「一休を歩く」

「一休を歩く」(水上勉/集英社文庫)

→本当は伝統仏教のお坊さん全員に言えるのだけれど、
とくにことさらなかんずく禅僧がなぜ偉いのかよくわからない。
なんでか知んないけれど、禅では衣食住が否定されるわけでしょう。
禅は貧相自慢のようなところがあるのではないか。
どれだけのあばら家に住み、いかにつぎはぎだらけの衣裳をまとい、
何日食うや食わずでいられるかの我慢勝負のようなところが禅にはあるので理解不能。
そんな我慢比べの勝利者がどうして偉いとみなされるのか禅の世界はさっぱりわからない。
一休が師事した禅僧も我慢比べが好きな人たちだったので、こう言っているのである。
どうしてそんなに食べないことが偉いのか?
なにゆえ雨もりする家に住むのが偉いのか?
いったいどういうわけでボロボロの衣服でコスプレをすることを好むのか?
どうせどのみち本音では毎日のようにいつか出世して豪華な法衣を着て、
みなのまえに出て尊敬されることを夢見ているのではないか。

禅僧などより、たとえば一休を肴(さかな)にして金を稼ぎ高名を得て、
別荘つきの美酒美食、モテモテ快楽生活を満喫した水上勉先生のほうがよほど偉いと思う。
偽善だらけの禅僧よりも、むしろ快楽を肯定する創価学会の池田大作さんのほうが
何倍も素直に思えてしまう(当方は学会員ではないですけれど)。
どうせ死ぬんだから我慢比べに命を賭けるよりは好きなことをしたほうがいいのでは?
まさしく一休宗純が批判を恐れず自由気ままに好き勝手にしたようにである。
谷崎潤一郎賞作品「一休」から13年後の本書で水上勉は過去をやんわり否定している。
「一休」では偽書まで捏造(ねつぞう)して
森女を乞食放浪演歌歌手に仕立てあげていたのに、
NHK関連の本書では女を資産家出身の巫女(みこ)ではなかったか、
と多数派に迎合している。こういう処世術が禅寺出身の作家らしくてよろしい。
禅の世界ではいかに建前のきれいごとを装うかが出世の分かれ目なのだろう。
禅寺の裏側はいかに上司に気に入られるかが勝負の境い目だ。
禅寺出身の水上勉が文壇の天皇陛下、小林秀雄の寵愛を得たのは、ある意味必然であろう。

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