「狂と遊に生きる 一休・良寛」

「狂と遊に生きる 一休・良寛」(久保田展弘/中央公論新社)

→むかしは入門書から分け入って最後にそのものに到達することが多かった。
このところはいきなりなんの予備知識も持たずにそのものに触れようとしている。
どっちがいいのかは人それぞれだろう。
いきなり一休宗純の「狂雲集」を読んだときは狂いっぷりに吐き気を催した。
こういう手軽な入門書を先に読んでおけばよかったのだが、どちらがいいかはわからない。
著者は坐禅ファンのようで、一休の「坐禅は地獄」を反語的に受け取っている。
あれは坐禅のすすめであって、
達磨を超えるほど坐禅に打ち込めという内容なのだと主張する。
本当に解釈は人それぞれだとびっくりする。
あれをそういうふうに解釈する人がいるのかあ。
どの解釈が正しいというわけでもないと思う。どちらも正しいのだと思う。
著者は論争を好まない常識人とお見受けしたが、もし論争になったら肩書が勝負を分ける。
絶対にないだろうが著者から反論メールをいただいたら、
肩書が著者のほうが上だから「先生が正しいと思いますよ」という返信を出すだろう。

どうやら常識人の著者は一休よりも良寛のほうが好きらしい。
一休には80ページしか当てていないのに良寛には130ページ費やしている(おおよそ)。
おそらく権威主義の人ほど「権威嫌い」の一休を好むような気がする。
完全に出世をあきらめたような人には、
一休の「狂」よりも良寛の「遊」のほうが心地いいのだろう。
わたしは一休のほうが好きで良寛はどうにも苦手だが、
どちらの人とつきあいたいかと問われたら良寛ファンの落ちぶれた常識人である。
もとより、著者がそういう人だと言っているわけではなく、
久保田展弘さんは出世したご立派で博識な学者さんで本書も参考になることが多かった。

巻末に著者と宗教評論家のひろさちやさん、精神科医のなだいなださんの鼎談がある。
ひろさちやさんとなだいなださんの険悪な雰囲気がおもしろかった。
ひろさんもおもしろいが、なださんもおもしろかった。
なださんによると、釈迦が出家した理由は不安だという。
王子に生まれて、美男子で健康、金もあり、美しい妻がいて、子どももできる。
このように幸福だとあとは失うだけだということに気づき不安になったから
釈迦は出家したのだという説を精神科医は持ち出してきている。
なるほど、そういう解釈もできるなあ。
おそらく解釈(感想)に正誤はないのだろう。
おもしろいものとつまらないものに分かれるだけだと思う。
なだいなださんの一休・良寛への評価はこうだ。
精神科医はなんにでも不安を見るのがおもしろい。

「一休・良寛のいちばんの特徴は、
偉いお坊さんのところに行って弟子として修行して、
上の人に認められてだんだん出世するというのではなくて、
自分自身の心のなかで解決しなければならない問題を持っていた。
強い不安みたいなものをもっていて、それを解決しなければならなかった」(P238)


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