「夏の終り」

比較文学者でベストセラー作家の小谷野敦さんがアマゾンレビューでほめていたので、
2013年公開の瀬戸内寂聴原作の映画「夏の終り」をジェイコムで視聴する。
こりゃたまらん、大嫌いな熊井啓の映画よりもひどいわい、と30分を残してギブアップする。
この秀逸な文芸映画を理解できなかったのは、
もっぱらこちらの鑑賞能力不足と人生体験の未熟のためであろう。
たかだか2時間くらいの映画さえ最後まで見(ら)れない自分の根気のなさがいやになった。

映画というのは絵画系のものと演劇系のものに大きく分かれるのではないか。
つまり、絵画を楽しむように目で味わう映画と、
演劇を楽しむように耳で味わう映画のふたつに分類されると思う。
どちらが王道かといえば、おそらく絵画系ということになるのだろう。
ところが、わたしは絵画のみならず彫刻、建築といった視覚美術全般を味わう能力がない。
もっとわかりやすくいえば美しさを見抜く眼力がない。
もっともっと下卑たことをいえば、とびきりの美人を見てもあまり胸ときめかないのだ。
ふーん、(よく知らないが)AV女優みたいだなあ、とか思ってしまう。

瀬戸内寂聴原作の映画「夏の終り」は男2女1の三角関係を描いた映画のようだ。
登場人物たちがとにかくしゃべってくれないので意味がわからず困った。
3人ともやたら無言シーンが多く、意味ありげな演技をしていたような気がする。
ふつうの観客は美男美女の色気のようなものに酔うのかもしれない。
わたしは「おまえら言葉に出して話せよ。黙っていたらわからないだろう」
と映画鑑賞中ずっとプンプン怒っていた。
もちろん怒っていただけではなく、恥ずかしいことを白状すると自分以外の人間が怖くなった。
なぜなら、みんなはおそらく相手の顔を見ただけで気持をお察しできるのだろうから。

映画の心理描写はナレーションか俳優の顔芸に頼るほかない。
一般にナレーションは低級で顔芸は高級とされているようだ。
本作では満島ひかりという女優がやたら深刻で意味深な顔芸を披露していたが、
人の気持が決定的にわからない鈍感なわたしはさっぱり理解できないのである。
たぶん相手の顔を見て気持を察し合う遊戯をみんなは恋愛と言っているのだろうと思う。
ならば、このすぐれた恋愛映画を楽しめない当方は欠陥人間になるはずだ。
当世では恋愛とやらがなによりも上位に位置する人生行事になってしまったようだから。

傑作映画「夏の終り」はわたしを打ちのめしたといってよい(最後まで見てないくせに!)。
正直にいえば、自由に恋愛に生きる女性は格好いい、
といった瀬戸内寂聴先生が率先して広めた価値基準に反吐が出そうになったが、
国民的作家のみならず東大卒の恋愛研究の碩学・小谷野博士が推薦する映画である。
豊富な人生経験どころかろくな学歴さえ持たぬわたしのほうが間違っているのだと思う。
映画「夏の終り」はたいへん勉強になる映画であった。
我慢して最後まで見(ら)れなかったのは、おそらく勉強が嫌いだからだろう。
思えば、わたしは相手の表情から気持を読むという学習をしてこなかった。
俳優の無言の顔芸にただただ恐怖し退屈したのはこの勉強不足ためだと思われる。
このくだらぬ記事をお読みのお若いみなさんにはわたしのようになっていただきたくないので、
下に映画と原作の広告をはっておく。どうかお勉強して立派な大人になってください。

COMMENT

- URL @
07/18 11:23
小谷野敦. 私は二度観て原作も読んで寂聴の伝記も調べてやっと理解できました。
Yonda? URL @
07/18 23:23
小谷野敦さんへ. 

だから、ぼくも小谷野さんのほうが正しいと思ったんですよ。
おそらくそうでしょうから、小谷野さんは正しい。
おそらくいつも、たぶん絶対――。
小谷野さんとぼくの意見の相違があったら、つねに自分は間違っていると思うようにしています。
先生の未読の本をいまけっこう積ん読しているので読むのが楽しみです。
これからもファンを楽しませてください。応援しています。








 

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