「大丈夫です、友よ」

「大丈夫です、友よ」(山田太一/「月刊ドラマ」1999年1月号」) *再読

→テレビドラマシナリオ。平成10年放送作品。フジテレビ。単発もの。
なんでこんなに山田太一さんが好きなのか自分でもわからない。
ちょっと、おい、いいかげんにしたほうがいいんじゃないかと自分でも思う。
このドラマに若いカップルが登場するのだが、会話のやりとりがおもしろいのである。
要は女が男に結婚を申し込ませようとしているのだが、とにかくおかしいのだ。
変なんだけど、ああ、いるかもというくらいの変で、変なところがいじましくて、いい。
こんな女の人いたら惚れちゃうよ、と思うから、
たぶん作者は自分の夢のようなものを書いているのだと思われるけれど。
とはいえ、人生は不公平だから、あんな美女(深津絵里)がこちらなど
相手にしてくれるわけがないのはわかっている。
つくづく人生は不公平である。作者もまた人生の不公平に敏感である。
東京で出世した藤竜也(浩司)が地元に戻ってきて
同級生だった井川比佐志(昭夫)と再会する。
設定ではふたりとも58歳。

昭夫「俺は人生の不公平ば、大げさにいえば、あんたに教わったとよ。
浩司「でかい話だな(と苦笑)」
昭夫「造り酒屋の次男坊で、頭よくて格好よくて金もあって」
浩司「(苦笑)」
昭夫「こっちは引揚げて来て、やっと親父が戸畑の町工場たい」
浩司「うん――」
昭夫「波折神社の脇で、お前、桜井直美とキスしたべ」
浩司「どうして?」
昭夫「見とったとよ。(場所に合せて台詞は変えるが)あそこのケヤキにおったとよ」
浩司「ほんなこつ?」
昭夫「一時、俺、イジめられとったけん、よう、一人で、あのケヤキに登っとった」
浩司「そうね」
昭夫「実のとこ、俺も桜井直美ば、なんと美しか娘やろて思うとった。
 あんなんとキス出来たら、命もいらんて、思うとった」
浩司「うん――」
昭夫「それが、あんたと来て、キスしよった」
浩司「うん――」
昭夫「なんで塚田の浩司ばっか、よか思いするんかて、哀しかいうより、
 ぶたれたようになって動けんだった」
浩司「昔の昔たい」
昭夫「その浩司が、東京へ出て、羽振りようしとると聞いて」
浩司「んにゃあ」
昭夫「久し振りで逢うてみりゃあ、こっちは、このざま、
 そっちはよかもん着て、時計はローレックスたい」
浩司「んにゃあ」
昭夫「相変わらず人生は不公平たい」(P102)


現実はどうなのか。相変わらず不公平なのか。
実のところ藤竜也は事業に失敗して死ぬつもりで帰って来たのである。
藤竜也の自殺企図に気がついたのは、井川比佐志の妻の市原悦子(良子)である。
この3人はみな同級生で市原悦子は少女時代、藤竜也に初恋をしていた。
市原悦子は藤竜也の身を案じてハウステンボスまでつきあってやる。
藤竜也は市原悦子のやさしさに胸打たれる。むろん、男と女の関係にはならなかった
翌朝、血相を変えて飛び込んできた夫の井川比佐志に藤竜也は事情を説明する。
自分は死のうと思って故郷に舞い戻って来たのだ。

昭夫「なんで死ぬんや」
浩司「なにもかも失うたとよ」
昭夫「なにもかもて――」
浩司「昭夫は、俺がよか思いばかりしよるというたが、そんな事はなか」
昭夫「どういうことや」
浩司「息子を亡くし、女房に死なれ、いまはもう倒産が目前や。
 なにより、気力を失うたつよ」
昭夫「――」
浩司「良子ちゃん(市原悦子)は、なんもいわんのに、俺が死ぬ気だっちゅうこと察して、
 止めようとして追いかけてくれたつよ」
昭夫「聞いとらん」
浩司「暇がなかったと。俺が、どこ行くか分からんもんで」
昭夫「察しン悪か。俺はすぐここがピーンと来たと」
浩司「良子ちゃんに、叱られたと。なんも死ぬことはなかと、止められたと」
昭夫「当り前や」
浩司「俺は、どん底や。お前の方が、余程幸せや」
昭夫「――」
浩司「人生――昭夫」
昭夫「うん?」
浩司「長い目で見りゃあ、案外、公平なもんたい」
昭夫「うん――」
浩司「いまは、こっちが、お前を羨んどる」
昭夫「んにゃあ」
浩司「よか女房たい」
昭夫「んにゃあ」
浩司「よか女房たい」
昭夫「何遍もいうな。また、心配になるやないけ」
  二人、笑ってしまう」(P119)


これは事実なのかそれともフィクションなのかという話なのである。
視聴者はこれを見て、ああ、そういうものかと慰められるはずだ。
そうよ、そうさ、「長い目で見たら人生は公平」になっているもんだ、ああそうだ。
しかし、ダメなやつはダメなまま、トップはトップのままというのも事実でしょう。
ドラマの話をすれば、だれだって井川比佐志の役よりは藤竜也の役を望むと思う。
女だって冴えないおっさんと、
いまは落ちぶれていてもローレックスをつけたダンディなおじさま。
ふつうなら藤竜也に惹かれるのではないかと思う。
このようにゲスなことをたんまり考えさせてくれるのが山田太一ドラマの魅力である。
顔が違う、頭が違う、育ちが違う、というのはどうしようもないことだが、
作者はそのどうしようもなさから目を背けない。
ドラマはそのどうしようもなさにこそ人間のすべてがあるというリアリズムによっている。
人間の高邁な思想や気高い精神を描くのではなく、
山田太一さんは好んでどうにもならない人間のどうしようもなさを丁寧に描写する。
「人は生まれながらに差がついている」どうしようもなさを直視する。
どうしようもないことはどうしようもないのだからどうしようもない。
ただ人はそのどうしようもなさをそれぞれに味わうことならばできる。
山田太一さんは「どうにかなる話」ではなく「どうしようもない話」を描く作家だ。
もちろん、多数の視聴者を相手にする商売だから、
最後に「希望の香り」くらいは残しておこうという大人としての気配りは持っている。

(関連)「大丈夫です、友よ」
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