「よろしくな。息子」

8月24日、山田太一ドラマ「よろしくな。息子」を視聴する。
なんでもそれぞれ1話完結の「おやじの背中」シリーズの第7話らしい。
恥ずかしながら、こんなシリーズをやっていることさえ知らなかった。
(いやあ、おじさんは東出昌大←なんて読むの?クンも知らなかったよ……)

さすがは山田太一先生で1時間にもたらぬ時間、
なおかつ少ないシーンで「人生そのもの」を描いているのでたいそう感激した。
さっきバイトから帰ってくるとき、ああ、とこのドラマのことが思い出されて涙が込み上げてきた。
うまいよなあ。
しつこいけれど、こんな短い時間で山田太一さんは「人生そのもの」を描けるのか。
職人だと思う。日本国宝レベルのドラマ職人である。

「人生そのもの」とはどういうことか。
見た人にしかわからない書き方になるかもしれないが、
25歳でコンビニのバイトをしている東出昌大は3年も経たずに会社を辞めている。
通常ならば3年も我慢しないで大学まで卒業させてもらって(たぶん)
就職した会社を辞めてしまうなんてバカげたことになるだろう。
老人は詳細を知らないだろうが就職活動というのがなかなかたいへんな代物で、
新卒至上主義の日本でせっかく入ることができた会社を
3年も経たずに辞めるなんて9割の人は非難するのではないか。
しかし、そうなのである。
極論を言っているわけではなく、見たままそのままに、
東出昌大が3年で会社を辞めたから渡辺謙と余貴美子が結婚することができたのである。

東出昌大は上司やその周辺からことごとくいじめられて会社を辞めたという。
せっかく就職できた会社を辞めてしまったら、いまの時代一生非正規雇用かもしれない。
25歳の青年は周囲の顔色をうかがうのがいやで会社を辞めたという。
これでよかったという。いまのコンビニバイトでも食えるし「途中」だという。
人生「途中」の東出昌大は自分の判断で行動したいと思った。
だから、コンビニ夜勤中に柴田理恵が錆びた包丁を出したとき警察に通報しなかった。
大手コンビニも大手スーパーもいまはすべての接客がマニュアルである。
だれに対してもおなじことをいわなければならない。
わたしがむかしコンビニ夜勤のバイトしていたときはさすがになかったけれども、
いまはたぶん強盗が来たときのマニュアルもあるような気がする。
どのくらいの金額を渡せというマニュアルもあるのかもしれない。

しかし、東出昌大はマニュアルにしたがわなかった。
上司のいじめに負けてヘラヘラするように、
マニュアルに頼ってみなとおなじことはしたくないと思った。
いったいなにが「正しい」答えなのだろう。
強盗だってそれぞれだろう。強盗っていっしょくたにしていいのだろうか。
気の弱そうなおばさんが震えながら錆びた包丁を出したら、それでも強盗なのか。
「女の強盗なんか見たくない」と思った東出昌大は「やめようよ」と諭す。
包丁を捨てた柴田理恵を無罪放免する。
それどころか3千5、6百円なら貸せるとまで申し出る。

このシーンをたまたま見ていたのが、古車が趣味の高級靴職人である渡辺謙である。
渡辺謙は、東出昌大の母親の余貴美子と見合いをしていた。
断られたがあきらめきれないで息子の東出昌大をこっそりのぞきに来ていた。
渡辺謙は東出昌大の「裁き」に感動して自分は靴職人だが弟子にならないかと誘う。
これが機縁になって渡辺謙と余貴美子が再会するわけである。
結果として、渡辺謙と余貴美子の幸せいっぱいムードを余韻に残してドラマは閉幕する。

