「慈雨の音」

「慈雨の音」(宮本輝/新潮社)

→宮本輝は絶対的真理があると思っている。
正しくは絶対的真理があると「信じている」なのだが、
このふたつの大きな違いを作家は理解しようとしないだろう。
なぜなら人生で大勝利した芥川賞選考委員で紫綬褒章作家の宮本輝は、
自分は絶対的真理をすでにかなりのところまで悟っているという揺らぎない自信があるからだ。
自信の根拠は、おのれの大勝利である。どうだ、論より証拠、目を見開かれよ。
結果が出ているではないか。ものども、おれさまの大勝利が見えないか。
宮本輝の信じる絶対的真理は日蓮仏法であり、創価学会であり、池田大作の教えである。
このため、宮本輝は絶対的善も絶対的悪もあると信じている。

作者の自伝的大河小説「流転の海」第六部「慈雨の音」の主人公は、
宮本輝の父を模した松坂熊吾という
誇大妄想にとりつかれた口八丁手八丁のチンピラくずれだ。
本人は大物ぶっているが人目にはイカサマ師程度にしか見えないのだろう。
いまは金がないことを憐れまれて温情から駐車場の管理人をさせてもらっているが、
すぐに手が出る松坂熊吾なる暴力男は職務をまともにまっとうしないでいつも遊び歩いている。
与えられた仕事に満足せず、自分は管理人ごときの器ではないと信じるためだ。
息子も親に似たのか非常識極まりなく、
人様の駐車場でそこらじゅうに糞(ふん)をする鳩(はと)を飼い始めるしまつ。
管理会社のサラリーマンなら仕事として注意のひとつもしなければなるまい。
ところが、宮本輝はこの職務に忠実な善良な会社員を極悪人のような描き方をするのだ。
そのうえで善人という設定の粗暴な自動車修理工に
会社員を恫喝させて作者はひとり喝采をあげている。
これは自分や自分たち(家族、教団)を絶対正義(絶対善)と完全に信じている作家でなければ
書けない描写だろうと身震いしたが、もちろんこの震えは感動からではない。
作者のまったく他人の事情をかんがみない独善思考に恐怖したのである。
じつのところ悪よりも怖いのが正義である。
悪でもなしえない残虐な行為を人(びと)は正義の名のもとに平気で行いうる。
警察しかり、マスコミしかり、新興宗教しかり、
正義を自称する集団から目をつけられたらなにをされるかわからないところがある。
そして宮本輝もまた正義の一員である。宮本輝は正義の人である。宮本輝は正義を描く。

正義の人である宮本輝の知る絶対的真理のひとつは「世法の機微」である。
これは宮本輝の造語で、意味は人情の機微とおなじようなものになるのだろう。
「世法の機微」とは具体的には、恩人には何度も付け届け(贈り物)をすること、
だれかにお世話になったらやむをえない場合は郵送でもいいから謝礼金を送ることである。
世の中でうまくのしていくためには「世法の機微」を知らなければならない。
「慈雨の音」はほとんど全編「世法の機微」を描いたものとさえ言ってもよいだろう。
「世法の機微」とは言い換えたら「世間の常識」や「人間としての礼儀」になる。
作者が信じる絶対的真理のひとつ「世法の機微」は、
あったかい人情のみならず鋭い刃をも隠し持っている。
「あの人は世間の常識を知らないんじゃない」「人間としての礼儀に欠けるわよね」――。
松坂熊吾の一家は「世法の機微」を知っているからすばらしく模範的だという理屈だ。
まだ中学生の少年・松坂伸仁が友人をつくるために小狡く相手に小銭を渡すのだから、
松坂熊吾は毎日のように息子を殴りながらよほど厳しく「世法の機微」を仕込んだのだろう。
「慈雨の音」は学のない夫婦が妙に世知長けたふりをして粋がる気持悪い小説である。
まだ純真であるべき年齢の息子までが、
恥ずかしながらいい年をしたわたしなどがいまだできない、
ませた大人びた処世術をさらりと披露するので、
こうなるとどうしても生まれの差というものを考えずにはいられない。

正義の人・宮本輝が「慈雨の音」で描いている絶対的真理がもうひとつある。
それは創価学会の教義ともつながるバリバリの自力主義、努力主義である。
たとえどれほど悪い星のもとに生まれたとしても、
人間はだれもが正しい努力しだいで人生を切り拓いていけるという真理(信仰)だ。
みずから正しい環境を求め正しい教育(創価の?)を受けたら人間は変わることができる。
これは松坂熊吾と宮本輝の核になっている思考だろう。

「その子が蛭(ひる)になるのも
凶暴な獣になるのも良識をわきまえた上等な人間になるのも
環境と教育次第で、血筋といったものはそれによって冥伏(みょうぶく)
してしまうものだと自分は信じている」(P296)


