行為の意味

今日うっかり言わないと決めていた「正しい」ことを言っちゃって自己嫌悪で叫び出したくなった。
なんであんなこと言っちゃったんだろう。悪いことをしたと思う。
しかし帰宅の途次、ああ、と先日放送された山田太一ドラマ「よろしくな。息子」を思い出す。
わたしは顔から火が出るほど恥ずかしいことを言ってしまった。
けれども、それが結果的に相手(の人たち)にはプラスになっているかもしれないんだよね。
あのドラマでもバカな女がコンビニ強盗をしようとしたことがきっかけで、
あらゆるめぐりあいがうまくいき決して永続的ではないけれど幸福が出現したわけだから。
自分の行為の意味は自分でもわからない。
これはカント哲学者の中島義道さんが「非社会的社交性」で強調していたことでもある。
われわれはどうして「それ」をしてしまったのかじつのところわからないのかもしれない。
そのうえ、行為の意味は自分が思ったのとは正反対の結果になっているかもしれない。
しかし、人がいいよなあ。考えすぎだって。
だれもおまえみたいなおっさんのことなんて気にしていないから安心しろと
自分に何度も言い聞かせているのだが、しかし自分で言うのもあれだが、
やはり世間知らずのボウヤというか(悪い意味で)お人好しなのだろう。
わたしって自分が思っているよりもはるかに善人オーラが出ているのではないか。
さすがに芥川賞作家の西村賢太先生ほどではないだろうけれども。
他人は自分のことになんか興味がない、
というのは山田太一さんから教わった真理に近いもののひとつである。
自意識過剰な人は自分の行為をくよくよ反省するが、
それはひとりよがりというもので、実際は相手は自分のことなんてなんとも思っていない。
そう思うと気が楽になるなあ。
明日は中島義道さんの「時間を哲学する」を読むことにしよう。
じつはジェイコムから録画している山田太一ドラマもたまりまくっているんだ。
シナリオですでに読んでいるものばかりだから、どうしても優先順位が下がってしまう。
いや、行為の意味が自分でもわからないならば、
見るべき「とき」がまだ来ていないのかもしれない。そういう考え方もできる。

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