「冥土めぐり」

「冥土めぐり」(鹿島田真希/河出書房新社)

→皮肉でもなんでもなく芥川賞を受賞するにふさわしい佳作だと思う。
テーマのはっきりしているところが万人受けしやすいところだろう。
文学賞も結局は多数決の世界だから、
一部から熱烈に愛されるものよりも嫌われないものが陽の目を見ることが多いのは、
もはやそういうものだと思うしかない。
モヤシ男の書いたインチキ暴力レイプ小説などよりよほどいい。
現代文学にかぎれば、これは認めたくないが、男よりも女の書いた小説のほうがいい。
理由はおそらく、男はくだらない観念や思想で小説を書くのに対し、
女はパートの時給感覚を失わぬままに自分の言葉を追及しているからだろう。
「冥土めぐり」も作者のなまの言葉がじつに心地よかった。
こんな小説を読んでいる工員やスーパー店員がいたら、
どんなに人間全般が信じられることか。
いい小説だからこそ、わたしの感覚との相違を書きたくなる。
強調したいが、これは著者とわたしのどちらが正しいというわけではない。
芥川賞作品「冥土めぐり」は善悪がはっきりしすぎているのがわたしには不満である。
この作品において善は脳卒中かなにかでベジタブル(植物、草食)に近づいた夫。
反対の悪は、世間の評価に振り回され、虚飾の贅沢や散財を好む母や弟である。
たしかにそういう意見はもっともだと思うが、あまりに善悪を断定しすぎる。
わたしも著者とおなじで俗物的な価値観は大嫌いだが、
そういうものの見方にもまた一理あることも最近知ったので複雑である。

ともあれ、芥川賞作家の鹿島田真希氏の主張を紹介しておこう。
読書家はみな気づいていないが、世の中の大半の人は本なんて読まないのである。
1年に実用書の10冊でも読めば立派なくらいといってよい。
世間の99%の人は課題図書でもないのになんの役にも立たない小説を読んだりしない。
いくら芥川賞作品とはいえ、ネットの評判だけで語るのが忙しい日本人なのだ。
これはみんな忙しいのだからやむをえないことだと思う。
わたしもいまちょっとばかり忙しいので著者の顔さえ検索していない。
さて、芥川賞作家の鹿島田真希氏が叩くのは、むかしの価値観にとらわれた幽霊である。
むかしの一流ホテル、一流ブランド、一流グルメ、一流になる夢――。
あらゆる一流なるものは、いうなれば幽霊ではないか。
一流の幽霊なんかよりも脳卒中(?)で赤子のようになった夫のほうがいい。
世間よ、おまえらにアッカンベエだ!

「本当に辛いのは、死んだのに成仏できない幽霊たちと過ごすことだ。
もうとっくに、希望も未来もないのに、
そのことに気づかない人たちと長い時間過ごすということなのだ」(P47)


ならば、どう生きよと芥川賞作家は言うのか。
「冥土めぐり」の主人公、奈津子はどう生きているのか。

「奈津子はすっかりあきらめていた。なにもかもあきらめていた。
そして、自分の身に起こる、理不尽や不公平、不幸について、
なぜそんな目に自分が遭わなければならないのか、よく考えることもしなかった。
なるべく見ないようにして生きた。
それは直視しがたいことであり、もし見てしまったら、
血すらも流れない、不健全な、致死の傷を負うことになると知っていたからだ」(P48)


あきらめて生きていたら、
なぜかいまをときめく一流の芥川賞作家になってしまった鹿島田氏の叫びだ。
めんどうくさいのでプロフィールもろくに見ないで稚拙な感想文を書いている。
いまちらっと見たら、ああ、見なければよかった。
一流の成功者である著者とわたしは同年生まれであった。
くうう、こういうことを知っちゃうと、いろいろあきらめきれねえぜ。

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