「臨床教育学入門」

「臨床教育学入門」(河合隼雄/岩波書店)

→一生だれかを教育することなんてないんだろうなあ。
部下を教育する、生徒を教育する、子どもを教育する――。
とはいえ著者のファンだから臨床心理学者の書いた「臨床教育学入門」を読む。
臨床とは現場で役に立つ、くらいの意味だろう。
机上の学問ではなく、実地で役に立つ教育方法はいかなるものか?
答えをはじめに書いてしまうと、
例によって河合隼雄は絶対に「正しい」教育方法などないと本書で言いたげである。
「正しい」教育法がないのだとしたら、どうしたらいいのか。
まあ臨機応変にやるのがええんちゃいますか、というのが河合隼雄の本音だろう。
この臨機応変は本書のなかにあった言葉ではなく、わたしが読後に発見した言葉だ。
ある「正しい」法則があって、その法則に従えばどの子もよくなるというのは間違えだ。
われわれはついどこかに「正しい」法則があるではないかと期待してしまう。
しかし、臨機応変にやるというのは「正しい」法則に縛られていてはいけない。
「正しい」法則などないことを深く認識していないと臨機応変にはやれないだろう。
臨機応変にやるとは偶発性を生かすということなのだと思う。
以下の河合隼雄の提言は教育のみならず人生全般で役に立つもののような気がする。

「予測可能な法則をしっかり守って、予測通りの結果を得て満足する、
というような態度をあまりにもきつく身につけている人は、
偶発性を生かして飛躍することができない。(中略)
偶発性に対して心を開いてこそ発見がある。
しかし、それに対して瞬間に決定し行動することができなくてはならない」(P26)


これはプロレスなんかにも当てはまるのではないか。
プロレスは勝ち負けどころか試合の流れまで事前に決めているショーである。
しかし、試合中にいろいろ予測していなかったアクシデントに見舞われる。
このとき事前の取り決めをいったん放棄して新しい試合を作れるのがいいレスラーだ。
名勝負というのは、たぶんブック(台本)通りにいった試合ではなく、
偶発事がたくさん起こりレスラーたちがその偶発性を生かし切ったとき生まれる。
偶然に生じたことに瞬間的に反応してその偶発性に勢いよく乗っていく。
これが教育や心理療法のみならず人生全般における河合隼雄の流儀だったのだと思う。
「正しい」法則などないことを身体で知っていなければ偶発性を生かし切れない。
「正しい」理論やイデオロギーにすがるのではなく臨機応変にやるのがいい。

意見の食い違いが生じたときも臨機応変に対処するのがいちばん実効的なのだろう。
たとえば企業の生産性と雇用者の健康のどちらが大事かという問題がある。
生産性優先と人間尊重のどちらが「正しい」のか。こういう際は――。

「その際、どうしても一方は自分が「正しい」と信じ、相手を「誤り」と考えている。
しかし、実のところはどちらも正しいのである。
自分が絶対的に正しいのではなく、異なる考え方の双方を考慮しつつ
実際的にこの際どうするのが適切かを考える、
という態度になると無益な争いは減少するのではないだろうか」(P63)


生産性優先も健康重視もどちらも「正しい」としたうえで臨機応変に対応する。
「正しい」法則とやらを捨ててみると臨機応変にものごとに向き合えるのではないか。
教育ならば「正しい」法則や数字を子どもに当てはめるのではなく、
子どもそのままのすがたを見ようと努める。

「……たとえば先生が子どもをはじめから「IQ50」の子として見て、
「客観的」に観察する目を注ぎ続けると、
その態度が子どものその後の行動に大きい影響を与えるだろう。
それに反して、先生がIQなんかにこだわらず、
その子の成長を願って暖かく見守っていると、
もちろんそのことも子どもの行動に影響をあたえるだろうが、
前者の場合よりも、はるかによい結果を生むのではなかろうか」(P145)


かりに臨機応変にものごとに向き合うのがいちばんよいということにしよう。
もしそうならば、なぜみな臨機応変に対応しようとしないのか。
臨機応変とはその場その場で自分のあたまで考えることだから面倒くさいのである。
臨機応変に対応するよりも法則(マニュアル)に従うのが楽ちんなのだ。
いちいち臨機応変にやるのは効率も悪いし、なにより疲れるではないか。
教師だってボランティアではなく俸給取りである。
どうしておなじ給料なのにやらなくてもいい面倒くさいことをする必要があるのか?
この問いに河合隼雄は「心の経済」という概念を持ち出す。
臨機応変にいろいろ工夫するのはいいが、それは時間外労働になってしまう。
この経済的不合理は「心の経済」を考えると折り合いがつくと河合隼雄は主張する。

「ここに二つの工夫を示したが、このようなことを言うと、「面倒くさい」とか、
時には「労働条件の悪化」というようなことを言う人がある。
後者のような人は、できる限り高い給料と、できる限り少ない労働量とによって、
人生の「効率」を高めようと考えている。
しかし、このような人は「人間の心の経済」について知らなさすぎる。
たとえば、「三分間誕生会」をするために、
先生は黒板にケーキの絵を描くエネルギーがいる。
しかし、それを見てにっこりする子どもの笑顔や、
クラス全員のハッピー・バースデイの歌などから、
先生は子どもたちからたくさんのエネルギーをもらうはずである。
子どもを十把一からげではなく、ひとりひとりを個人として見るのは、
確かに教師のエネルギーを必要とする。
しかし、それに見合うお返しは絶対あると言っていい。
その流れが先生の新しいエネルギーの鉱脈を掘りあてることもある。
人間の心のエネルギーは、うまく使うとそれ以上のお返しがある。
これが「心の経済」の面白さである」(P103)


世の中にはわたしもふくめて(いま時給850円ですぞ!)
信じられないほど安い金額で働いているものがいる。
あるいはまさかそんなことはないだろうが、「心の経済」まで考慮に入れたらば
それほど非人道的な金額には当たらないという可能性も
絶対にないとは言い切れないのかもしれない。
「心の経済」という考え方はおもしろい。
どんな高収入の仕事でも「心の経済」を考えたら割に合わないものがいくらでもあろう。
赤字すれすれの自営業でも「心の経済」を算盤(そろばん)に入れたら
ぞんがい大儲けというようなこともあるのかもしれない。
仕事をするときは労働量、報酬額のみならず、
それからもうひとつ「心の経済」を考えてみたら働き方が変わることもなくはないのだろう。

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