「風になれ鳥になれ」

CS放送のチャンネル銀河にて山田太一ドラマ「風になれ鳥になれ」を視聴する。
オリジナルは平成10年NHK放送作品。全3話。
大空の風になれたら! 風は無理でもせめて大空を飛ぶ鳥になれたら!
山田太一は人間の潜在的な願いを描くテレビライターである。
主役は親族経営の小規模なヘリコプター会社に勤める50過ぎの操縦士、渡哲也。

ある日、おかしな客が来る。老いた男だ。
定年退職した身だから肩書はない。だが、こう見えても金はあるという。
だから、ヘリをチャーターしてもう一度若いころに登った山へ行きたい。
ひとりで行きたい。妻は死んだ。子どもは異国だ。いまは片足が不自由な身。
本来なら山へは二度と行くことはできないけれど、もう一度だけ好きな山へ行きたい。
もう一度だけ若いころのように山の空気を胸いっぱいに吸いたい。
いざ到着した山で男は、同行した渡哲也と整備長にこのまま帰ってくれという。
それはできないというヘリコプター社員ふたりに、男はおれの気持などわかるかと突き放す。
渡哲也は「死のうとしているんじゃないですか?」と年上の客に指摘する。
自分は「こちらの気持がよくわかる」
「私の気持なんかわかるはずがないじゃないか」とまた突き放される。
「たしかにおれにはわからないだろう。わかるような気がしたんだ」と渡哲也は寄り添おうとする。
山で死のうとしている男は、ある意味では恵まれた人生を送ってきた。
それなりの会社に勤め、それなりの結婚をして、それなりに子育てをした。
しかし、会社を定年で退職して妻に死なれてみると、なんにもない。
「この世は結局、空しい。なにもない」
なにもない、なんにもない、なあんにもない。
山にいる老いた3人の男たちは自分たちの人生がなんにもなかったことを噛みしめる。
そこに3人を心配した若い男女がべつのヘリコプターでやって来る。
渡哲也は死のうとしている老人に問う。
これから人生が始まる若い男女に「本当のこと」なんて言えますか?
渡哲也は「なんかあったんですか?」と声をかけてくる若い男女に笑顔で手を振りこう答える。
「大丈夫! なんにもない。大丈夫!」
風になれたら、鳥になれたら、と思っていた老人は山から戻る際、
ヘリコプターのなかで号泣する。その泣き声を聞きながら、だれもなにも言えない。
(以上、第1話「山からの帰還」)

本当に地上にはなんにもないのだろうか。あれがあるではないか。不幸があるではないか。
幸福なんてどこにもないかもしれないが、せめて不幸があるならなぜそれを愛そうとしない?
第2話のタイトルは「加害者たち」。
不幸というと一般的には被害が連想されようが、山田太一は加害の不幸にも敏感である。
渡哲也はむかし自衛隊のパイロットだった。
部下の妻と惚れあい(肉体関係が)出来そうになる直前、
部下が仕事中の飛行機事故で死んだという。
そういうことがある。嘘だといわれようが、そういうことが実際にあった。
そのうえ部下の日記には上司である渡哲也を尊敬していると書いてあったというではないか。
いまはしがないヘリコプター会社の機長をしている渡哲也は、
そのことにずっと自責の念をいだいている。
離婚した。退職もした。もうすぐ七回忌だが部下の妻とはそれ以来、1回も会っていない。
ところが、6年ぶりに女が会いにくるから自称加害者の渡哲也の気持は揺れるのである。
ほかにも多様な「加害者たち」が登場する。
転校するまえの学校でいじめをして同級生を自殺させてしまった中学生。
遺書には名指しで名前が書かれていたという。
ヘリコプター会社の新米整備士は、数年まえ上京する際、
両親を家庭内暴力で洒落にならないほどボコボコにしたという。
「だれがなにやってんのかわかんないな」
極めつけは、この会社に免許取得のための訓練飛行を依頼してきた若い女性がいる。
父親が県会議員をしている名家のお嬢さまだ。
彼女は父親をナイフで刺した。むろん、事件は表に出ることはなく、揉み消された。
たいがいの物語作家なら父と娘を和解させて終わりにするだろう。
しかし、山田太一ドラマではそうではない。
ナイフ事件のせいで右肩が上がらなくなった県会議員の父親がテレビ画面に登場する。
娘の話す父親像とはぜんぜん異なり、完全に気落ちしてほとんど自分に自信がなくなっている。
このいちおうは被害者の父親がいうのである。こういうのだ。
あの事件はマイナスばかりではなかった。
変な話だが、娘がそれだけ自分に真剣に向き合ってくれていたと思うと嬉しささえあった。
「あのことがなかったら、こんなたくさんのことを考えもしなかった。
感じもしなかっただろう」
さらにナイフ事件をこう表現する。あれは「簡単に解決したくない奥の深い出来事」だ。
このため、お涙ちょうだいのドラマのように、
安易にだれかの善意の引き合わせで娘と再会していいかげんに和解したくない。
そりゃあ、父と娘だから会ったらそうなるだろうが、そうはしたくない。
そりゃあ、テレビは大衆娯楽だからそうしたら視聴者は泣くだろうが、
そうはしたくないと脚本家の山田太一は考えた。
ドラマのラストで働く娘を遠くから見た父親は泣く。ほかにしようがないから泣く。
(以上、第2話「加害者たち」)