これはどんな悪しき宿命も転換することができるという、
(ある意味では遺伝子の存在をまったく認めない)創価学会の根本思想である。
人は努力して正しい仏法や「世法の機微」を学べば人間革命を起こすことができる。
人生に負けるようなやつは努力が足らないせいだから、もっともっとがんばれ!
松坂熊吾は古い流行歌の「こんな女に誰がした」というフレーズが嫌いだという。
おそらく池田大作も宮本輝も「こんな女に誰がした」と歌うような女が嫌いなのだろう。
よほど毛嫌いしているのか二度も小説内で敵性思考として槍玉にあがっている。

「暗くなったビリヤード場のなかに、
近くの路地のどこかでかけているレコードの音がいやに大きく聞こえてきた。
昔、流行った歌謡曲の歌詞が、熊吾をひどく不快にさせた。
中学を卒業してすぐに能登から大阪へ働きに出て来て、
電器部品の工場で一日中ハンダ付けの作業に明け暮れ、
安い賃金でこき使われて心身ともに疲弊していたときに、
この「ラッキー」という新しい働き場所を得た働き者の康代が、
従業員思いの[店主の]磯辺に隠して子を堕ろした。
あの娘も、そうやって浮世の片隅の塵芥(ちりあくた)となっていくのか。
こんな女に誰がした、じゃと? てめえでなったんじゃ」(P265)


松坂熊吾にも宮本輝にも壮大な自信があるから、こういう心情をもらすのだろう。
もし自分ならばどんな劣悪な環境に生まれ落ちても清く正しい人生を送れる。
「浮世の片隅の塵芥」になるものは「てめえでなったんじゃ」という自己責任論である。
堕胎経験のある非正規雇用の女性は「浮世の片隅の塵芥」であるという、
まこと偽善のない正直な差別観の吐露でもある。
宮本輝は「仏法は勝負」という創価学会の教えにのっとり努力して人生で大勝利した。
「浮世の片隅の塵芥」(返す返すもすごい本音の差別的表現だ)をだれのせいでもなく、
「てめえでなったんじゃ」と冷たく突き放せる根拠は、
宮本輝が芥川賞作家、紫綬褒章作家に「てめえでなったんじゃ」と信じているからだろう。

宗教啓蒙小説「慈雨の音」のクライマックスは松坂熊吾の大勝利宣言である。
松坂熊吾という男は、いまではお情けで駐車場の管理人をさせてもらっている人生の敗者だ。
堕胎経験のある街角の女給を「浮世の片隅の塵芥」とさげすむ尊大な精神は失っていないが、
いまのところはだれがどう見ても人から同情されるほど落ちぶれた人生の敗北者である。
この松坂熊吾という男もむかしは小商いであぶく銭を稼いでいた時期があった。
そのときの使用人であり弟分であったのが海老原太一という優秀な人材である。
太一はのちに松坂熊吾のもとを去り、自分の会社をはじめ大成功を遂げ、
現在では国会議員に立候補するほどの大物になっている。
独善的で被害妄想が強い松坂熊吾は、
弟分の海老原太一に裏切られたと長らく根に持っている。
これはよくある話である。
かつてちょっとだけ世話をしてあげた人があとで成功すると、
かならずおれが育ててやったのにあいつは恩知らずだと憤慨するやつがでてくるもの。

さあ、この恩知らずの裏切り者を物語作家の宮本輝はどのように裁くか。
いまでは熊吾と天と地ほどにも差がある高身分の海老原太一が自殺したという話にしてしまう。
正義は勝ったのである。どうだ、見たか! 裏切り者はこのような裁きを受けるのだぞ!
このときもしつこく「こんな女に誰がした」の音楽をかけて、
「てめえでなったんじゃ」と松坂熊吾に宮本輝は言わせることで勝利の快感に打ち震えている。
いまは駐車場の管理人にまで落ちぶれた松坂熊吾が、
国会議員まであと一歩だった海老原太一に勝利した。これが宮本輝の描く勝利の物語である。
「仏法は勝負」と教える創価学会の宮本輝の描く物語はこうである。
松坂熊吾は旧知のものの死に際していちおうは善人気取りなのだが、
なお勝ち誇っているところがまこと人間味を感じさせる。
自分を飛び越して大出世した後輩が自殺したときの底の浅い感傷とザマアミロという勝利感を、
宮本輝がこれほどうまく描けるのは
作家がおのれの心中の畜生界、修羅界、地獄界をよく見つめているからだろう。
もしかしたら「正義」は「悪」よりも「地獄」に近いのかもしれない。

「太一よ、なんで首なんか吊ったんじゃ。
そんなお前に、よくもエビハラ通商なんて立派な会社が築けたことよ。
お前も自分の器以上に出世しすぎたのお。
生きちょったら、また何かの縁でお互いに心を通わせるようになって、
ジャンジャン横丁の串カツ屋で立ったままコップ酒を飲みながら、
大将、申し訳ありませんでした、
いやいや、お前の晴れの日に人前で恥をかかせたわしが悪い、
と言い合(お)うて、ふたりで笑える日が来たかもしれんぞ。
大将、あの名刺、破ってしもて下さいと駄々っ子が物をねだるみたいに、
なんでわしに直接頼まんかったんじゃ。
それができたら、お前という人間は大きくなれたのに。
蛹(さなぎ)から蝶へ変われたのに……」(P362)


