学習性無力感

人間のおもしろいところは「なぜそれをしているのか?」
自分でも自分のことがわからないところだと思う。
わたしもいまなぜこのバイト先で時給850円で働いているのかよくわからない。
自分でもなぜそれをしているのかよくわからない。
表面上の回答は、むろん生活のためもあるが
(ならばなにゆえもっと時給の高いところを探さない?)、
世界とはどういうものか、人間とはどういうものかを知りたいから、もあるのかもしれない。
抑えきれない好奇心があるのである。
いまだに百人以上いるパート仲間の名前を新入りもふくめて覚えつづけている。
帰宅するとメモに忘れないように書いて翌朝見直すのだから、おまえは社員かよ?
最近は社員さんのフルネームも覚えて、もしかしたら名は体を表す? という感想をいだく。
ここには書けないこともたくさんあるが(いつか壊れてやけくそで書くかもしれないが)、
長くおなじところで働いているといろいろ明らかになってくるものがあっておもしろい、
と言えなくもない。もちろん、壮大な飽き(退屈)も到来しているけれども。
いまは書かない(書けない)けれども、
昨日なんかたとえ千円払っても見(ら)れないだろう貴重なシーンを目撃させていただいた。
すげえ、すごいぞ、書物ならぬ現実の世界は!
たとえば「学習性無力感」なんていう心理学用語はいくら書物を読もうが実感としてつかめない。
しかし、現実にそういう人を見たら「学習性無力感」がわかるものでもない。
そして、いちばん重要なのは「学習性無力感」というラベリング(レッテル貼り)
になんの意味もないことである。
ひとりの人間はたとえば「学習性無力感」といった心理学用語でカテゴライズ(分類)
されるような存在ではなく、
名字のみならず「美香」や「由美」「光代」、
「努」「正」といった固有の名前を持つ存在であることだ。
こういう理由で「学習性無力感」の説明はいっさい致しません。

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