「心理療法」

「雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 心理療法」(矢幡洋/PHP)

→暇つぶしに安手の一般書を読む。副題は「古今東西の100のセラピーを網羅!」。
心理療法(セラピー)は100以上あるらしいが、ひとつ似通っているところがある。
スタートは、発明者の偉人(なんですか?)がとにかく個人的な事情で苦しんでいること。
彼(あ、彼女はいないような気が)は苦しみを癒そう治そうと
いろいろな心理療法(=他人の発明)を試すがいまいち効果がない。
結果として自己流の心理療法を編み出し、そこで一定程度の満足(治癒とは言わない)を得る。
ここで立ちどまれば非常に感心できるのだが、
彼は自分の発見した方法(心理療法)を普遍的真実だと勘違いしてしまう。
だれもがこの方法(理論)を試してみたら
自分がそうだったように治ると思い上がってしまうのだ。
また、そうまで自称治療者が思い込めない(信じられない)心理療法は、
現実として他人に効かないのだろうから困ったものである。

よくわからないが、心理療法はセラピストがどれほど自分の方法を信じているかによって
当面当座の効果が大きく変わるような気がする。
いまは元祖のフロイト先生もインチキだとばれかけているが、
現実の怖いところは(フロイトの理論というよりもむしろ)
フロイトの物語、フロイトの自信(狂信)は多くの神経症患者を実際に治したことである。
かかった患者としてみればフロイトは神さまのような存在だったことだろう。
ユング理論は(おもしろいが)ほとんど患者に効果がなかったという話も聞くが、
まあユングのすごさは日本の河合隼雄を結果的に生みだしたことに尽きよう。
ユングはどうだか知らないが、われわれの河合隼雄は確実にわかっていたと思う。
なにかの心理療法(他人の発明)が効くのではなく(効く場合もあるだろうが)、
それぞれがそれぞれの発見をしたときにクライエントは人生に折り合いをつけることを。
それぞれがフロイトなりユングなりアドラーになればいちばんいいのである。
可能ならば自己流、一人一流、それぞれの真実を発見するのがもっともよろしい。
とても難しくなおかつ時間もかかるのだろうが、
その人だけの物語(=世界=現実=リアリティ)を見つけられたらいちばんいい、
というのが師のユングよりも優秀な河合隼雄の心理療法だったように思う。

じつのところ師のユングとおなじで河合隼雄の治療統計結果は闇に葬られている。
どのくらいの人がいかほどの早さで治癒したかの記録が残っていないのだ。
もしかしたら河合隼雄はヤブのカウンセラーだった疑いも否定できない。
しかし、優秀なカウンセラーとはなにかという問題がある。
一般的には主訴(悩み)を可能なかぎり早く解消させるのが腕のいいカウンセラーだろう。
しかし、それがいいことかはかならずしもわからない。
どうせ悩みのない人間はいないのだから、また別の症状が出て来てしまう恐れもある。
とはいえ、サービス業としてカウンセラー屋さんを考えたら、
腕がいいか悪いかは症状がいかに効率よく緩和するかでしか測定できないのもまた事実だ。

本書で知った使えそうな心理療法を紹介する。
物語療法(ナラティブ・セラピー)というのがおもしろかった。
悩める人の苦しみの正体といったら、どれも不幸の物語なのである。
不幸の物語の悪循環による果てしない再生産をどのようにストップするか。
慣れ親しんだ不幸の物語からどのように脱出するか。
手っ取り早く言えば、新しい別の物語を作ってしまえばいいのである。
「なにをやってもダメなぼく」という物語があったとする。
永遠に悪循環を繰り返す物語である。

このとき物語療法では、原因を「ぼく」ではなく別のものに設定する。
陳腐な例で説明すれば、それはたとえばメガネのタイプでもいいのだろう。
メガネのせいでいままでよくなかったのだと原因を自分の外に作ってしまう。
これを心理学用語では「外在化」というらしいが忘れてくださって結構。
いままでとはまるで別のメガネをする、あるいはコンタクトをする。
わずかこのくらいの小道具変更でもカウンセラーとクライエントがその物語を強く信じたら、
悩める相談者は新しい物語を生きることができるようになるのかもしれない。
ちなみに精神科医の春日武彦氏はうつ病が治った患者に腕時計といった、
新たな装身具を記念として買うようにすすめているそうだが、これも広義の物語療法だろう。