引用文中の名刺というのは、海老原太一のスキャンダルの証拠である。
いまは敗北者の松坂熊吾はじつのところ勝利者の海老原太一の弱みを握っていた。
海老原太一が自殺した原因も、おそらくこの名刺にあるのである。
正確な因果関係は文中からはわからないけれど、
松坂熊吾が知り合いのチンピラヤクザにこの名刺をハナムケとしてプレゼントしたことが、
海老原太一の自殺と大きく関係しているのは疑いえない。
にもかかわらず、熊吾はいっさい罪悪感や自責の念をいだくことはない。
自殺した旧知の太一に「てめえでなったんじゃ」と言いたげである。
しかし、文面を正しく追うと熊吾がチンピラに名刺をあげたことが自殺の遠因であろう。
では、なぜ熊吾が観音寺のケンというチンピラヤクザにそんな重要な名刺をあげたのか。
たまたま偶然に古くからの知り合いである観音寺のケンと京都駅で再会したからである。
そのときの気まぐれに過ぎない。
そうだとしたら、なぜ自分は京都駅へ行ったのか。本来はべつのところに行くはずだった。
京都駅で観音寺のケンと再会した直後、熊吾は茶屋で回想する。

「道に出している長椅子に腰を降ろし、
熊吾は草餅を二皿と抹茶を註文し、煙草を吸った。
そして、大津行きの列車に乗り換えていたら、
観音寺のケンと出くわすことはなかったのだなと思った。
さして珍しくもない人の世の不思議だが、それにしても、
なぜ自分はふいにあの名刺を観音寺のケンにくれてやったのか。
それが一瞬のいかなる心の動きによるものなのか……」(P173)


この「一瞬の心の動き」をむかしの宮本輝はじつにうまく描写したものである。
(どうでもいいが、この「一瞬の心の動き」を創価学会用語で「一念三千」という)
永遠に通じているところの「一瞬の心の動き」は、
おそらく「五千回の生死」(宮本輝の短編小説のタイトル)と関係しているのだろう。
「五千回の生死」まで視野に入れたらば、「てめえでなったんじゃ」も納得がいく。
だが、いま文壇の重鎮になってしまった大勝利者の宮本輝は、
もはや「五千回の生死」を見通す眼力を失ってしまっているような気がする。
いまの宮本輝にはせいぜい三世(過去世、現世、来世)くらいしか見えていないのではないか。
老いたらば視力を失うのは自然であるから作家の弱視を、
浅薄な自己責任論のように「てめえでなったんじゃ」と裁くことはしたくない。
宮本輝はこの小説で通底音のように「てめえでなったんじゃ」と人を冷たく裁くが、
わたしは善人だからというわけではなく自分が裁かれたくないという狡さのために、
人様を紫綬褒章作家のように「てめえでなったんじゃ」とさげすむことができない。
宮本輝は「てめえでなったんじゃ」を絶対的真理と信じていそうだが、
わたしはそれは疑わしいのではないかと思っている。どちらが真理かはわからない。
もしかしたら「てめえでなったんじゃ」が絶対的真理なのかもしれない。

この小説のもうひとつのテーマに「失うは得る」というものがある。
宮本輝の少年時をモデルにした松坂伸仁は飼っていた鳩との別れを経て、
人生における目に見えない大きなものを得ている。
この松坂伸仁が長じて創価学会入信ののち大勝利の人生を歩むことになるのである。
松坂伸仁(=宮本輝、本名は宮本正仁)はこれから
妻子、文学賞、財産、邸宅、別荘、骨董、孫、紫綬褒章といった多くのものを得ることになる。
「失うは得る」ならば「得るは失う」である。
「慈雨の雨」を読んで多くのものを獲得した宮本輝老人がなにを失ったかがわかった。
目に見えるものをたくさん得ると、そのぶん目に見えない大きなものを失うのかもしれない。
もしかしたら勝つと失うものがあり、負けても得るものがあるのではないだろうか。
それにしても「てめえでなったんじゃ」という言葉は突き刺さる。
この痛みを幸運な人間は人生に勝ち続けていく過程で失ってしまうのではあるまいか。
むかしの宮本輝はいまよりずいぶん人の痛みに敏感だったような気がする。
「てめえでなったんじゃ」と言われたら深く傷つく青年だったような気がする。
青年は作家になり「錦繍」を「青が散る」を「幻の光」を書いた。それだけで十分なのだろう。
他人に多くを望むには、いつの間にかこちらも年を取りすぎてしまったようである。
いつしか勝利と縁がないままに中年になってしまった。「てめえでなったんじゃ」――。

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