「ビギナーズクラシックス 源氏物語」

「ビギナーズクラシックス 源氏物語」(角川ソフィア文庫)

→急に向上心が芽生え自分を高めたいという気分になったので「源氏物語」を読む。
といっても全集ではなく(うちに新潮版を購入済み)ビギナーズクラシックスだ。
要所要所の名場面のわかりやすい現代語訳と原文が紹介されている。
ぜんぶ読んだわけでもないのに、あの「源氏物語」の感想を書けと言われてもなあ。

まあ、たとえ稚拙でも自分の思ったことを正直そのままに書くしかない。
「源氏物語」を読んで思ったのは、禁じられた恋は楽しいんだろうなってこと。
親からすすめられた縁談の何百倍も、してはいけない密通は興奮するのだろう。
なぜなら、いわゆる禁じられた恋とは秘密をふたりだけで共有することである。
強い秘密を共有することは孤独な人間同士を深く結びつけるのではないか。
もしかしたら肉体的交渉よりも秘密の共有における精神的連帯のほうが、
よりふたりを親密にさせるのかもしれない。
「これ秘密ね!」というのが、味気ない退屈な人生の隠し味なのかもしれない。
なにか秘密があればこそ多くの人は噂話をすることで倦怠から逃れることができる。
真偽定かならぬ噂話や、そこから発生する悪口ほどおもしろいものはなかなかない。
かえって真偽がわからなければわからないぶんだけおもしろいとも言いうる。
「源氏物語」は女という生物が大好きな色恋ゴシップの集大成とも言えよう。
「源氏物語」はいまで言えば、芸能人スキャンダルのようなものではないか。
有名人の隠し子騒動とか、やっていることはいまもむかしも変わらないのだろう。

「源氏物語」でいちばん好きなところはここである。
光源氏は父親の後妻を好きになって秘密の関係を持ってしまう。
いわば父親を裏切ったわけである。
その結果として生まれた子どもが天皇になったのだが、だれもこの真相を知らない。
これは当時としては最大級のスキャンダルではないか。
さぞかし源氏は女とのあいだの強い結びつきを感じたことだろう。
その源氏が中年になったころ、断れない縁談を持ち込まれ若い娘と結婚する。
ところが、この美しい娘っ子が若い男に股を開いてしまうわけである。
むかし父親の女を寝取った源氏が今度は反対に女を寝取られてしまう。
ああ、もしかしたら父親は自分の行為を知っていたのだろうか?
年月を隔てて父親の気持を身をもって知ることになったわけである。
女がはらんで自分とは血のつながらぬ赤子を産むのもおなじだ。
なんと不思議なことがあるものか。これではまるで報いではないかと源氏は思う。

「さてもあやしや。我、世とともに恐(おそろ)しと思ひしことの報いなめり。
この世にて、かく思ひかけぬことにむかはりぬれば、
後の世の罪も、少し軽みなむや」(P309)


世の中には不思議なことがあんがいあるのかもしれない。
そして、くだらない処世術かもしれないが、アンラッキーなことがあったら
これで来世では少しはいいことがあるだろうとおのれを騙すのもまた悪くない。
妻を寝取られたらこれで来世の罪が消えたと思えばよい。
「源氏物語」から道徳を引き出すならば、
なんのために結婚するかといったらおそらく浮気を楽しむためになるのだろう。
もちろん、妻が寝取られる程度のリスクは一種のサービスだと思えばよい。
もっと不倫をしようと「源氏物語」はけしかけているのかもしれない。
ありきたりの男女交際ではなく、できるだけ道ならぬ恋をしようではないか。
そのほうが秘密をたくさん持てるから生きる味わいが深まることになる。
墓場までどれほど人に言えない秘密を持っていけるかが、
それぞれの人生の味の濃淡の差になるのではないか。
「私」とはなにかといったら、だれも知らない秘密こそ「私」になろう。
あなたと他の人間を分けるものは秘密であるとも言いうる。
藤壺は継子(ままこ)の源氏との密通事件を死ぬまでうちに秘めていたのである。
秘密が生まれるとき、秘密を知るとき、秘密が世にばれるとき――。
秘密を知りながら素知らぬふりをするとき――。
「源氏物語」はよくできた物語や芝居がそうであるように秘密の取り扱いがうまい。

