意見は参考になる、この人も卓見の持ち主だとひたすらヨイショをしている。
またそうしないとユング学者などというオカルト的な存在が、
仲間意識が非常に強く和ばかりを重んじる「日本文化村」に入っていけないことを
40歳を過ぎてから出世した世渡り名人の河合隼雄はよく知っていた。
日本文化などというのはどの分野も「村(ムラ)」なのである。
どの学問分野も芸術分野もみんな群れていて「村(ムラ)」を形成している。
どの「村(ムラ)」にもむかしからの顔役のような存在がひとりふたりいて、
彼らに礼儀正しくあいさつしないとどれほど価値ある意見も簡単につぶされてしまう。

河合隼雄は本書「中空構造日本の深層」で日本文化村の顔役に
まんべんなく礼儀正しくあいさつをしたと言うこともできるのではないか。
にもかかわらず、ではなく、このために本書は異常なほどつまらない。たいくつだ。
人さまのかたちどおりの礼状、あいさつ手紙を読んでおもしろがれる人はいないだろう。
そういうことだ。そういうことなのである。
本書では後年自分は絶対に統計データなど使わないと息巻いていた河合隼雄が、
なにやら胡散臭いデータを用いてもっともらしい論考をしているところがあり、
あの河合隼雄先生も出世するまでにはたいへんなご苦労があったことを知る。
断っておくが、最後に日本文化村の村長レベルにまで出世したのが河合隼雄である。
村長の地位にまでいかないと自分のしたいことはできないことを、
あらゆる意味で世間の裏も表も覗き見た河合隼雄は知っていたのである。
かつて日本文化村の村長だった河合隼雄の新人時代の言葉を引こう。
河合隼雄のスタートは遅いから中年の新人の言葉である。

「これ[西洋]に対して日本の場合の長は、リーダーと言うよりはむしろ世話役
と言うべきであり、自らの力に頼るのではなく、
全体のバランスをはかることが大切であり、
必ずしも力や権威を持つ必要がないのである。
日本にも時にリーダー型の長が現われるときがあるが、多くの場合、
それは長続きせず、失脚することになる。
日本においては、長はたとい力や能力を有するにしても、
それに頼らず無為であることが理想とされるのである」(P60)


いまのわたしのバイト先のマネージャーさんは、
河合隼雄のいう意味でのリーダ役をじつにうまくこなしていると思う。
日本のリーダーはみんなの調整役だから非常に気苦労が多い立場だと思う。
言いたいことを言えるのはリーダーではないのだろう。

「これ[日本神話のいちエピソード]は、日本人の特徴としてあげられる、
敗者に対す愛惜感の強さ、いわゆる判官びいきの原型となるものであろう」(P46)


アメリカ合衆国とか創価学会とか、どうしてそんなに勝者をもてはやすのかわからない。
勝った人間よりも負けた人のほうが美しく思えることはないだろうか?
わたしなんか購読している週刊漫画誌「スピリッツ」の
グラビアに登場する美人さんなど、どこも人間味を感じられず、つゆほどの興味も持たない。
勝っている人間の成功談など、
世間を知らない人の底の浅い昔話以下の物語ではないかと思っている。
負けている人間、くたびれた人間、落ちぶれた人間のどれほど美しいことか。
一般的な基準では美しくないとされる女性にどれほどの輝きが眠っていることか。
そういえば子どものころ歴史上の偉人でいちばん源義経が好きだった。
勝った人間、勝ち誇る人間ほど醜いものはないのではないか。
今度、積ん読していた「義経千本桜」を読もうといま決める。
もっと働けと怒られるかもしれない。

「人は時間泥棒の甘言に乗って、時間を節約しようとし、血まなこになって働き、
そこに自分の人間性を失っていく。
「進歩」と「能率」を標語にして、「遊び」を失い、
個性を失ってゆく人々の姿が『モモ』には見事に描写されている」(P132)


「進歩」や「能率」とは、つまり「向上」に結びつく言葉である。
いまでは「生産性」や「品質」という言葉が流行っているような気がする。
人生の「品質」を向上させたいならば、できるだけ働かず、
「生産性」を無視したほうがいい、という見方もできないことはない。
むろん、どちらが「正しい」わけでもないのではあるけれど。
本当の「正しい」ことがあるとすれば、それは「秘密」にして墓場まで持っていったほうがいい。
墓場まで持っていけない場合は――。

「それに人間というものは、常につき合っている人よりは、
一度だけ会った人のほうに深い話をすることだってあるのである」(P238)


わたしは旅先で異常なほど個人的な打ち明け話をされることが多かった。
それは断じてカウンセラーに向いているからではなく、
河合隼雄が言うようにもう二度と会わない人だったからなのだと思う。
本当にいろんな国でいろんな人から秘密を打ち明けられた記憶がある。
日本でも居酒屋でちょっと横になった人から深刻な秘密を話されたことがある。
一度だけ会う人間としてわたしはもっとも適しているのかもしれない。
まあ街角の占い師には向いているタイプなのかもしれないので、
今後ひとつの天職の可能性としていんちき占い師は考慮に入れておきたい。

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