明日をも知れぬ

明日をも知れぬ人生を生きてきたという感が強い。
ときおり不安に襲われるが、それでもほとんど明日のことを考えないで生きてきた。
しょせん、明日をも知れぬ人生さ。
20代のころは絶対に30までは生きないだろうという変な確信があった。
困ったことに生き残ったので、
29歳のときに死ねぬなら殺してもらおうと思って、
インドに二度目のビザいっぱいの旅に出た。
葬式代確保のために、
ふつう長期旅行者は入らない旅行保険にも入ったのだから本気だった。
死んでもいいのだから、いや死にたいのだからインドでは危険なことをめちゃくちゃやった。
人生うまいこといかないんだなあ。
当時、本当に死にたかったのかもわからない。
このときはいまはなき(まだあるの?)使い捨てカメラを持参した。
そのときの写真を見た友人いわく、なんでこんなに笑顔ばかりなの――。
あはは、いやはや、うーん。

30代に入ってからは、もう40で死ぬと思った。
40で死ぬのは不摂生生活で決まっているのだから、あとはのんびりやろう。
40までに偶発的に死ねるという運の強さへの自信もあった。
いざとなったら自殺という最終手段もある。
死んだらすべて終わり。死後の世界にはなにも持っていけない。
あはは、あはは、ざまあみやがれ。
もう死んでいるだろうと思っていたのに、まったく不思議なことに、
いまどうしてか40歳があと数年になってきたのである。
どうしてこんなに死にこだわるかといえば、
古くからの読者さまはうんざりするだろうが母の自殺である。
女親から教わった最大のことは――。
あの人はわたしの目のまえで飛び降り自殺をなさった。悪口ばかりの日記を遺して。
いまでもそれを恨みと思う気持も残っているが、むしろ感謝の感情もなくはない。
いざとなったら自殺すればいい。そう思ったらなんでもできるではないか。
なんでもできる。なにをしてもいい。それがおそらく自由だ。
だが、自由がそれほどいいのかもいまのわたしはわからない。
どちらかと言えば、自由よりも宿命のほうにひかれている。
天命に任せるのではなく、宿命をきちんと引き受けたいといまは思っている。

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