コントロール願望

ある言葉を知ったことで世界の見方ががらりと変わるということがある。
たとえば精神科医の春日武彦氏の著作から教わったコントロール願望という言葉がそれだ。
長らくどうして総理大臣になんてなりたがる人がいるのかわからなかった。
都知事もそうだし、各種大臣もそうである。
そうか、そうか、コントロール願望だったのか。
あれはコントロール願望を満たすことのできる、うまみのあるポジションだったのか。
男が一般的に出世を求めるのは、
偉くなればそのぶんコントロール可能なものが増えるという理由からだろう。
女がやたら恋愛にこだわるのも、
恋愛を通じて相手をコントロールできるためと考えたら納得がいく。
出世もできず恋愛経験もろくにない男女でもコントロール願望を充足することができる。
冴えない男女でも自分たちの子どもならば、コントロールすることが可能である。

同時に人はコントロールされることを欲するという側面もあるのだろう。
というか、人生はどのようにしてコントロールから抜け出すかだ、と言うこともできよう。
我われの人生はコントロールされてばかりなのである。
まず生まれてくるのは親のコントロール下である。
学校に行けば教師にコントロールされるだろう。
子どもの不登校や自殺はコントロールのきつさにたまりかねた悲鳴と見ることもできよう。
家庭教師やコンビニ夜勤といった特殊例を除いてバイト先でも上司からコントロールされる。
たいがいの大学生は就活のとき、一流会社にコントロールされることを望むだろう。
上役のコントロールに忠実なものが出世できるのが、まあ社会常識だと思う。
社長になったらば、今度は顧客のコントロールに従おうとするだろう。
いちばん偉い総理大臣でさえ実は民意(国民の声)にコントロールされているのではないか。
恋愛はコントロールされるのを楽しむゲームと言えないこともないような気がする。
愛する喜びというのは、相手のコントロールにどれだけ従えるかと表裏一体だ。
より多く愛したほうが相手から振り回されることになる。

人間はつねに他者のコントロールの期待にさらされていると言えなくもないのではないか。
つまり、だれかからコントロールされないとなにをしたらいいかわからなくなる。
マスコミにコントロールされてはじめて、なにをしたらいいか決められる。
大半の人間は従うにしろ逆らうにしろ、わたしもふくめて親のコントロール下にある。
結婚したら相手からコントロールされるし、赤子ができたら泣き声にコントロールされる。
それは悪いものではなく、人間はコントロールされないと混乱してしまう。
新興宗教やブラック企業で嬉々として活動している人がいるのはこのためだろう。
とはいえ、あまりコントロールがきついと人はノイローゼになることがある。
三種類の人間がいるのではないか。
1.人をコントロールしたがる人(自分勝手)。
2.人からコントロールされたがる人(自分のない協調性がある人)。
3.コントロールしたくも、コントロールされたくもない人(変人)。
もちろん3つがひとりの人間のなかに微妙な色合いでもって共存しているのだろう。
自分が三種類のうちのどれが強いかを自覚しているだけでも生き方が変わるはずである。

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/3585-7e879fc7