「一休 その破戒と風狂」

「一休 その破戒と風狂」(栗田勇/祥伝社)

→一休宗純を見ていると真実がわかったような気がする。
絶対的真理というのはたしかに存在して、それは小さな箱のなかに納められている。
代々みんながみんなその箱を重んじてきた。
一般の人にその箱が公開されるのは、1年に1回だけである。
箱を見た人はみな、ああ、本当に絶対的真理があるんだなと口々に安堵の声を上げる。
箱の中にはなにが入っているんだろうと議論にいそしむ人もいよう。
箱のふたを開けるのは50年に1回だけ、たとえば天皇陛下のような方がご覧になられる。
箱の中身をご覧になった陛下は、ひと言「うむ」と発して深く頷かれるわけだ。
その天皇陛下を見てみな安心してバンザイ三唱のようなことをする。
ある夜、怪盗二十面相のようなとんちの天才が数々の障害を乗り越え箱のまえに来る。
男自身もまさかこの絶対的真理の箱を自分が開けられるとは思っていなかった。
開けていいのかと一瞬ためらったのち、ガキの悪戯のような気分で真実の箱を開けてしまう。
絶対的真理が入っていると代々伝えられてきた箱の中にはなにも入っていなかった――。

この天才的泥棒が風狂の人、一休宗純ではないかと思うのである。
ちなみに諸経の王と呼ばれる法華経もまさにこの構図を持っている。
法華経は、ここに絶対的真理が説かれていると言いながら最後までそれを明らかにしない。
法華経こそ絶対的真理だが、真理の内容はどこにも書かれていないわけだ。
このことに気づいたとき、たしかに法華経は真理を説いてると感動したものである。
真実や絶対的真理――坊さん用語では「悟り」というものもおなじではないかと思う。
絶対的真理はたしかに「ある」のだけれども、しかし「ない」のである。
たとえば禅宗は中国の達磨(だるま)が元祖だとされている。
しかし、一休宗純はこともなげに達磨を批判している。
インドから中国に来たという達磨は面壁九年(めんぺきくねん)の結果、
悟りを得たとされている。
壁のまえで9年坐禅(ざぜん)をして真理を体得したというのである。
この真理が代々伝えられ、その33代目が一休宗純だという(本書253ページ)。
一休宗純は著書「骸骨」の冒頭で達磨の面壁九年を批判している。

九年まで させん(坐禅)するこそ 地獄なれ
こくう(虚空)のつちと なれるその身を


意味は、9年も座禅するなんてバカじゃないのか、どうせ死んで土に還るんだからさ。
おそらく、一休宗純は達磨がもしかしたら実在していないことに気づいていたのではないか。
絶対的真理というものはそういうものである。
坐禅には本書の著者である栗田勇さんも否定的なようだ。
根拠は「中国仏教の大家」鎌田茂雄氏が同席した講演会でそう言っていたというのである。
具体的には――。

「私は軍隊にとられて人生を無駄にした。
次に坐禅でさらに人生を無駄にした」(P304)


この直後に鎌田茂雄は死んでしまったという。
ここに絶対的真理というものが象徴的にが現われているような気がする。
真理というのは結局のところ権威(肩書)なのである。
鎌田茂雄は(わたしはこの人がやたら説教くさいので嫌いだが)元東大教授で、
晩年には天皇陛下から勲三等旭日中綬章を賜っているがために偉く正しいのである。
勲三等旭日中綬章受章者が「坐禅は無駄」だと言っているからそうに違いない。
しかし、鎌田茂雄も坐禅に夢中になった時代があったはずである。
そのときは坐禅こそ重要で意味があると思っていただろうし、
あるいはそういう発言が刊行物に残っているかもしれない。
「坐禅は無駄」というのは栗田勇さんがそう聞いただけで記録にはおそらく残っていまい。
本人はもう死んでいるから発言を取り消すことはできず、
それがある種の権威をおびた真理として流通してしまうのである。
きっと一休宗純も若いころにさんざん苦行である坐禅をやったことだろう。
その結果、64歳のときに一休は「坐禅は地獄」と本音を言い放ったのである。
もしかしたら50歳くらいまでは坐禅にも意味があると思っていたかもしれない。