さて、「源氏物語」は恋愛小説とみなされている(いない?)。
とにかくまあ、男女の関係を描いた物語という表現には批判はこないだろう。
果たしてこのような男女関係は恋愛なのか少し考えてみたい。
光源氏による朧月夜(おぼろづきよ)のレイプ事件である。
暗闇で女が近づいてくると、さっと抱きしめて押し倒したのである。
娘が突然のことに驚き「人を呼ぶわよ」と言ったときの源氏の対応がすばらしい。

「まろは、みな人に許されたれば、召し寄せたりとも、何でうことかあらむ。
ただ忍びてこそ」(P95)


おれに逆らえるやつなんていないから、人なんて呼んだって無駄だぜ。
おとなしくしろ。
朧月夜は相手が身分の高い源氏であることを知り、みずみずしい身体を与える。
いったいこれは恋愛なのだろうか? これが果たして恋愛か?
源氏がたくさんの女の身体をもてあそぶことができた理由は、
まず彼がイケメンであったこと、それから生まれがよく高身分だったからである。
「まろは、みな人に許されたれば」(おれはなにをしてもいい)
と思っている出世した高身分のイケメンにあまたの女が惚れるわけだ。
もし源氏がブサイクで水呑百姓だったらば、どの女も相手にしなかったのだ。
ならば、果たして「源氏物語」は恋愛小説なのか?
わたしは、「源氏物語」は極めて「正しい」現代にも通じる恋愛小説ではないかと思う。

恋愛=「男の顔、地位、金」

源氏が朧月夜を口説いたときの歌がいい。
おれとおまえは前世からの縁(=契り/ちぎり)があるんだよ、
と決めつけてしまうのである。
このテクニックはいつか人生で真似したいが、そんなチャンスは来るだろうか。

「深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思ふ」(P95)

朧月夜は政敵の妹だから、これもまた禁じられた恋である。
道ならぬ恋におぼれたふたりは逢瀬(密会/デート)を重ねる。
しかし、ついに秘密が露見するときが来て、
このスキャンダルが原因となって源氏は失脚してしまう。
結果として源氏は華やかな京を離れ、須磨という田舎に引きこもることになる。
不思議な夢を見たこともあり、源氏は赤石の君という田舎娘と出逢う。
赤石の君は気立てはいい子なのだが、身分は田舎インテリの子女程度である。
出世争いに敗れた源氏とはいえ釣り合わないという見方もできなくはない。
心根のいい田舎娘は夜の奉仕活動を怠らなかったのか。
うまうまと玉の輿に乗ることに成功する(この時代の貴族さまは重婚OK)。
ところが、この赤石の君こそアゲマンだったのである。
赤石の君と結婚してから源氏には幸運が舞い込み続ける。
京都では再評価がなされ貴族社会でどこまでも偉くなった。
では、どうして源氏はアゲマンの赤石の君とめぐりあえたのか。
失脚して須磨という田舎に引きこもったからである。
では、なぜ失脚したかというと政敵の妹との恋仲がばれたからだ。
源氏は本能のおもむくままに女に手を出しているが、
それが長い目で見ると結果的にうまくいっていると言えなくもないところが、
なにやら人生の深い真理をあらわしているように思えなくもない。
さて、田舎の娘っ子の赤石の君とはどのような女だったのか。
少女はまるで林真理子のような(性格はきつくないが)野心家だったのである。
田舎の女の子はこんなことを思っていた。
――あたしは田舎ものだから、身分の高い人のお嫁さんにはなれないのかなあ。
でも、ほどほどの人生なんて絶対にいや!
ほどほどで手を打つなら尼になったほうがまし。海の底に沈んだっていい。

「高き人は我を何の数にもおぼさじ。ほどにつけたる世をばさらに見じ。
命長くて思ふ人々に遅れなば、尼にもなりなむ。海の底にも入りなむ」(P133)