このドラマのどこがいちばんすごいかといえば女強盗の柴田理恵のあつかいだ。
大衆ドラマ作家の山田太一のことだから、
嫌味たらしくいえば「最後は全員集合」で柴田理恵を再登場させるのかと思った。
しかし、柴田理恵は最初だけで最後まですがたを見せない。
どういうことかというと、
柴田理恵は自分のなした恥ずかしい「小さな悪」の意味を知らないままだということである。
柴田理恵にとったら勇気を出してコンビニ強盗までしたのに、
逆にお情けをかけられて世間知らずのボウヤから数千円を渡されそうになったことは
一生の汚点で、これから何度も何度も思い返して、
そのたびにギャアアと叫びたくなるような最悪の記憶だろう。
しかし、彼女にとっては最低の行為がだれかの幸福に結びついているのである。
柴田理恵は知らないが彼女の恥ずかしい「小さな悪」がだれかを幸せにしている。
これって「人生そのもの」ではないだろうか。
自分の行為の意味でさえ本当は人間ごときには知りえないのかもしれない。
渡辺謙はいう。

「めぐりあいって、そういう神のいたずらのようなところがあるんじゃないか」

最後はハッピーエンドっぽかったが、あれもまた「途中」である。
どちらも仕事人間である靴職人の渡辺謙と看護師派遣業の余貴美子が、
そうそううまくやっていけるわけがないではないか。
25歳の世間知らずのボウヤが厳しい靴職人の修行に耐えられるとはかぎらない。
ほんものの人生にハッピーエンドはなく、喜びも悲しみもすべてが「途中」なのである。

ほめてばかりだと逆に感想の信憑性がなくなったら困るので(?)、
多数派が対象のテレビドラマにこれをいったら皮肉になるが、
ふざけて冗談半分で正論(!)を振りかざしてみよう。
渡辺謙は「バイトなんかやるよりいいだろう」と弟子になって靴職人修行をしないかと誘う。
もし東出昌大が本当に自分のあたまで考えられる青年なら、ここで疑問に思うのではないか。
青臭い正論だがどうして、
いったいどういう理由でコンビニバイトより靴職人のほうが高尚なのだろう。
「ぼくは誇りをもってコンビニでバイトをしています」
という青臭い回答もあってもいいのではないか。
それは一般常識からして1足100万円以下の靴はつくらない、
海外経験もあり知識も豊富な有名職人さんのお弟子さんほうが
コンビニバイト風情よりは比べものにならないほど偉いだろうけれども。
女はそういう男の肩書(将来性?)に敏感で、
コンビニバイトを辞めたらすぐに東出昌大に恋人ができるのはリアリティがあってよい。
もっとも本当はむかしから交際していたのかもしれないからわからない。
親にだって(むしろ親相手だからこそ)嘘をつくのが人間というものである。

ささいなところだが、ほかにもなぜかいいと感激して涙腺がゆるんだシーンがある。
看護師の人材派遣の請負をしている余貴美子が老人ホームで看護婦に声をかけるシーンだ。
「いま施設長、あなたのことすごいほめていた」という。
人の気持に敏感だよなあ。あなたのおかげでとやるわけだ。
それに対して派遣された看護婦が笑顔で「嬉しい」と応対するのも本当にいい。
いまは5人の看護師が余貴美子から派遣されているという。
いまに「10人だって派遣できるようになりますよ」
と仕事にやりがいを感じている看護婦が余貴美子にいうのである。
あまりよくわからないけれど、
働く喜びってきっとあるんだろうなとボウヤのような発見をした気分になった。

あんまり感激ばかりしているのも噓くさいかしら。
それではと書いておくが、へええ、
老人ホームの事務長(?)って100万円以上の靴を買う余裕があるのかなあ。
山田太一はすぐに人の足もとを見る庶民を好んで描くが、靴職人というのはそのままである。
余貴美子が渡辺謙の高級和車に見入っているシーンも人の足もとを見ていて笑えた。
それにさ、これは目をそむけたい現実だけれど、
渡辺謙が見合いで断られたのにあきらめないのは自分に自信があるからなんだなあ。
はっきりいって靴の世界では有名人だし金も持っているという自負が行為につながっている。
あれが渡辺謙の顔ではなくて、稼ぎもよくなかったら余貴美子も相手にしない。
リアルだよなあ。しかし、まあ、そんなもんだ。そんなもんさ。
「人生、そんなもの」という「人生そのもの」のありようを
山田太一は「よろしくな。息子」でじつにうまく描いているのではないかと思う。

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