「多」より「一」

野心あふれる若い人はデビューしたい、有名になりたいなんて思っているのかもしれません。
「野心のすすめ」とかいうベストセラーをバイブルのように何度も読み返したりして。
ぼくも先日ブックオフに落ちていたのでお目めキラキラさせて買い求めましたけれど、あはっ。
でもですね、有名になりたいという野心は「多」を求める欲望でしょう?
おっさんになってぼんやりわかったのは、
薄い「多」よりも濃い「一」のほうがありがたいんですね。
たとえいっとき有名人になっても、どうせ「多」はすぐ離れていきますもん。
だとしたら有名しか愛さない「多」なんかよりも、
無名にもかかわらず関心を持ってくれる「一」のほうがよほどありがたいのではありませんか。
ひとりの配偶者や友人、恋人のほうがその他大勢なんかよりよほどありがたい。
ひとりの家族のほうがその他大勢よりもよほどありがたい。
メジャーな賞を取った人が往来で自著を朗読してもだれも聞いちゃくれませんよ。
読むなんてもってのほかで、聞いてさえくれやしないでしょう。
「有名なだれだれさんが推薦してくれていま~す」と叫んだって、
その有名な人でさえ知らない人のほうが往来には多いこともありえます。
「多」を求める心は魔なのだと思います。本当は「一」を求める心でさえも。
人は世間の欲にもまれて生きているけれど、ひとり生まれ来ておなじようにひとり死に去る。
「人在世間愛欲之中 独生独死独去独来」(大無量寿経)
こんな無名ブログのくだらぬ文章でみなさまのお目を汚してはあまりにも申し訳ないので、
思わずお経という仏教における権威に頼ってしまいました。恥の上塗りです。ごめんなさい。

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