「ツキを呼ぶ言葉」

「ツキを呼ぶ言葉」(桜井章一/角川書店)

→運がいいことに(え?)国籍多様な百人以上が働く書籍倉庫でバイトをしている。
仕事上、いろんな人とわずかながら接することができるのがこの仕事の楽しさだ。
国籍性別年代多様な人と関わり合うとわかるのが、運のよさ悪さである。
どうしようもなくその人のツキが見えてしまう。
いままでいっぱい努力をしてきただろうがツキに恵まれなかった人もいる。
この人はツキがあるのではないかと微笑みかけたくなるような人もいる。
日本人女性と結婚してモロッコから来た人なんてツキの輝きに卒倒しそうになった。
いったいツキってなんなのだろうか。
人間の努力なんていうものを吹き飛ばすのがツキのパワーである。
ツキさえあれば、ため息ばかりつく老人にならずに済む。
いまのバイト先で学んだ人間相とツキの関係から、
自分は運がいいと錯覚しているわたしが「正しい」と思ったことを抜粋する。
どういう人にツキは来るのか。ツキが来そうなのか。
あまり努力をしない人である。
ある意味で、自分で考え決定するのを放棄した人にツキは来るのではないか。
受賞歴ゼロで自称麻雀最強のベストラー作家、雀鬼は口を開く。

「現に私などは自分の人生のいろいろなことを
「決めない」で過ごしてきたという印象が強い。
麻雀との関わりだって、自分はこれで行こうと決めたわけではない。
なんとなく関わりができて、
なんとなくそこからいろいろな流れができたというにすぎない。
「決めない」、「決められない」ということには、
それはそれでさまざまな可能性を孕(はら)んでいるのであり、
だからこそ人生は豊かで面白くなるのである」(P87)


「人生どうしようか?」などと迷うのは意識である。
「わたしはなにか?」と迷うのは自意識である。
思い切って意識を手放してしまったらどうなるのだろう。
自己決定権を放棄する。なるようになれ。なるようにしかならん。どうにでもなりやがれ。
すなわち、意識ならぬものを信じる。

「麻雀に限らず、何事も無意識にすると一番上手くいく。
とくにスポーツなどはそうだ。
飛んでくるボールや相手の攻撃に縦横無尽に対応するのは、
無意識に身を委(ゆだ)ねていなければできない話だ。
「生」の自然な流れは、無意識にある。
自分という生命を上手に流していくコツは、
結局無意識にどれほど自分を預けられるかなのだ」(P35)


無意識に身を委ねるとはどういうことか? 意識を捨てるとはどういうことか?
意識は常に損得勘定ばかりしている。
意識を捨てるとは、得をしたい、損をしたくないという下心を捨てることなのかもしれない。
あるときの損が得の要因になるということはいくらでもある。
あるときの得がじつは莫大な損の要因だったと悟る経営者も少なくないだろう。
ものごとをなるべく損得で見ないようにするとツキが来るのではないか。
いまは大きな損害となっている対象がいつ巨大な利得に化けるかはだれにもわからない。
いまのリーダーがじつは業界のガンであることが将来明らかになることもないとは言えまい。
計算するのをやめてみたらどうだろう? 
ビジネスパーソンには難しかろうが、目先の損得勘定を捨ててみたらどうなるか?

たとえば企業の生産性のようなものは、
決して計算式であらわせるようなものではないのかもしれない。
あるツキを持ったパートがひとり入ってくるだけでいくらでも変わりうる可能性もある。
ツキや運は計算式(現代科学)であらわせないからこそ価値があるのではないか。
どうしてだかツキや運を持った人がいる。
おそらく、その人は目先の計算をしない人だろう。
常識(損得勘定)をどこかで捨てた人ではないかと思う。
ツキ評論家で雀鬼の桜井章一もおそらくそう思っているのではないか。
目先を計算をやめよう。
こいつに逆らったら損だからと威張っている先輩に従うのもいいが、
この人は嫌いだなと自分の気持に正直になるのもそれほど悪くないのかもしれない。

「仕事や生活には必要な計算はもちろんいっぱいあるだろうが、
欲がからむような計算は可能な限り外してみる。
計算しないことで人生の展開はきっと変わってくるはずだ」(P173)


会社の生産性(損得)をいくら考えても、あなたの人生とは関係ないのかもしれない。
損得じゃなくつきあえるのが、本当の家族や友人、恋人かもしれない。
生産性を追い求める行為は、あるいはもっともツキを逃がす愚行なのかもしれない。

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