「野心のすすめ」

「野心のすすめ」(林真理子/講談社現代新書)

→もうさすがに時効だろうと書いてしまうが、
むかし林真理子先生の傑作小説「下流の宴」の映画シナリオを依頼されたことがある。
あのころは野心たっぷりの若者だったから、
天下の直木賞選考委員の小説を好き勝手に書き直してテーマまで変えてしまった。
「下流の宴」は一流信仰と努力主義に満ちたとてもおもしろい小説だった。
わたしは生意気でとにかく野心に燃えていたので、
努力して得るものは得ても(医学部)失ったもの(恋人)のほうが大きいぞ、
と言うなればテーマを反転させてしまったのである。一流なんてくだらねえと。
プロデューサーさんは「いくら好き勝手に書いていいと言ってもこれは違う」とお怒りに。
「自分の言ったとおりに最初からぜんぶ書き直してください」
と言われ、考える時間をいただいた。
そのわずかなあいだにどうやら見切られたようで仕事の話は終わってしまった。
思えば、ニャハ、あれが人生で最初で最後のチャンスというやつだったのかなあ。
いまの月収に近いくらいお金もくれたもんなあ。

その後しばらく友人から、もったいない、もったいないとしきりに言われたものである。
1年後くらいにも言われた。「食い詰めたとでも言って、
なんでもいいから仕事をくださいってあたまを下げればいいじゃない」
そのときは若くて野心があったから、そういう大人びた社交はできなかった。
プロデューサーさんと話したことはいまでも記憶に残っているけれど、
まあユニクロ論争とでもいうべきものがあった。
わたしは一流が嫌いなようなところがあって、一生ユニクロ上等という考えだった。
それに対してプロデューサーさんは、一流のブランドもののジーンズはやはりいいと。

「野心のすすめ」のテーマもこれであろう。
若者よ(おいらはもうしょぼくれたおっさんだが)、もっと野心を持って一流を目指せ。
わたしはいまでも一流がどこか好きになれない部分があるのだが、
インチキ心理屋の河合隼雄さんから「どっちも正しい」という姿勢を学び、
一流には一流のいいところがあるのかもしれないと思い始めている。
だって、現実として一流の格好をしていないと女の子をデートに誘えないもんね。
まあべつにもう女は、たとえ三流の女でもあきらめたという野心レスなところもあるけれど。
いやしかし、きっと一流も一流でそれなりにいいところがあるのかもしれない。
だがだが、一流の人間とか一流のブランドはどうしてもまだちょっと抵抗感がある。
けれど、うーん、二流くらいなら、うん? うん? うん?
おれの野心はいったいどこへ行ってしまったんだあ!

褒め言葉ってたいせつだよね。
他人から褒められた言葉を人は一生覚えているのではないか。
林真理子女史も辛いときどれだけ人の褒め言葉が支えになったか本書に書いている。
思えば、くだんのプロデューサーさんもだいぶぼくなんかのことを褒めてくれたなあ。

「自分を信じるということは、
他人が自分を褒めてくれた言葉を信じるということでもあると思うんです」(P89)


それからやっぱり臥薪嘗胆、切歯扼腕の気持がたいせつなのだろう。
いまのおれ、野心はどうなっているんだろう。
基本、仏教の教えは野心(欲望)を捨てろだから。
仏教の勉強ばかりしちゃいかんかったのか。
だけど、欲望でギラギラした創価学会もいちおう仏教だからなあ。
野心を捨てることは大事だが、大きな野心を抱くことも重要なのだろう。

「これは男性にも女性にも言えることかと思いますが、
悔しい気持ちや屈辱感を心の中で一定期間「飼っておく」というよりも
「飼わずにはいられない」状況下で、
その悔しさを醗酵させるだけではなく、温めて孵化(ふか)させた人たちが、
野心を実現できるのではないでしょうか」(P148)


いま倉庫で書籍出荷のアルバイトをしているけれど林真理子の本がよく出るんだ。
文庫本の「白蓮れんれん 」が山のように出ている。
林真理子は異性だし、ああいう人だから嫉妬することはない。
しっかし、若いやつのくっだらねえ本を出荷していると
「悔しい気持ちや屈辱感」がふつふつと込み上げてくるのを感じる。
いつかこの倉庫から自分の手で自著を出荷したいなんて野心を持ってしまう。
あきらめる達観も必要だけれども、あきらめきれない執着にも価値があるのだろう。

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