「貧乏するにも程がある」

「貧乏するにも程がある」(長山靖生/光文社新書)

→副題は「芸術とお金の“不幸"な関係」。要するに芸術は食えないということだ。
で、なにをして食っていたんだということを著者は主に文芸方面から攻め込んでいる。
世間のことにはまったく疎いけれども、
芸術家に(自称のみならず他称にも)まちがっても聞いてはいけないことは、
なにをして食っているんですか? だということはわたしでも知っていることだ。
その世間のタブーを破るのが本書なのだろう。
芸術というものは、いうなれば暇と金が作るものだと思う。
暇と金がなければ、なかなか芸術への眼が開かれない。
芸術へとりつかれると人は自分も創作を行なうようになる。
で、この時点において問題になるのが芸術の受け手が極めて少ないということである。
いくら個人が芸術作品なるものを完成させても、
世間の大衆は金や暇がまったくといっていいほどないので
(幸運にして金があるものはたいがい暇がない)、その価値がわからないままに終わる。
したがって、芸術家(文学者)は食えないので芸術を捨てるか餓死するかの選択に迫られる。
――と考えるのが常識人の浅さだと傑作たる本書を読んで気がついた。
金がなくなった芸術家(文学者)はどうしたらいいのか。
芸術を捨てて生活のことしか考えぬ賃労働者になるか、餓死(自殺)するしかないのか。
いな、もうひとつの第三の道があるのである。それは――、借金のようだ。
本書によると、借金はいろいろと文学志望のもののために都合がよろしいとのことである。
家に財産がなくても、働かなくても、ヒモになれなくても、
もしあなたがどうしても芸術(文学)というフィクションの世界に生きたいなら、
借金があるではないか。

「借金は「ドラマ」を創り出す。だから人生にドラマを求める人間は、
借金をするなり、借金をされるなりするのがいい。
するとその人の人生には、否応なくドラマが生まれる。
[内田]百閒も[夏目]漱石も、どこかでそれに気づいていた節がある。
借金魔が愛されるのは、そこにドラマがあるからで、
読者は他人のドラマが好きなのだ」(P120)


著者は著書多数にもかかわらず生活の安定のために歯科医をしている文芸評論家だ。
長山さん、もしあなたも人の迷惑をかえりみず借金をする恥知らずで厚顔な勇気があったらば、
ちんけな文芸評論家ではなく芸術家(文士)になれていたのではないか。
いや、著者が歯科医の本業を持っているのは、おそらく営業をしたくないからだろう。
どこぞの安っぽいライターのように出版社にすがる乞食にはなりたくなかった。
たぶん、いやまちがいなく著者は自分のことを「作家」だと思っているはずである。
長山靖生氏は自分のことをライターではなく「作家」だと思っている。
ならば、「作家」とはなにか?

「作家というのは、待つのが仕事だといった作家がいる。
取材をしたり、資料を集めたり
自分の実人生でさまざまな破綻や危機を経験したりというアクティヴな面もあるが、
それらを踏まえた上で、主題が熟成して小説になるのを待つのが、
いちばん大切な作家の仕事なのだという。
だから、作家は家などでごろごろしている時が、
取材中よりも真剣に努力している場面なのだという。
仕事を仕事として成立させる場面でも、同じことがいえるらしい。
作家というものは、本質的に自分から売り込みをするべきではないし、
ましてや自分から資金を出して、映画の自主製作よろしく、
自費出版したりしてはいけないらしい」(P99)


あと一歩なのである。著者は作家まで、文学まで芸術まで、あと一歩なのだと思う。
ぜひとも著者の書いた小説を読んでみたいと思う。
そのためには歯科医という安定した職業を捨てたほうがおもしろみが俄然出る。
いざとなれば借金をすればいいではないか。
才能ある著者にはいまからでも遅くないので、文筆一本に賭けていただきたい。
繰り返すが、いざとなれば借金があるし、
借金をしたらしたでそこで生まれるのがドラマだから、それを書いたらいいではないか。
もう歯科医とか文芸評論家とかいう、くだらぬ肩書は捨ててしまってもいいのではないか。

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