赤石の君の身のほど知らずの出世欲はとても好感が持てる。
田舎の少女は少しでも偉くなりたくて、
源氏といういまは落ちぶれた貴族と結婚したのである。
露悪的かもしれないけれど、いまの通俗恋愛結婚だっておなじと言えなくはない。
どれほどの「顔、地位、金」を持った男と結婚できるかが女同士の勝負だ。
赤石の君によって源氏のツキが好転して後の栄華を迎えることになる。

話は変わって「源氏物語」でいちばん好きな女登場人物はだれか?
これで男も女も、傾向性のようなものがわかる気がする。
東大卒のベストセラー作家(お若い奥様も東大卒で作家)の小谷野敦氏は、
いったい「源氏物語」に登場するだれがお好みなのだろう。
どうでもいいわたしの話をすると、玉鬘(たまかずら)がもっとも好きだ。
不幸な生い立ちの美少女である。
源氏とむかし関係のあった夕顔の娘であるため、
流浪中のところ源氏の家に娘のように引き取られる(源氏と血縁関係はない)。
その美少女ぶりは広く知れ渡り恋文がひっきりなしに来る。
なによりよろしいのは玉鬘がイケメン権力者の源氏を振っているところである。
セクハラを仕掛けてくる天下の源氏を、「おっさん、きもいよ~」と袖にしているのがいい。
源氏を振ったのは他に空蝉(うつせみ)、朝顔がいるらしいけれど、
空蝉は一度源氏と寝ているし朝顔は源氏を嫌っていたわけではない。
玉鬘は読み方によっては源氏に無関心どころか嫌っていた気配さえある。
いまは貧乏美少女だから仕方なく玉鬘は源氏の家にやっかいになっている。
しかし、源氏の正体を「顔、地位、金」だけじゃないかと見破っているのが鋭い。
いままで「顔、地位、金」にまかせてどんな女も自由にしてきた源氏は、
玉鬘のほんものを見抜く目にゾッとしたのではないだろうか?
あんがい源氏がいちばん愛した女は玉鬘だったのかもしれない。
このため、いつでも手を出せる状態だったのに美しいものに触れられなかった。
源氏は自分の権勢をもってしても落とせない女の存在に、
そうであるからこその輝きを見いだしたと言うこともできるのではないか。
玉鬘が髭黒(ひげぐろ)の大将と結婚しているのもたいへんよろしい。
髭黒なんていう名前だから絶対にイケメンではなかったはずである。
おそらく髭黒の大将は、優男(やさおとこ)の源氏と正反対のタイプだったのではないか。
玉鬘は外見に騙されないでほんものを見破るちからを持っていたとしか思えない。

しっかし、漫画の影響なのかネットで調べてみたら女って「源氏物語」が好きだよなあ。
ということは、当然、主人公の光源氏が好きなわけでしょう?
源氏は生まれのいいイケメンだから光っているのである。
源氏は地位もあり金もあるから光っているのである。
だとしたら、女は女性誌の内容が証明するように
男の「顔、地位、金」に目がくらむものではないか。
そんな本当のことを言ったらば、男だってと「源氏物語」を証拠として反逆されかねないが。
男はみんな潜在的ロリコン。男はすぐやらせてくれる女が好き。男の理想は一夫多妻。
いやね、男はもっと多岐に渡っていて女ほど一律化していないような気がするけれど。

向上心が目覚めて「源氏物語」を読んだが、いったいなにを得たのだろう。
「源氏物語」は女性誌レベルに女くさくて、そこが評価の分かれるところだろう。
女よりも女々しく女の腐ったような男である自覚があるわたしは、
やはり名作と言われているだけあって「源氏物語」は悪くないと思った。
そんな偉そうなことを思った。
それから、いつか「この人に契りのおはしけるにやあらむ」
と思える人に逢いたいと思った。もう出逢っているのかもしれない、とも思った。
それから、それから――。
紫式部ってほとんど恋愛体験のようなものを持たなかった人じゃないかなあ。

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