「一休文芸私抄」

「一休文芸私抄」(水上勉/中公文庫)

→一休は果たして本当に後小松天皇の落胤(らくいん/隠し子)だったのだろうか?
この問題はかなりのタブーをふくんでいると思う。触れてはならない部分である。
一休が後小松天皇の子どもだという根拠は、
じつのところ文献的にはそれほどたしかなものとは言いがたい。
東坊城和長の「和長卿記」、弟子の書いた「一休和尚行実」「東海一休和尚年譜」である。
だからとすぐに一休を天皇の子であると即断するのはどうかと思うのだ。
「和長卿記」は一休には子どもがいたなどと書いているトンデモ本である。
そのうえ一休の息子は父親から直々に正伝を受けている、などと書いてあるのだから。
ところが、一休自身は自分はだれにも
印可(悟りの証明)を与えていないと「自戒集」に記している。
それから弟子の書いた「一休和尚行実」「東海一休和尚年譜」もうさんくさい。
たいがい宗教においてトップは伝説化されるから、
もし一休禅師が天皇の落胤だったら弟子たる自分たちの格も上がると考えたのではないか。

そもそもすべてはペテン師一休の策略だったかもしれないではないか。
天皇家とはなんら関係もないのに酔っぱらってあることないこと語った可能性はないか。
皇室の権威をうまく利用して一休が偉くなったら(大徳寺住持)、
今度は天皇家が一休の権威を借りようと一休を落胤だと認める。
あんがいこれが現在、一休の墓を宮内庁が管理している理由ではないかと思うのである。
当時は遺伝子を用いた親子鑑定なんでできなかったのは言うまでもない。
権威というのは単一では存在しえず、相互に依存することで高め合うものものだ。
鎌倉時代の武士は権威を求めて中国から伝わった禅宗と手を結んだ。
同様に室町時代に勃興した商人はこれまた権威を求めて参禅したのだと思う。
そうなると禅は権威を得たことになるから、この権威をもって最高権威の皇室とつながる。
禅宗と皇室のいわば権威の橋渡しをイカサマ師の一休がやったという解釈もできるのである。
これは言ってはいけないことだが、なにゆえ天皇家が偉いのかはよくわからない。
しいて答えを言うならば、
むかしから偉かったから(1)、みんなが尊敬しているから(2)である。

ここで最初に話を戻すと、本当は天皇の子でなかったとしたら、
にもかかわらずそれでも果たして一休は偉いのかどうかだ。
一休は天皇の隠し子だということで結局は好き勝手なふるまいをできたところがある。
たしかに天皇の息子だと考えるといろいろつじつまが合うことが多い。
伝説によると一休の母は皇室でいじめを受けて野に下り一休を産んだという。
不遇な皇子である一休は自分は天皇の血を引くものだという強いプライドを持った。
このため、数々の奇行をしたのだと解釈するとわかりやすい。
現代でもそうだが有名人の子どもはいろいろ難しいのだろう。
どれだけ周囲から評価されても、それは親の七光りではないかというゆがんだ考えを持つ。
めったにないだろうが、有名人の子どもだからという理由でいじめられることもあろう。
いったい天皇の血筋ということはどういうことなのか?
もし一休が本当に天皇の隠し子だったとすれば、そのことを考え抜いたに違いない。
目に見える貴賤、美醜、賢愚など空(くう)にすぎぬというのが一休禅の教えである。
般若心経の言うところの色即是空である。
だとしたら、天皇の権威は否定せざるをえず、
自身が皇子であるというプライドも持ってはならないことになる。
とはいえ、一休宗純は皇室礼賛が大好きなまこと俗物めいた禅僧であった(「狂雲集」)。
そのくせ悟ったようなまことうさんくさい教えを
本書に収録されている「骸骨(がいこつ)」で説いている。
どんな身分高き貴人も美しき女人も骸骨にすぎぬと言い放つのだ。

「そもそもいつれの時か、夢の中にあらさる[あらざる]、
いすれの人かかひこつ[骸骨]にあらさる[あらざる]べし。
それを五色の皮につゝみて、もてあつかふほと、男女の色もあれ。
いきたへ[息絶え]、身の皮破ふれぬれは、その色もなし。
上下のすかた[姿]もわかす。たゝ今、かしつきもてあそふ皮の下に、
このかいこつをつゝみてもちたりと思ひて、此(この)念を能くこうしんすへし」(P32)


「何事もみないつはりの世なりけり
死ぬるといふもまことならねば」(P40)