山田太一さんって、恋愛を信じているんだろうか、どうなんだろうか?
ときたま山田太一作品を鑑賞しながら、この人、恋愛を信じ過ぎじゃないかと思うことがある。
しかし、信じていないのだろう。いや、信じているのだと思う。せめて信じたいのだと思う。
50男の渡哲也がセンチメンタルにもいい気分でうっとり語った昔話があるでしょう。
自衛官のころ部下の妻と出来そうになったが、うんぬんという話。
ラブロマンスにはかっこうのプラトニックな関係である。
いい気分で彼女の地元、東北を訪れた(しつこいが50過ぎの)渡哲也は現実を知る。
あの女は愛だ恋だのという、うっとりとした話よりそのまえに金がないのではないか。
あの女は過去の事件にかこつけて浅ましくも自分に金を借りにきたのではなかろうか。
番組の最後で、渡哲也のこの邪推は真実であったことが公開される。
しかし、それでも「ひとり」よりは「ふたり」のほうがいいとご両人はカップルになる。
どうしてある関係を「金」だの「愛」だのと二分法で簡単に区別できるだろうか。
「金」も「愛」もどちらともも「正しい」のが「本当」の男女関係というものではないか。
とはいえ、世の中はそんなものだと思っていたほうがいい。
世間さまはそんなもんだから、あまり期待しないようにしよう。
最終話の(ヘリコプター会社の)お客さんは倍賞美津子である。
バブル時代の銀行による過剰融資の結果、自営業の夫を自殺で亡くしている。
バブル期の銀行のせいで愛する夫は借金だらけになり自殺した。
息子はひとりいるがふがいなく、いつも世の中そんなものだといっている。
母親たる倍賞美津子はその息子を情けなく思っている。
その息子は覇気がなく、なにも実際にしようとはしない。すべてが口だけ。
どういうわけか息子が銀行強盗をしようといいはじめた。
盗んだお金はヘリコプターから地上に振りまけばいいではないか。
倍賞美津子は「やろうじゃないの」と返答する。
なぜならば――。いつも息子がいっていたからだ。
しょせん世の中は、そういうもんだよ。世の中、なにがあっても、そういうもんだ。
そんなもんだ。しつこいが世の中そんなもんだ。しょうがない。そんなもんなのだから。
「世の中そんなものだ」が口癖の息子がはじめて自分から銀行強盗しようといいだした。
やってやろうじゃないの!
だが、現実はやはり息子は口だけで銀行からお金の1円も盗めない。
母子の事情を察した渡哲也は、なんとか事を穏便に済ませようとする。
その渡哲也にダメ息子は改造拳銃を発砲して軽い怪我をさせてしまう。
息子の人生は「なんにもない」ものから「なにかある(加害者たち)」ものになってしまった。
あたかも「それでもいいのではないか」という脚本家の無意識の声が聞こえてきそうである。
渡哲也はまるで罰でも望んでいるかのように自責的に、
(拳銃を持つ)倍賞美津子の息子に繰り返しいう。
「できないことを誇りにするんだ。できないことを誇りにしろ」
飛躍するが、誇り(自信、プライド)はたいせつだ。
もし渡哲也がいうよう「できないことを誇りにする」ことができたら――。
勉強ができないことを誇りにしたらいい。仕事ができないことを誇りにしたらいい。
恋愛はいいものだろうが、恋愛ができないことを誇りにするのもまたいいではないか。
この地上もいいが空に飛び立つのもまたいい。「風になれ鳥になれ」
空もいいが地上もまたいい理由は人は「ひとり」ではなく、ときに「ふたり」になれるからだろう。
(以上、第3話「ふたり」)

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