創価学会はシステム的にかなりすぐれた最高レベルの物語療法を行っていると思う。
不幸な物語に苦しんでいる人に、それは前世からの宿命が原因だと納得させる(外在化)。
これからは勝利の物語を生きればいいと
ご本尊(小道具)まで用意しているのだからさすがである。
物語療法はいかに複数の人間が新しい物語を強く信じられるかが勝負の分かれ目だ。
その点、創価学会は定期的に座談会をやって信心を高め合っているから非常によくできている。
ただし、問題なのはそれぞれの多彩な個性が失われてしまうことだ。
どの人もみんな勝利の物語という同色(三色旗!)のペンキをぶっかけられてしまうのだから。
それでも虚無に苦しんでいるよりは自らを勝利の物語で騙すほうがある意味では幸福だろう。
もうここらへんになってくると好き嫌いの問題になってしまって結論は出ない。
自分だけの新しい物語(=世界=リアリティ)を作るのは非効率的で苦労も多いだろうから、
みんなから愛用されている既成品の勝利物語にどっぷり浸かるのもいいとわたしは思う。

さてさて――。
クライエントをいきなり罵倒するというショック療法めいたセラピーもあるらしい。
これは効くときは効くだろうが、絶対にうまくいく方法ではないだろう。
治療者は絶対にうまくいくと信じていなければ効き目はないだろうけれど。
逆接療法というのもアイロニカルでおもしろい。
たとえば、どもりの人にはもっとどもりなさいよと逆の指示を出すのである。
どもらないようにするからどもるのだから、ときには効果を見せるセラピーになろう。
不眠症にはこれしかないのではないか。
眠らなくてもいい、むしろどれだけ起きていられるかと逆説的に考えると効果がある。

最後に皮肉なことを言えば、もしかしたらカウンセラーは雨乞い師のような存在かもしれない。
旱魃(かんばつ)で苦しんでいる村に雨乞い師が呼ばれてくる。
この老人の評判はよく絶対に100%雨を降らせるのだという。
雨乞い師は祈祷のためにひとり小屋に入る。
これでなんとかなると村民のあいだに希望が生まれ、
ようやく明るい未来が信じられるようになる。
3日後とうとう雨が降り老人は小屋から出てきたという。
村を去った雨乞い師だが、あるとき彼に再会した村民が雨乞いの仕方を尋ねたという。
彼の答えは「なにもしない」であった。
「やまない雨」も「降らない雨」も100%絶対にないのである。
絶望して破滅的な考えになっている村民に希望の物語を与えるのが雨乞い師だったのである。
セラピストはかならず状態は変化するという希望を象徴した現代の雨乞い師なのかもしれない。
彼(女)は小屋のなかでなにかをしてもいいし、
べつになにをしなくてもときによくなるのかもしれない。
なにもしないでよくなることを信じられたら、あるいはそれが最良なのかもしれない。
しかし、凡夫の身にはなかなか希望を信じられないから、
信じるための手法(儀式)としてあまたの心理療法が発明され続けているのかもしれない。
カウンセラーの運がよければブレイクスルー的な奇跡も起こるだろう。
晴れ男や晴れ女がカウンセラーに向いているのか、
それとも雨男や雨女のほうが向いているのかはわからないけれども。
いざ旱魃(かんばつ)のときは雨男がヒーローになってしまうのがおもしろい。
いまは梅雨だけれども、たいせつな日には晴れ女がそばにいてほしいものである。

COMMENT

e URL @
06/19 23:18
. 最相葉月の「セラピスト」は読みました?
Yonda? URL @
06/20 23:30
eさんへ. 

読んでいません。
いまネット検索して読んでみたいと思いましたが高いです。
もっと働けばいいじゃないかと言われるかもしれませんが、
働けば働くほど疲れて本が読めなくなります。
正直、大型書店に行く暇さえいまありません。
いつの日かブックオフでめぐりあう日があるのでしょうか。
とはいえ、もうブックオフでぶらぶらする余裕もないのですけれど。
この状態、セラピストのカウンセリングを受けたら改善しますか?
調べてみたら、カウンセリング1回の料金は、ぼくの日給よりも高いのですね。
わかりませんが、セラピーは金持の道楽なのかもしれません。
これは間違った意見だと自分でも思います。
わざわざおコメント、ありがとうございます。
e URL @
06/21 01:42
お仕事、おつかれさまです。. >わかりませんが、セラピーは金持の道楽なのかもしれません。

そんな事柄にも触れている内容です。
図書館に置いてあるかもしれませんよ。

今、作ってる山田太一さん脚本の新しいTVドラマをココロの支えに
ファイト!
Yonda? URL @
06/28 19:14
eさんへ. 

へえ、そうなんですかあ。今度、機会があったら読んでみます。
おコメント、ありがとうございます。








 

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