にもかかわらず、一休宗純は天皇の権威を否定しなかった。
自分が不遇な皇子であることに異常なまでのプライドを持っていた。
どうせどちらも骸骨にすぎぬのに醜い女ではなく美しい森女を愛した。
この矛盾が一休宗純のおもしろさなのかもしれない。
ふつうの禅坊主ならば、もちろん恐れ多いから天皇家の否定はしないだろうが、
それでも美人にとらわれないポーズくらいだったら取り繕(つくろ)うのではないか。
一休は醜い女よりも美しい女を好んだ。肉を食らい酒をたらふく飲んだ。
なぜならばこれまた般若心経になるが、
色即是空(目に見えるものに実体はない)のあとに「空即是色」と続くからである。
空(実体がない)というのも嘘で、美醜、貴賤、賢愚はあるがままに存在している。
色(見かけ)も嘘だが、空(実体がない)も嘘であるとしたのが一休の禅だと思う。
このため、いまの人権社会からしたらとんでもない発言を一休はしているのである。
この実態を知ったら、いわゆる「一休さん」のファンはいなくなってしまうのではないか。
じつのところ、一休さんはたいへんな差別主義者だったのである。
一休宗純は庶民に分け隔てなく禅の教えを説いた高僧ではなく、
癩(らい)病患者や穢多(えた/被差別部落民)をあからさまに差別していた。
天皇家を崇拝する一休宗純は、同時に癩病患者や穢多を下に見てバカにする男だった。
一休宗純の「自戒集」を読んでこの男はひどいやつだと思ったものである。

一休のライバルといえば同門で出世した兄弟子の養叟(ようそう)である。
一休宗純は「自戒集」のなかで世渡り上手の先輩である養叟をボロクソに言っている。
その誹謗中傷の仕方がまこと差別的で人間性を疑われるものなのである。
どういうことか。養叟は癩病で死んだ。養叟の禅は穢多のようなものだ。
まるで2ちゃんねらーが匿名でやるような誹謗中傷を一休は実名でやっているのである。
癩病患者が差別されていたのは、いまの若い人は知らないかもしれない。
癩(らい)病はハンセン病のことで、かつては業病(ごうびょう)と差別されていた。
全身が化け物のようになる癩病は、過去の悪業がたたったのだと差別の対象になった。
穢多(えた)も姿形こそ一般人とおなじだが、悪業ゆえ汚れていると忌み嫌われた。
一休がやったことはどれほど悪魔的か。
売れない役者が人気俳優に嫉妬して、あいつは部落出身だぜ、と言うようなものである。
だれかが不運にも交通事故に遭ったのを仏罰が当たったとあざ笑うようなものである。
本当にあの一休さんがそんなことを書いているのか。書いているのである。

化者養叟捨豁舩 唱門禅与穢多禅
四条河原新開号 虎菊門下送官銭

養叟元蒙唱門号 転位入得穢多中
手物払子有牛尾 何事索話忘却洪


どちらも正確な意味はわからないけれど、
要するに養叟門下は穢多の禅だと言っているのだと思う。
お偉い天皇陛下さまのご落胤で庶民に大人気の一休さんの正体は、
「あいつは穢多だよ(笑)」と口走るような男だったわけである。
癩病(ハンセン病)差別もしっかりしている。

「養叟カ癩病ハ一休和尚ノ無住榜ニ、
法罸[罰]にアタリテ癩病ヲウケントアリシカ、
果シテ三年メニ癩病ヲウケテ死ス。(……)
一休ノ筆ニハ養叟ヲ法罰ト記ス」(P103)


アハハ、あいつは恥ずかしいハンセン病で苦しみ悶えながらおっ死(ち)んだよ、
ザマアミロ、仏罰だ、笑えるねと庶民に人気の一休禅師は書いているのである。
ちなみに高僧の養叟が亡くなった理由はハンセン病ではないという記録が残っている。
一休宗純はライバルが死んだときに偽善的に涙を流す高僧ではなく、
ザマアミロと高笑いする非常識極まりないキチガイ(あえて使う!)だった。
それどころか死後に相手の悪評が高まるようデマまで流す悪質な坊主だったのだ。
どうですか、みなさん? 一休さんを嫌いになりましたか?
わたしはここで人生ではじめての疑問が沸き起こってきたので驚いた。

なぜ差別をしてはいけないのか?

