それぞれの能力

人間の能力には元々差があるという本音は差別につながりかねないから、
現代日本ではあまり言ってはならないことになっているような気がする。
でも、大勢の多様な人が働く職場にいると能力差をまざまざと思い知らされる。
たとえば、オリコン回収という作業がある。
流れてくるプラスチックの箱をひとりでひたすら積むだけの作業である。
わたしはこの作業を30分未満なら時間つぶしのためにできるが、
1時間をオーバーしたら変な話だが発狂するかもしれない。
ひとりで黙々とオリコンを積みゴミを捨てる作業がどれほど難しいか。
これを専門にしてときには8時間近くなさっている方がいるが、
わたしは彼を本気で偉いと思っている。だって、こちらはできないもん。
時給1200円いただいても、あの孤独な後始末作業はしんどい。

どうやらわたしはかなり人よりも能力が低いようで、
いまのアルバイト先ではできない作業が多いのでまったく使えない。
例をあげれば、箱潰しと言われる作業がきつすぎて逃げたくなってしまう。
正直、箱潰しをなさっている方には時給をいくらか渡したいくらいである。
箱潰しをなさっている方のまえを通るときは、どうしてか低頭してしまう。
たとえ後輩の若者でも箱潰し担当者には、率先してこちらから挨拶してしまう。

検品はやったことはないが、上はさすがに見る目がある。
人の数え間違いをいちいち丹念に見つける作業はたぶんわたしには無理だ。
そういう丁寧な几帳面な仕事はできません。
なにもできないので最後の仕事、
日本語がほとんどわからない外国人女性でもできる書籍ピッキングに
まわされているのだと思っている。
わたしはなにもできない。
社員さんのように、シフトに入っているパートに明日は休んでください、
なんて言うのは精神的に辛いだろうなあ。

なんでこうも使えない男なんだろうと自分でもあきれてしまう。
しかし、使えないおっさんバイトにも価値があるのかもしれない。
もしかしたら将来ある若者が、
ああなってはいけないと仕事をがんばるようになるかもしれない。
仕事以外でも、パート仲間のうちああなったら終わりだと
いろいろやり始める人がいるかもしれない。
そのように全体を考えたら、使えないわたしもある意味では役に立っている可能性もある。
明々白々と美醜とおなじように人間の持って生まれた能力の差は存在する。
その能力を人間は超えようとするものだが、
果たして克己(こっき)はかなうものなのかどうかわたしはわからない。
それぞれの能力を可能なかぎり、それぞれ生かすしかないような気がしている。
いまのバイト先はかなりそれぞれの能力を生かすのがうまいのではないかと思う。
できないこと、いっぱい、いっぱいある。

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