真理とはこういうものなのである。どういうものか?
真理は正統性を権威(肩書)に依存せざるを得ない。
一休宗純は天皇の隠し子であるがために、みんなからちやほやされたところがある。
さらに一休さん自身の考え(真理)も年代ごとに変化しているのである。
もしそうだとすれば、88歳で死んだ一休宗純の最後に言った言葉が絶対的真理になろう。
しかし、「自戒集」(62歳執筆)、「骸骨」(64歳執筆)はどうなる?
もし一休が63歳で死んでいたら悪口だらけの「自戒集」が真理になっていたのである。
このことから、一休さんほどの人でも「そのときの真理」しかないことがわかるだろう。
ならば、いわゆる絶対的真理も「そのときの真理」にすぎないのかもしれない。
一休宗純の「遺偈(ゆいげ/遺言の詩)」が大徳寺塔頭真珠庵に残されているという。
栗田勇さんの訳とともに紹介したい。
虚堂(きどう)というのは一休宗純がたいへん尊敬していた中国の坊さんである。

須弥南畔 須弥南畔(しゅみなんばん)
誰会我禅 誰か我が禅を会す
虚堂来也 虚堂(きどう)来るもまた
不直半銭 半銭に値いせず
 東海純一休 東海純一休

須弥山の南のほとり
誰に我が禅がわかろうか
生涯を賭けた虚堂、「虚堂七世孫」を名乗ったが、
その虚堂とも今は解き放たれる、わしの禅。
  日本の一休


これはこのブログ記事の最初に書いた隠された真理の構造そのままであろう。
「おれは絶対的真理を知っているけれど、それはだれにもわからない」である。
絶対的真理を自称するが内容は説かない法華経とおなじやり口である。
決して卑怯なわけでもずるいわけでもない。
真理(真実)というのはこのような形式でしか示せないのだと思う。
あらゆる真理は「そのときの真理(=嘘)」だと一休は言いたかったのではないか。
そうであるならば、ほとんど生涯にわたって権威を毛嫌いしていた一休が、
81歳で大徳寺住持になったのもまったく矛盾していないことになろう。
なんのことはない、一休は81歳になって権威もまたいいものだと思ったのだと思う。
権威も必要悪だと割り切り火事で焼け落ちた大徳寺再建のために一肌脱いだのだろう。

一休宗純にはもうひとつ有名な遺言がある。
88歳になる一休さんが死に際して「死にとうない」と言ったというものだ。
著者の栗田勇さんはこのことを源豊宗という人から教わったという。
なんでも光悦の記した「本阿弥行状記」にそういうことが書いてあるとか。
これはもしや水上勉の「一休」とおなじで偽書ではないかと疑ったが、
栗田勇さんは文学者(嘘つき)ではないらしい。
ぜんぶ実在したから、おそらく本当のことなのだろう。いや、嘘でもあろう。
88歳にもなって「死にとうない」など一休さんは茶目っ気たっぷりではないか。

さらにもうひとつ本書には書かれていないが、
一休さんの臨終にまつわるおもしろいエピソードが残されている。
一休さんが弟子たちに、自分の死後、
どうしようもなく困ったことがあったらこれを見なさいと封書をわたしたという。
師匠の死後、弟子たちが喧嘩になり一休の本当の教えを知ろうと開けたら――。
「大丈夫。心配するな。なんとかなる」と書いてあったという。
いくら調べてもこの出典はなく、ある人が講演会でふと思いつき一休さんの言葉にしたら、
いかにも一休さんの言いそうなことだと聴衆の反応がよかったので、
その後も一休さんの言葉にしているという真実をネット上で発見した。
さらに膨大な時間をかけていったいだれが「大丈夫。心配するな。なんとかなる」を
一休宗純の言葉にしたか、書物の山とネット世界をくまなく分け入り調査した。
結果、真実が判明した。
あの一休さんの言葉を作ったのは、宗教評論家のひろさちや先生だったのである。
ひろさちやさんの本はわかりやすくていいが、
栗田勇さんの「一休」もとても平易に書かれており十分期待に応える読書であった。

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