いままで一度もこの疑問を抱いたことはなかった。なぜ差別はいけないのか?
もちろん、差別はいけないことだと知っているが、なぜいけないのかはわからない。
生まれてきたときから当たり前のようにそう教わってきたが、なぜかはわからない。
突然のショックにネットで検索を繰り返したが答えは出てこなかった。
「自分がされたらいやだろ?」「なら、おまえを差別するぞ」――。
このくらいしか答えは出てこなかったような気がする。
わたしは差別する人をみっともないと思うから差別が嫌いだった。
大学時代の先輩が嬉々として部落差別をするのを見て、格好悪いと思ったものである。
しかし、なぜ差別をしてはいけないのかはわからない。本当にわからない。
日本国内では差別は隠されているが、海外ではあからさまである。
むかしベトナムのハノイで中国ビザを取ったとき、差別に驚いたものである。
中国大使館で日本人、韓国人、中国人、ベトナム人はみな行列をさせられるのである。
ところが、白人旅行者は行列をしないで優先して中に入れるのだから。
むかついて大声を上げて抗議したら、なぜかわたしだけ白人待遇になった。
さすがにここで突っぱねるとビザをもらえなくなりそうなので大人しく従ったものである。

差別されるとむかつくし、差別はしたくないが、なぜ差別がいけないかはわからない。
そのうえ実際のところで差別していない人はいないとも言いうるわけだ。
一回も美醜、貴賤、賢愚、貧富で人を差別したことがない人がいたら挙手をお願いしたい。
結婚相談所で男なら高収入者が、女なら若い美人が有利なのはどういうことか?
偽善を廃せば、みんなだれもが(もちろんわたしも)差別しまくっているのである。
人は他人を平等に扱うことはできないということだ。
結婚や就職なんてその最たるものだが、
それ以外でもわれわれは一刻一刻差別しているのだと思う。
結論は差別はいけないが、人は生きていくうえで差別せざるをえぬもので、
さらに論理的に突き詰めて考えるとなぜ差別がいけないのかはわからない。

ゲスな話をすると、やたら弱者の味方をする素振りを見せるのはどこかで偽善者くさい。
いかにも善人ぶった優等生的な高身分のお坊さんが笑顔で「みんな平等」と言うのは本当か?
だったら、おまえ、弟子からタメ口を使われても怒らないのかって話だよな。
「みんな平等」とか表で言っているものほど裏ではそうではないことを、
実体験として知っているのはわたしだけではないと思う。
偽善を嫌う一休宗純の考えは、たしかに「みんな平等(色即是空)」だが
同時に「みんな不平等(空即是色)」もまた真実であるとするものだったと思う。
表の建前は「みんな平等」だが、裏の本音では「みんな不平等」である。
一休宗純は「みんな平等」ときれいごとばかり言う偽善者が大嫌いだったのだろう。
「みんな平等」も本当だが、「みんな不平等」も本当だろう。
どっちも本当なら、「みんな平等」も「みんな不平等」も嘘になるはずである。
みんな嘘ならば、出世した世渡り上手を穢多呼ばわりしてもいいと一休は考えた。
みんな嘘ならば、ライバルの死に関してデマ(嘘)を流してもいいと思った。
みんな嘘であるならば、死もまた嘘なのだから。ふたたび――。

「何事もみないつはりの世なりけり
死ぬるといふもまことならねば」(P40)


スタートはどこであったか。一休は本当に後小松天皇の落胤かどうか?
「何事もみないつはりの世」ならば、どっちでもいいという結論になるだろう。
一休宗純が天皇の子であるというのも、
本当はそうではないというのも「何事もみないつはり」――。

本書は一休の「骸骨」および「自戒集」の全文が掲載されている。
そのうえこの二作品の作者による解説と、「狂雲集」の紹介である。
水上勉が好きな一休の漢詩に「傀儡(かいらい/操り人形)」というものがある。

抽牽(ちゅうけん)する者(は)、即ち主人公
地水合成して、火風に随う。
一曲の勾欄(こうらん)、曲終って後、
本然の大地、忽(たちま)ち空(くう)と為る。


人によって意味は変わろうが、水上勉による解説は以下である。

「これはくぐつ傀儡の世界を借りてよんだものだが、私には好きな一篇である。
うらで糸をひき、うごかしている黒子がいわば本当の主人公なのだ。
人形どもは、土と水をこねてつくったもので、火と風につきあっているだけのもの、
一曲の舞台が終ると、人形どもも本来の天地にもどって、
あとは空(くう)になっているだけではないか。
何もありはしない。さきほどの舞いは、幻影だったのだ。
一休が人形芝居を愛したという資料はないが、この比喩はおもしろい。
市中をさまよい歩いていた一日に、
河原乞食が演ずる傀儡芝居を無聊(ぶりょう)の顔で見つめていた一休がうかぶ。
案外、この世は、すべて、一曲の人形芝居かもしれぬ。
うらで糸をひき、操る者がいて、人も風も、火もうごく。
操るものは主人公である。その主人公をとっつかまえねばならぬ。
いや、その主人公こそ、求めつづける正伝の正体なのだ。
狂雲もまた狂風に舞っている」(P197)


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