「ウソの論理」

「ウソの論理」(ひろさちや/中公文庫) *再読

→35年まえの本だが名著だと思う。宗教ライターひろさちや氏の原点ではないか。
ウソに対する考察がじつにおもしろいのである。
ひろ氏はウソのおもしろさをよく知っている。
・歴史上、どこかにウソをまぎれ込ませたらウソが踏襲されて本当になってしまう。
・よく効く薬だと小麦粉を丸めたものを与えても病気は治ることがある。
・高層ビルの作業員は命綱が取れていても教えてはならない。
・「ぼくは人生で一度もウソをついたことはない」というウソ。
・悪だくみがあってもばれないあいだはウソではないこと。
・狼少年のようにばれてしまったら、いくらウソをついてもウソにはならないこと。
・「真理は言語によって伝達できない」は言語によって伝達しているという矛盾。
・これは「私はウソつきだ」とおなじパラドックスである。
・このパラドックスを解く方法が書かれていたがバカのためよく意味がわからなかった。
・「隠すより現る」。本当のことを隠そうとするからウソが生まれる。
・しかし、そのウソによって本当のことがばれることも多々ある。
・戦中の新聞の日本大勝利のようなウソは、
報道する側がそうすることが「正しい」と思っているため始末が悪いこと。
・人間はそれが「正しい」と思えばいくらでもウソをつける怖さ。
・ひとつの事件を目撃した複数の人に報告させたら、どれも異なっている。
・ならば、本当の「正しい」歴史なんてあるのか?
・立場が違えば、おなじ写真でも人は違ったものの見方をする。
・人間はみずからの意見・欲望・願望でもって世界を着色しているところがある。
・色覚異常(色盲)の人はウソをついているのか?
・色覚異常の人は他人とは異なった色を見るが、それはウソではないこと。

ひろさちや氏は色覚異常なのだが、先生のおもしろさの源泉はここにあるようだ。
ひろさんには白に見えるものが奥さまには青に見えることもあるという。
このとき色覚異常のひろさんはウソをついているのか。
正真正銘、真実としてひろさんには白に見えているのだからこれはウソではない。
果たしてこういう問題は正常者と異常者のあいだにのみ発生するのか。
もしかしたら、すべてにそういうことが当てはまるのではないか。

「正常者どうしのあいだでも、二人の人間が同じ色を見ている保証はないのである。
二人の人間は、いつだってそれぞれの色を見ている可能性がある。
そのことを、わたしはここで改めて確認しておきたい。
人間はそれぞれ勝手な世界をつくりあげている。
だとすれば、いったいなにが真実なのか?
そして、同じことだが、なにがウソであるのか?」(P212)


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