意味があると思ったら

まあ真実なんておそらくそんなもんだろうが、
ぶっちゃけ結局のところ「なにもない」のだと思う。
しかし、「なにもない」が真実ならば、
なにかがあるということになり、そうだとしたら「なにもない」も真実ではなくなってしまう。
これはキチガイさんと紙一重の思考だが、すべての現象に意味があると思うのもいい。
今日は不愉快なことがたくさんあったが、
そのぶんだけいろいろ経験したともいえるかもしれない。
職場で怒鳴られたときに怒鳴り返し、相手を殴ろうかとまで思ったらどうなるのか。
親しみをいだいていた先輩バイトさんの過去をうっかり聞くでもなく聞いてしまった戸惑い。
作業着姿の最高マネージャーさんがスーツを着た新規取引先候補に職場案内をしていた。
スーツ男性はこちらよりはるか年下のイケメン。
「作業員」はこのように効率的に仕事をしていますと紹介されてしまった。
まだ新米でぜんぜん不十分なのにたまたま恥ずかしくも。
おれはネクタイをつけてちやほやされるリーマンではなく作業員なのだ。
今日あったいろいろなことを(みなみな些細なことだが、しかし)
すべてが意味あるものだと思いたい。
そう思えたら生きていけるのかもしれない。それがいいのか悪いのかわからないけれど。

COMMENT

ヤンヤン URL @
06/26 07:23
. 意味については私も繰り返し考えてしまいます。結局、私たちが意味を求める時、何らかの心理的報酬、あるいは補償、慰めを求めているのでしょう。何故なら今すでに心理的に充実し満ち足りていれば、けして何かの意味を必死に求めたりはしないはずです。

私はよく思うだけど「意味」とは「色」のようなものでは無いでしょうか。世界に色はそれ自体で実在しません。色は私たちの認知システムの持っている世界の捉え方です。「意味」もそれと同じように、モノそれ自体の属性ではありませんね。モノの属性に対する私たち人間の独特な、あるいは勝手な「評価」を「意味」と呼んでいるのでしょう。私たちは出来事に対して意味はあるのかと問いますが、本当は我々が物事を「意味づける」主体であって、物事の側がそれ自体の属性として意味を保持しているのではないのでしょう。

言い換えれば「意味」とは、私たちの精神が生きて行く上で必要とする心理的な「方便」の一つと言うことです。死者にとってはおそらく「意味」なんて関係ないでしょうね。しかし私たちがよく生きたいと欲すれば、よく意味づける、この方便に熟達することにも価値があるのではないでしょうか。

職場での何事かの経験から、後につながる何かの肯定的な要素を引き出せるか否かは、出来事そのものが保持している属性というのではなく、それに対する体験者の意味付けの技量によるものかもしれません。
Yonda? URL @
06/28 19:32
ヤンヤンさんへ. 

たいへんためになる貴重なご考察をこのたびいただき、
刺激を受けることが多かったです。
まったくその通りだと思います。
嘘偽りなく勉強になりました。
こういう市井の哲学者の方から
ご賢察を頂戴する幸運を得ているおのれが未熟なため恥ずかしでいです。
どうかこれからも貴重なおコメントを期待しています。
でもですね、どんな哲学上の問題よりも難しい問いがネットにはございます。
ヤンヤンさん、あなたのお名前はなんとおっしゃるのでしょうか?








 

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