「本当は嘘つきな統計数字」

「本当は嘘つきな統計数字」(門倉貴史/幻冬舎新書)

→これからは統計学の時代だと息巻いている方もなかにはおられるようだが、
わたしは統計学こそインチキの最たるものではないかと疑っている。
統計学への反論はひと言で十分なのである。

「(それは)私じゃないもの!」

じつはこれは山田太一ドラマ「ありふれた奇跡」からの引用である。
子どもが産めない中城加奈(仲間由紀恵)と、
それでもいいからと結婚を望む田崎翔太(加瀬亮)とのあいだで言い争いになっている。

加奈「舞い上がってる翔太さんが醒めたときが怖いの」
翔太「子どもについては醒めてるつもりだよ。
子どもがいらない夫婦なんていくらでもいるし」
加奈「いくらいたって関係ないの。私じゃないもの。
私はいらないなんて思ってない。
自分のせいで産めなくなったことに傷ついてるし、かえって子どもが頭から離れない」
(「ありふれた奇跡」第7話より)



統計数字はみんなの値であって、それは「私じゃないもの」なのである。
たとえば老親の介護で苦しんでいる人がいる。
それは統計データにおいてどのくらいの割合かくらいは出るだろう。
しかし、それぞれがまったくそれぞれで一括りにするのは問題があるだろう。
統計は「私じゃないもの」というほかない。

本書にベイズ理論のとてもわかりやすい説明が載っていたのでそれだけで元を取った。
ベイズ理論とは新しい確率の考え方である。
いまわれわれは一般的に確率をもとにして生きていると言えるのではないか。
人が有名大学や有名会社に入りたがるのは、
そちらの方が「いい人生」になる確率が高いという暗黙の了解があるからである。
病気になったときは典型的で過去の統計を参考にもっとも確率の高い治療法が取られる。
ビジネスの世界でも新しい事業を起こすときは成功する確率の高いものが選ばれよう。
さて、ベイズ理論というのはどういうものか。
間違っている可能性もあるが、わたしの理解できた範囲で書く。
要するに、時間経過とともに確率は変わりますよ、ということだと思う。
いままでは確率は一定で変わらないものとされていた。
しかし、状況の変化とともに確率も変わっていくのではないか、というのがベイズ理論である。
ベイズ理論の根本にある考えは、高確率の選択肢を選ぶのが最適だという信念だ。
人生で言うならば、生きているうちに状況が変化してくる。
かつては高確率だった生き方も状況変化にともない低確率になることがある。
そういうときにかつての選択肢を捨てて新しい選択をしようというのが、
最新確率思考のベイズ理論がすすめる人生作法である。
ベイズ理論がすすめるのは無駄のない効率的かつ合理的な生き方である。
ベイズ理論を信じるならば、人生の目標を大きく掲げるのはよくないことになる。
その場その場の判断で目標を修正しながら生きていくのが合理的で最適な生き方だ。
以下に本書からとてもわかりやすいベイズ理論の説明を抜粋する。
これを読んだとき、ようやくベイズ理論がわかったと感動したものである。
しかし、何度か読み返してベイズ理論はわかりはしたものの、
これはなにやらインチキくさいぞという危険センサーがピカピカ光るのを感じるのだ。
こういうクイズの番組があったとしよう。

「挑戦者は、100枚の扉のうち1枚を選ぶ。
もちろん、この時点で選んだ扉が「当たり」の確率は100分の1だ。
その後、ゲームの司会者は残り99枚の扉の中から、
「ハズレ」の扉をどんどん開いていき、最後のひとつだけを残す。
そして、最後に残された扉と挑戦者が最初に選んだ扉をチェンジするかと聞く。
このような状況になったら、感覚的に考えても、扉をチェンジしたほうが
「当たり」の確率は明らかに高いということが分かるだろう。
ちなみに、最初に選んだ扉が「当たり」の確率は100分の1、
最後に残された扉が「当たり」の確率は100分の99となる」(P105)


じつにわかりやすいベイズ理論の説明だと思う。
著者が理論を本当によくわかっているから、このようにわかりやすく書けるのだろう。
さあ、ここからが問題だ。
「当たり」の確率が99%と1%に分かれるということは、いったいどういうことなのか?
というのも、確率というのは何度も試行してみないと本来は出てこないのではないか。
サイコロのある目が出る確率が約17%なのは、何回もサイコロを振ったときの話である。
一度しか試行できないときの確率はいったいなにを意味しているのだろうか?
よしんば99%と1%という確率が正しかったとしよう。
しかし、1%の確率で「当たり」の出ることもあるではないか。
わたしの人生体験上、確率1%くらいのことならときおり起こっているという実感がある。
みなさまはどうか知らないけれど、わたしは確率1%くらいなら起こりうるという信念を持つ。
ああ、いま書きながら気づいたが、あのクイズ番組の設定なら何度も試行することが可能だ。
実際に実験して確かめることが可能ではないか。
ならば、おそらくやったものがいるだろうから99%「当たる」という数字は正しいのだろう。
しかし、それでも99%にもかかわらず「ハズレ」のこともなくはないのだ。
一回かぎりの人生で引いてしまったら取り返しのつかない「ハズレ」はいくらだってある。
ベイズ理論がみんなの役に立つのはほぼ確実だろうが、
しかし一回きりの人生を生きるあなたやわたしに適用できるかどうかは
やはり疑問と言わざるをえない。

おまけとして本書で知った豆知識を書いておく。
著者は国の借金が増えても大丈夫という説を支持しているようだ。
ほら、いま国民ひとりあたり800万の借金とか言われているじゃん。
あれはいちおうは国の借金ではあるけれど、
実際は国債として日本人に買われているからぜんぜんマイナスではないという。
国の借金であると同時に日本人の資産でもあるのだから問題はないと。
もしそうだとしたら、これを考えた人は天才経済学者かなにかじゃない?
日本はどんだけ国債を発行してもいいって、
無制限で借金できる魔法のカードを持っているのとおなじなんだから。
いつか絶対に思わぬかたちで破綻するだろうけれど、それがいつ来るかはわからない。
だから、自分が死ぬまでのあいだに破綻せずに逃げ切れたらOKなのか。
こんな国債の使い方をした国家経済はいままで歴史上なかったのではないか。
歴史上なかったものは統計が取れないからどうなるかわからない。
そう、ここが統計学の弱点で過去の記録がないものには太刀打ちできない。
で、どんなことにもみんな過去のデータはそろっていると一見思えるけれども、
本当のところ明日起こることは明日はじめて起こる1回だけのケースとも言えるわけだ。
フクシマのあれだって過去の統計がないんだから、
いちばん「正しい」答えはどうなるかまったくわからないになるのだと思う。
同様にわたしやあなたのような人はかつて一度もこの時代、
この国を生きたことがないんだから、あなたやわたしがこの先どうなるかもわからない。
「わからない」ことに耐えられないものが安心を求めて統計学にすがるのであろう。

COMMENT

うちは佐助 URL @
10/27 22:11
羅針盤なき時代. 為になりました。

Yonda?さんに感謝です。








 

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