「異形の日本人」

「異形の日本人」(上原善広/新潮新書)

→これもとってもいい本だった。著者は被差別部落の出身を自称しているが、
そのマイナスの出自をこれでもかとプラスに転化している。
被差別者でもないものが、解放同盟の本当のことを書いたら差別だとこれでもかと叩かれる。
いまの世の中では被差別者が偉いのである。
いまでもなお日本にはいろいろなタブーがあるけれど、なぜそこにみなが触れられないのか。
たとえば、部落とはなんの関係もないわたしがそこに触れたら偽善くさくなってしまうのである。
この点、才能ある著者はノンフィクション作家としてもっとも恵まれた環境にいたと言えよう。
被差別部落出身ならなにをどう書いても
差別だと良識的な多数派から攻撃されることがなくなる。

日本の奇人変人をテーマにした本書はどれも記憶に残るエピソードだったが
(申し訳ありませんが大概の本はすぐに内容を忘れます)、
もっとも印象深いのは手足が動かない身体障害者の若年女性Nの性を描いた章だ。
重度身体障害者のうら若き女性Nは、
美しい悪をやらかしているのである(残念ながらもうお亡くなりになっている)。
なんでも主治医の男性を性的暴行の罪で訴えたそうである。
本書でこのエピソードがいちばんおもしろかった。
わたしのこれまでの人生体験、読書体験からしたら、あくどいのは障害者のNだ。
Nは身体障害のみならず、精神障害も持っていたのではないかと思われる。
(根拠は高校生のときに自殺未遂をしており、そのときの詳細をまったく覚えていない)
さてさて、手足が動かない身体障害者なのにNはヤリマンくさいのである。
四肢不自由なのに、にもかかわらず、男性からもてることを本書でも自慢している。
具体的には、男性経験が豊富なことを嬉々として語っている。
おそらく、主治医の意思とされる性行為もNのほうから誘ったと推測される。
そのくせ医者から性的暴行されたと弱者の立場を利用して障害者のNは法的に訴えた。

しかし、現実、事実、裁判の判決はどうなったのか。
弱者である女性で身体障害者のNが間違っているはずなかろうと、
精神も身体も健常なお医者さんに非があると裁かれたのである。
このときどれほどNは嬉しかっただろう。
人生で恵まれた成功者で強者の医者を、
弱者の自分がコントロールして人生の奈落に引きずり下ろしたのだから。
そうだ、そうなのだ。身体障害者だからといって、かならずしも善人にならなくてもいい。
Nのように何人もの男を誘惑して、地位のあるものの足を引っぱってもいい。
それは、権利だ。弱者の権利だ。被差別者はなにをしてもいい。
著者はNのシンパという立場で文章を書いているが、勘の鋭い人のようだから、
おそらく本当のことをなかば察知しながら高身分の医者を弾劾することを書いたのだと思う。
わたしは著者も、その取材対象の
身体障害者で精神障害者であった被害妄想過剰なヤリマンのNも大好きである。
一回きりの人生、なにをしたっていいのだと思う。型破りでいい。型なんか破ってしまえ。
名著「異形の日本人」で紹介される人物はみなみな型破りである。

「型破りな生き方で有名になった二人ともが路地(=被差別部落)の出身であるのは、
路地贔屓(びいき)が多少あるとしても、私は決して偶然ではないと思う。
突飛な者にさせるドグマのような何かが、彼らの中には確かにあった。
それが「路地」そのものであったように思う。
例えば、世間というものに対してある種の虚脱感を抱きながら、
逆に異常なほどの執着を示している。
この矛盾が、彼等の奇行と実力の原点のように思えてならない。
世間に対する虚しさは、生まれゆえ悔しい思いをしてきたひねくれた気持であり、
世間に対する執着は、出自はどうあれ社会に認められたいという怨念である」(P147)


言うまでもなく、著者もまた「異形の日本人」なのだろう。
だいぶまえに読んだこの本の内容を忘れることなくほとんど覚えていたわたしも、
あるいはそうなのかもしれない。めったにないすぐれたノンフィクションを読んだ。
著者にはこれからもいい本を書いてほしい。期待しています。おもしろい本はいい。

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