自信がない

めくら勝負で勝つ自信がからきしないのである。
たとえば、ウイスキーを5種類、目のまえに出される。
安いものも高級品もあるとする。
どれが高価なものか当てる自信がまったくないのである。
麦酒、発泡酒、第三のビールでもおなじだ。
ラベル(肩書)を見せられなかったら、どれが高級かとても言い当てられない。
むかし父親からある麦焼酎を高級品とだまされお土産にもらったことがある。
パソコンがいまほど普及していない大学生時代の話だ。
「やはりプレミア焼酎らしくうまかった」と答えたら父はほくそ笑んでいた。
あとになって酒屋でその焼酎を発見して、
安い大衆焼酎だと気づきおのれの感覚の不確かさを知った。
このようなことは自分だけなのだと思いたい。
文芸(小説、詩、評論、短歌、俳句、エッセイ、シナリオ)のコンクールというものがある。
あれらの選者は本当に自由な境地で作品を吟味しているのかどうか、
ゲスな性格のため疑心暗鬼になってしまう。
もし有名作家の文章をそうとは知らぬ選者に読ませたらボロクソに批判するのではないか。
いや、そんなことはないと思いたい。
大半の人間は権威(評判=世間=肩書)になど
踊らされぬ絶対客観視点を持っているのである。
みながみな、わたしのようにラベルがないと味がわからぬ人間ばかりではない。
10年以上もむかしスーパーの半額中国産うなぎを
専門店の国産天然うなぎよりもうまいと思ったわたしは間違えている。
正しいのは国産天然うなぎである。
そして、ほとんどの国民が正しい舌をお持ちだと思うべきだろう。

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