後悔しないために

われわれを縛ってやまない言葉は後悔なのだろう。
絶望や恐怖、不安はみな後悔という言葉が根にあるような気がする。
あのときああしていればという後悔がいまの絶望を形作る。
あのときああする自由があったとしたらわれわれは後悔しつづけるしかない。
過去のみならず未来も後悔の呪縛から逃れることができない。
「将来、後悔することになっても知らないわよ」は母親定番の愛あふれる言葉だろう。
いま血を吐く寸前までがんばっている人たちは、
おそらく将来後悔したくないからだと思う。
言い換えたら母親の「縛り」からいまだに脱出することができていない。
自由があると思うから後悔という言葉が生まれるのである。
過去に選択(行為)の自由があったと思うがために人は後悔のとりこになってしまう。
いま選択(行為)の自由があると思うからこそ将来後悔することを過剰に恐れる。
自由の反対にあるのが宿命(運命)の考え方である。
すべて宿命や運命で決まっているのだとしたら、過去のことを後悔する必要がなくなる。
それは神さまや仏さまが決めたことなのだからあきらめるほかない。
もし宿命や運命で決まっているのならば将来の不安(=後悔すること)は消失する。
「なるようになる」「なるようにしかならない」「ええい、ままよ」の境地である。
しかし、宿命や運命を認めてしまうと人はどこまでも怠惰や怠慢におちいってしまう。
どうせ未来は決まっているんだと努力しなくなってしまう。がんばらなくなってしまう。
やはりがんばったほうがいいと思う。ところが――。
がんばるということは宿命や運命を否定することだから、必然として不安が襲いかかってくる。
がんばっていると過去のあやまちを後悔しつづけなければならない。
親が許せない。親を見返すためにがんばる。たとえ成功しても不安は増加するばかり。
運命があるならば親を許すことができる。あまりがんばらなくなるが安心はたっぷりある。
自由を信じるのと宿命(運命)を信じるのはどちらがいいのだろう。
わかりやすく書き出すと以下のようになろう。

1.自由(過去の後悔に悩む、将来の後悔を脅える、努力家)=不安
2.宿命・運命(後悔しない、将来は神仏にまかせる、怠け者)=安心


これは西洋哲学者が考えに考え抜いた問題だろうが、
おそらくまだ「正しい答え」は出ていないと思う。
なぜならこれはどちらかをそれぞれが信じるしかない問題だからである。
是非を深く突き詰めたら答えはたぶん、
――「どちらも正しい」「どちらも間違い」「人間にはわからない」。

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