「お経 日蓮宗」

「お経 日蓮宗」(渡辺宝陽/講談社)

→むかしは日蓮について不用意なことを書くとヤクザより怖いあの人たちから
いたずら電話や自宅訪問を受けたそうだが、
いまはもうすっかり平和になったようだから安心だ。
いきなり要点に入ろう。日蓮系の教団の肝心かなめのキモはどこにあるのか?
わたしの考えではそれは法華経の如来寿量品第十六のここである。
ようよう、おれはみんなから尊敬されているあの釈尊(釈迦)だが、おれは――。

為度衆生故(衆生を度せんが為の故に/おまえらを救ってやるために)
方便現涅槃(方便して涅槃を現ず/作戦として死んだふりをしただけで)
而実不滅度(而も実には滅度せず/しかし、実際はおれさまは死んでいない)


いったいインド人のだれがこんなことを思いついたんだろう?
いつの時代の哲学や科学をもってしても死なない人間はいないはずなのではあるが。
こういう真っ赤な嘘を堂々と自信たっぷりに演説するところが法華経のおもしろさである。
このデタラメ(真実?)をバカ正直に信じることができたから、日蓮は熱くこう語れたわけだ。

「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。
我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(「観心本尊抄」)


いや、ね、その、日蓮さん、たいへん申し上げにくいのですけれど、
釈尊(釈迦)と妙法蓮華経(法華経)はまったく関係ないのですけれども、お気の毒ですが。
しかし、真実は人それぞれで、人はそうであってほしいことを真実と信じるものだから、
釈尊が法華経を説き、がために南無妙法蓮華経と唱えれば功徳がある
――そう信じている人たちがたくさんいるのは善悪で裁くことのできる問題ではない。
けれども、狂信的な日蓮は善悪を自信たっぷりに語ってしまうのである。

「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。
然れば三界は皆仏国也。仏国其れ衰ん哉(「立正安国論」)


「実乗の一善に帰せよ」はないよなあ、日蓮さん。
自分は絶対に善だとかいくら法華経を読んだからといって、そこまで言うかなあ。
だって、そんなことを言ったら、
日蓮親分やその手下以外はみんな悪になってしまうじゃないか。
実際、日蓮一派はそう思っていて悪はやっつけてもいいと乱暴狼藉をふるってきたわけだが。
日蓮グループは内ゲバもひどく、
はたから見たらガキの喧嘩のようなことをえんえんとやっている。
善を語っちゃうとかならず悪が生まれ、善を誇れば誇るほど悪を打ち負かしたくなるのだろう。
まあ、そういう生き方も退屈な日常を生きるよりもあんがい楽しいのかもしれないなあ。
毎日、自分は悪を倒すためにがんばっているとか思えたら生きる張り合いもあるだろうし。

正直、毎日みんな本当につまんなくない?
会社行って帰ってきてテレビを見て、
ニュースでまだ自分より不幸な人がいるのを見て安心する。
生きる目的もないけれど死ぬのは怖くて健康情報があれば飛びついて実践する。
こんなくっだらねえ退屈な日常を生きるよりも、
もしかしたら「実乗の一善に帰」してハッスルするほうが劇的な人生を味わえるのかも。
おれもさあ、こんな味気ない毎日にとことん愛想をつかしている。。
なーんか、劇的なことはないかなあ。
早死にする結果になってもいいから全身の血が沸き立つような行為をしてみたいなあ。
きっとこういう心のすきまにも日蓮の過激な思想が忍び寄ってくるのだろう。
自分が正義の味方になって悪と戦えたら「いい人生」になるのかもしれない。
物語としてはちょっと子供向けのような気もするけれど、いろいろな物語があってもよい。
S学会の人とか毎日「勝負」しているんでしょ(「仏法は勝負」)?
楽しそうで羨ましいけれど真似したいとは思わないんだよなあ。

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