「今朝の秋」

「今朝の秋」(山田太一/新潮文庫) *再読

→テレビドラマシナリオ。昭和62年放送作品。NHK。単発もの。
山田太一さんの代表作を改めて読み直してみると救いのない話だよな。
53歳の会社人間が末期ガンで余命宣告されているけれど、なんにもない。
女房はほかに男を作っている。彼は女とは縁がないということなのだろう。
なぜならむかし母親も男を作って家を飛び出していったのだから。
かといって、子どもたちもとくに自分を慕ってくれているというわけでもない。
この人、いったいなんのために生まれてきたんだろう。
気づいてはいけないことに男は気づいてしまう。

「フフ、まったく、なんにもありゃしない。
会社で私のしたことなんか、どうせすぐ忘れられてしまう。
子供たちはもう自分の人生に夢中です。
女房が別れたいといい出したら、私には、なにもない。
もうじき死ぬというのに、なにもない」(P200)


周囲も本人もみんな「本当のこと」に目を背けながらそれぞれ歌をうたう。
みんなの心はバラバラだが、だれもそれを認めないことで辛うじて場が成立している。
もうすぐ死ぬ男は必死に嘘にすがりつく。

「錯覚しそうだよ。家族っていいなって(おだやかにいう)」(P251)

錯覚でもしなければ死ぬにも死ねないのだろう。
本当は家族の心はバラバラなのに、ああ、家族っていいなと自分と周囲に嘘をつく。
「本当のこと」を言ってしまえば、
53歳の男にはなんにもないのではあるが、しかしそれでも――。
みんな「本当のこと」を知っているけれど、だれひとりそれを口に出せない。
口に出したら本当にそこでなんにもなくなってしまうからである。
人はこうやってごまかしながら年齢を重ね、最後にいたってまでおのれをだまし死んでいく。
たしかに彼の死にはなんにも意味はないが、
そんなことを言えば秋が冬になることにも意味はない。
秋が冬になることに意味があるのだとしたら、
我われにはわからないが男の死にもなにか意味があるのだろう。

(関連)「今朝の秋」
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