生産性追求の果て

根が仕事人間なのかなあ(えええ?)。
日曜日だというのに仕事のことばかり考えていた。
生意気にも時給850円のパートのぶんざいで。
いま書籍・雑誌の物流倉庫でありがたくも雇っていただいている。
まともな定職をお持ちのみなさまには信じられないかもしれないが、
こういう倉庫では仕事が終わりしだい「帰ってくれ」と言われてしまう。
「◯時~◯時」の定時労働ではないのである。
労基に触れるのか知らないが(あえて調べていません)、
契約上の労働時間、仕事内容を履行していない。
しかし、まあ現実はどこもそんなもんだと思うし、
わたしもふくめてみんなそうだと割り切って仕方がないと働いているのではないか。

マネージャー(責任者)さんの仕事は生産性の向上である。
「生産性」というとなんだかビジネス用語っぽいが要は「急がせる」ということだ。
しかし、われわれパートにとっては急げば急ぐほど早く帰らされて稼ぎが少なくなってしまう。
これは社員さんもわかっていてパートミーティングのときに
この矛盾を正直に誠実にお話になっていた。
旦那が会社員のような安定した収入がある古株女性パートは、
社員さんの口真似で「急げ急げ」と後輩や新入りに偉そうに発破をかけるのかもしれない。
しかし、このパートで生活しているものは、
みんなが全力投球してスピードアップしてしまうと死活問題になってしまうのである。
生活できなくなるものが出て来てしまう。
いつ栄養失調で死んでしまうものが現われても不思議はない。

一度高い数値を出してしまうと、それが基準になってしまうのである。
バイト先は下請けだから上の会社から、もっと早くできるだろうと言われかねない。
その数値を出すのでさえ限界だったのに、毎日限界を求められるようになってしまう。
ひとりひとりの肉体的負担も多くなるのに時給は変わらない。日給は減るばかり。
お互いに注意・監視しあうようになり人間関係がギスギスして精神的負担も増える。
パートは社員さんを恨むようになるだろうし、
そういう負の感情はかならず伝わるから社員の健康をむしばむに違いない。
そうだとしたら、いったいどうしてそこまで過剰に
生産性(速度)を追求しなければならないのだろう。だれが幸福になっている?
ほどほどで手を打ちながらやったほうがよほどみなのためにいいのではないか。

金曜日はけっこうヘビーな間口(持ち場)を振られた。
最近気づいたが、出す書籍の量も大事だが、なにより重い本がしんどいのだ。
重い本を600冊出すのに比べたら文庫1500冊のほうが楽かもしれない。
文字通りヘビーな間口である(年齢のせいか今日もまだ両肩が痛い)。
このため、どうしようもなくライン(流れ作業)でいちばんわたしが遅くなることがある。
もう半年も勤めているから、わたしは左右を見ながら本を箱に入れる。
みんな目を合わそうとしない。
「早くしろ」とも思っていないだろう。
むしろ、本音ではもっとゆっくりやってくれと思っているのかもしれない。
ひとりの古株女性パートの非難がましい視線と目線がぶつかった。
もしかしたらそれは被害妄想で、
本当は「大変ですね」という同情の視線だったのかもしれない(きっとそうだ!)。
しかし、被害妄想が強いこちらは「早くしろ」という意味だと受け取った。

「え? それは違うでしょう?
あなたがこの間口だったら、男のわたしよりも早くやれますか?
それにわたしがこうして時間を使っているからあなたも稼げているわけですよね?
それにあなたは旦那が定収入をお持ちのパートでしょう?
わたしも女に生まれたかったなあ。
ピックをあんまり早くしたら破損をするし、身体を壊しかねません。
そういう非難がましい説教的視線はおやめください」
そう目線で申し上げたら、以降こちらをまったくご覧にならなくなった。
目は口ほどにものを言うから、たぶん通じたのだと思う。

この職場では、もっと新入りをたいせつにしなくてはならないのかもしれない。
新人さんがゆっくりやってくれるからわれわれパートの稼ぎが安定するのだから。
急がせたら新入りさんもあせって辛いだろうし破損も増えるだろう。
書籍ピッキングはみんな落ち着いて自分のペースでやればいいのではないか。
がんばればがんばるほど専業バイトの生活を困窮させてしまう面がある。
短時間パートやダブルワークはきれいごとを言えるだろうが専業はどうだろう?
マネージャーさんは委託会社とパートの板挟みでいちばんお辛い立場だと思う。

金曜日は20時くらいまでかかるのではないかという予想もあったが、
どうしてかみんな異常なほどまじめで18時半に終わってしまった。
すると社員さんは職務上やむをえなくパートさんに帰ってくれと言わなければならばならない。
ある女性パートさんの「あたし、19時まで帰りませんよ」という悲痛な言葉が胸に突き刺さった。
気持が痛いほどわかった。
どうして一生懸命やった結果として稼ぎが減らなくてはならないのか?
ふつう一生懸命がんばったら収入が増えるのが常識というものではないか?
わたしは30分なにもしないで立っていて425円よりは帰宅を選んだ。
社員さんもきっつくねえか。
わたしが社員だったら相手の気持を考えて「帰ってください」とは言いづらい。
言えるだろうが、そんなことをしているとそのうち心が病むだろう。
人からの恨みというものはじわじわと心をむしばむものなのである。
しかし、社員さんも職務上、生産性を追求しなければならない。
こんな汚れ仕事はほかの社員にやってもらいたいというのが本音かもしれない。

いまも偉そうなことはまったく言えないが、入った当初は本当にピッキングでミスをした。
たぶん倉庫最高記録の誤ピックを出したのはわたしだと思う、えっへん♪
ミス(誤ピック/数え間違い)を調べる検品という係りがいるのである。
いつもあたまが上がらなくて申し訳なく思っていた。
しかし、男性ふたりに聞いたらふたりとも「気にしなくていいですよ」とおっしゃる。
最近、理由がわかった。
ミスがゼロになると彼らの仕事がなくなってしまい時間を持て余してしまうのである。
ほどほどにミスがあったほうがいい、とも言えなくはないのである。
いろいろな国籍、性別(男女だけではないですぞ!)、年代の人が働いている。
そこがこの職場の魅力だろう。いろんな人がいてそれでいいのだろう。
やたら仕事が早い人、丁寧な人(遅い人)、
おしゃべりする人がいても歌う人がいてもいい(いるんだよ!)。
お互いに注意しあって監視しあう職場など刑務所以下ではないか。
いろんな人がいてよろしい。
笑わない人がいてもいい。おしゃべりばかりする人がいてもいい。
なぜなら、きっとそれで全体としてうまくいっているのだから。
完全を求めるとだれかの心が病まないともかぎらない。
「正しい」働き方などなく、それぞれがそれぞれの流儀で働けばいいのではないか。
いちバイトとして日曜日にそんなことを思った。「源氏物語」を読むあいまに。

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