問題だらけ

みんなうっかりすると忘れてしまうが、だれもがうらやむ有名人も悩みを持っているのである。
悩みとは問題のことだ。
対人関係の問題、家族問題、経済問題、仕事の問題、病気の問題――。
大風呂敷を広げて視点を日本に向けても問題だらけである。
少子化問題、年金問題、社会福祉問題、消費税問題、格差問題、老害問題、子育て問題――。
われわれは問題に追いまくられている。
問題のないことに逆に不安になった人たちが取り組むのがいわゆる環境問題だろう。
あるいは自分の問題から逃亡したいがために
環境問題にどっぷり浸かっているのかもしれない。

現在のみならずむかしから問題ばかり解かされてわれわれは大人になったとも言えよう。
学校でなにをやっているかといったら与えられた問題に答えることである。
より難しい問題に正しい答えを書ける人ほど一流大学、一流会社に入ることができる。
社会に出てからの問題には正しい答えのようなものは存在しないが、
われわれは10年以上も学校教育で洗脳されてきているため、
どうしても問題には正しい答えがあるものだという思い込みから逃れることができない。

難問にあたふたしているときがピンチになろう。
この難問をどうしたらいいかと人は迷い、ときに寝込んでしまうことさえある。
だれかのピンチはだれかのチャンス。
難問をかかえた人に近づいてくるのが新興宗教や怪しげな占い師である。
当人がかかえる難問の正しい答えを教えてあげるからお金をくれと手を差し出してくる。
問題が難しければ難しいほど、この甘い誘惑にあらがえなくなるのは仕方がない。
どうしたら新興宗教や占い、スピリチュアル詐欺に引っかからないでいられるか?
ふたつの思い込みに気づけばいいと思う。
われわれは学校教育にある意味、洗脳されてきたのだから、その洗脳を解いたらいいわけだ。
学校教育によるマインド・コントロールとは――。
1.問題にはかならず正しいひとつの答えがある。
2.目のまえの問題はかならず解かなければならない。

東大卒で受賞歴ゼロの宗教ライターひろさちや氏は言う。
最近、改めてこの人の狂いっぷりにビリビリしびれている。

「問題を解決しようとすると、かえっておかしなことになりがちです。
それは、まさにアリ地獄にはまっていくようなもの。
解決しようともがけばもがくほど、問題がこじれて身動きができなくなってしまいます。
それならば、問題を解決しないほうが、どれだけ楽でしょうか」


「とはいえ、問題を解決しないまま生きていくのは難しいものです。
おそらくこれまでに、一度もその方法を教わったことがないからです。
そもそも世間で推奨されるのは、何か問題が起きれば
「それを乗り越えなさい」「解決しなさい」ということばかりですから、
「解決するな」と言われても最初のうちは戸惑うでしょう。
でも、「今起きていることは解決できないんだ」と思えるようになれば、
こんなに楽なことはありません。
起きている問題とともに生きればいいのです。
もし、その渦中で不安が自分の心に芽生えたならば、
今度は不安のままに生きればいい。
それを無理やり解決しようとするから、さらに苦しくなるのです」


「勉強しなさい」と言うから問題児はよけいに勉強しなくなる。
「働きなさい」と言うからよけいにだめんずは働かなくなる。
「お酒を飲まないで」と言うからアル中はよけいに酒を意識するようになる。
配偶者の性格を変えようと思うからよけいに夫婦喧嘩は激しくなる。
お金を儲けようとがんばるから変な詐欺につけこまれる隙ができてしまう。
しかし、では、そうだとしたら、いったいどうしたらいいのか?
東大卒のひろさちや先生!
人間はよりよく変わるべきだろう? 社会は進歩すべきだろう?

「答えは簡単、「別にいいじゃないですか、今のままで」。これだけです」

「わたしがここで言いたいことは、
問題が起きたときに先のことやこれまでの行いを考えて、
あれこれ悩みなさんなということです。
考えれば考えるほど深みにはまり、
「不安」の迷宮に迷い込んでしまいますよということです」


問題は自分で解決しようとせず自然に解決するまで待てということだろう。
どうしたらそんな余裕を持つことができるのか?

「問題を解決しようなんて思わないこと。
さらにいえば、問題を解決しない「智慧」を持つこと」


どうしたらそのような「智慧」を持つことができるのか?
ひろさちや先生は「智慧」を教えてくれはしない。
教えてもらおうというのは怠慢だと言う。
まだ若い人はみずから学べばいいではないか。

「若者たちは気の毒です。
いや、必ずしもそうは言えない。というのは、彼らは怠慢です。
教えてくれる者がいなければ、彼らはみずから学べばいいのです。
何を学べばいいか……? 宗教を学ぶのです。(中略)
けれども、勘違いをしないでください。
わたしは宗教団体に入れとすすめているのではありません。
宗教団体は、むしろ入らないほうがいいでしょう。
ヨーロッパのキリスト教徒が、
家庭にあって父親や母親からキリスト教徒としての生き方を教わる。
日曜日に教会に行って、神父さんや牧師さんから生き方を学ぶ。
それが宗教の学び方です。
残念ながら日本の仏教寺院は、そのような「宗教の場」になっていませんが、
お寺に期待できないとすれば、書物で学べばいいのです。
若者たちは怠慢です。
「損か得か」の物差しを超えた、宗教の教えを学ぼうとすれば学べるのに、
そういう努力をしないで、相変わらず「損か得か」の物差しでもって
この世の中を泳いでいこうとしています」


わかりやすい氏の文章をさらにわかりやすく要約してみよう。
1.問題の多くは「損か得か」のレベルの話である。
2.問題は解決を目指すとよけい苦しみが増す。
3.問題はそのまんま自然にまかせよう。
4.そのためには「損か得か」を超える宗教の「智慧」を持つことだ。
5.「智慧」はひろさちや先生の本を読んで自分で学ぼう。

この記事の引用は以下の書籍からです。
「けちのすすめ」
「世間の捨て方」
「仏教が教える人生を楽しむ話」

受験シーズンだが、いざ問題用紙を配られてもいっさい答えを書かず試験終了時間まで待つ。
こんなことができるのは狂人かよほどの天才くらいだろう。
わたしは宗教の開祖はみな精神病ではないかと疑っているが、ならばひろさちや先生も――。
いやいや、狂人ではなくある種の天才だとこの受賞歴ゼロの宗教ライターを仰ぎ見ている。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3610-20c85e06