パートが違う

アルバイト先では13時直前にその日の全員のパート(持ち場)が貼りだされる。
ひとりの例外を除いてみんな本心を顔には出さないが、今日の運不運の分かれ目だ。
なぜなら、あからさまにきついパートと楽なパートがあるからである。
職場の作業員の労働量における上下関係(どちらが楽をできるか)を書いてしまうと、
「女>男」「日本人>外国人」「新入り>古参」というふうになるだろう。
日本人の新入りおっさんとベトナム人のベテラン女子だったらばけっこう複雑である。
わたしがおもしろいと感じているのは書籍ピッキングのパート。
ライン(流れ作業)に入って書籍を仕分けする(箱に入れる)パートのことだ。
職場のパートはどれも単純作業だが、私見ではピッキングだけはうまいへたがある。
そうはいってもしょせんはだれでもできる単純作業だが、
それでもしかしピッキングだけは上達の余地のようなものが残されている。
もっと言えば、美しいピッキングというものがあるのである。
なんと言えばわかってもらえるか、ピッキングにはその人の個性が出るのだ。
ほれぼれするほどうまいピッキングをするベトナム人の女の子がいる。
そういう子でも体調が悪くてあくびばかりしている日はミスを出すのがおもしろい。
ライン(流れ作業)で横の間口(持ち場)が忙しいときは隣が助けることもあるのだが、
この援助の仕方にもうまいへたがあるし、人と人の相性が大きく出てしまう。
総じてやっぱりベテランはうまいのである。

さて、話を最初のパートに戻そう。楽なパートときついパートがあると書いた。
日本人で若くてかわいくて女だったらば、ただ立っているだけのパートにまわされる。
実際そういうシーンを目撃してあまりにもリアルで吹き出しそうになったものである。
わたしは偽善者なのか、きついパートをしてくれる人への敬意のようなものがある。
かといって、自分がそのきついパートにまわされたらば正直いやである。
あのパートに2日連続でまわされたら辞めるのではないかという難所もある。
(どうしてわかるのかというと実際にそのパートを振られたからである。
日本人の女ならばそのパートは振られないから、そのパートの辛さも一生わからない。
痛みは経験してみないとわからないってことさね)
しかし、だれかがそのパートをやらなければ全体として作業がまわらないのである。
どうしておなじ時給850円の非正規作業員として彼を尊敬せずにはいられようか。

この話をバイトとは関係ないある人としていて、はたと気づいたのである。
パートが違うというのはわたしのアルバイト先の話だけではなく、
この世界全体でも言えるのではないか。
人はそれぞれ持って生まれたものが異なる。性別、貧富、美醜、賢愚――。
これはそれぞれパートが違うということではないか。
はっきり言ってどう見ても楽なパートはあるし、
きっつい泣きたくなるようなパートもあるだろう。
うちの作業場ではいわゆる「いい人」ほど逆らえずきついパートを振られることが多い。
もちろん、そうではないケースもあるし現実はいろいろではあるけれど。
この職場に入って通俗的な感動をしたのはラインでパート同士が助け合うシーンである。
助け方にもうまいへたはあるけれど、
上手に助けてもらうと人間のよろしさのようなものをダイレクトに感じる。
しかし、パートは違うままでその人は規定時間内その持ち場を離れられない。
おなじ時給850円なのに不平等といえば不平等極まりない話である。
それぞれのパートをやり抜くしかないし、どうしても辛かったら辞めるしかないのだろう。
バイト先でもすぐ辞める人はいるけれども、近所のスーパーが時給950円なんだから
もしかしたら残っているほうが愚かなのかもしれない。
それぞれのパートを全体のためにみんなでやり抜く――。
周囲みんながすぐ辞めるだろうと思っていたおっさんバイトが4ヶ月も続いているのは、
やはりこの仕事にそれなりのおもしろさや味わい深さを感じているからではないだろうか。

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