「正しい」の呪縛

お坊さんを自称する方が非公開コメントを3回もくださっているのですね。
非公開コメントですから、
やはり公開しちゃいけないんでしょうし、どうしたらいいんでしょうかね。
コメントでいちばん困るのが非公開コメントでしょう。
よくわかりませんが、たぶんお坊さんのほうが「正しい」と思いますよ。
だって袈裟をまとった剃髪のお坊さんと全身ユニクロのわたしが並んでいたとします。
ふたりが仏教の話をしていたら、
周囲の人は9割方お坊さんのほうが「正しい」と思うはずです。
「正しい」とはそういうことであります。
前回の記事で法華経なんたらと書いたのも、
その匿名のお坊さんが話題にしていたからなのですね。
あなたの考えも「正しい」、わたしの考えも「正しい」ではなかなか通らないのでしょう。
ならば、お坊さんが「正しい」、わたしが間違えているということにしておきましょう。

どうして人はこれほどまでに「正しい」にこだわるのか考えてみたんです。
わたしもそうですが、みなさんもけっこう「正しい」にこだわりますよね。
「おれは悪くない」「あたしは間違っていない」――。
こういう思考法はもしかしたら学校教育から来るのかもしれませんね。
なにせ小学校入学(6歳)から高校卒業(18歳)まで
10年以上も「正しい」ことを学校で教わるわけですから。
「正しい」答えを書かないと先生に叱られる世界にわれわれは10年以上もいたんです。
(中卒や高校中退の方はそのぶん洗脳教育から逃れられてラッキーではないでしょうか)

「正しい」ことを教わり、「正しい」内容を覚え、「正しい」答えを書く。
10年以上もこんなことをやらされたら、
どうしても「正しい」にこだわってしまうのでしょう。仕方がないことであります。
でもですね、あまり「正しい」ことに縛られていると息苦しくなりませんか。
そんなことも思うわけです。これが「正しい」かどうかはわかりませんが。
議論や論争は好きではないので、
匿名のお坊さんはできましたらコメントを控えていただけますと嬉しいです。
あなたの考え方はとても「正しい」と思います。平たく言えば、あなたの勝ちです。
万が一、若くて美貌をお持ちの尼さんでしたらメールをください。
リアルでじっくり話し合いましょう。
どうかわたしを打ち負かしてください――なんて書くとマゾみたいだなあ。

(追記)コメントを読み返してみたら一人称が「僕」でしたから男ですね。
すごいまじめないい人っぽいんで、意地悪く歪曲して記事にしちゃってごめんなさい。
でも、あなた、法華経を絶対正義と思っているわけでしょう……。
阿弥陀経も華厳経も般若心経も法華経もぜんぶ本当でぜんぶ嘘だとわたしは思います。
しかし、あなたがそう思う必要はまったくございません。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3595-e65130a4