「僧侶入門」

「僧侶入門」(平野隆彰/東方出版)

→お坊さんというのは、いまのまま世襲でいいのではないかと本書を読み思う。
やはりどの世界も理想と現実というものがあるようである。
寺の子どもは小さいころから現実を知っているから家業を継ぎたがらないらしい。
いっぽうでお坊さん志願の部外者は、生臭い現実を知らないわけである。
制度上、だれかに葬式の司会を担当してもらわなければならないのならば、
いまのまま世襲のお坊さんに死の引導をしてもらうほかないのではないか。
お坊さんで羽振りがよく女遊びをしているのなんて京都の僧侶くらいらしい。
ほとんどのお坊さんが医者の実情とおなじであまりいい思いをしていないようだ。
「なんだかな、しかし、だれかがやらんとな~」という感じでやっているっぽい。
理想に燃えたようなやつが新規参入してきたら、
わたしが坊さんでもいじめてやりたくなるだろう。現実はそうではないと。

だいたい坊主なんてリアルな死をあいまいなままにしておくために
存在しているようなものなんだから、少しくらいのやんちゃは許そうではないか。
医者ではなくお坊さんこそ本当に死に不感症になってしまう因果な商売とも言える。
だれかが僧侶役を演じなければならないのだから、
せめてお坊さんの世界くらいは世襲を認めて、
寺の息子には仏教的宿命を体現してもらおうではないか。
一般人が僧侶になんてあこがれるものではなく、
むしろ理想の世界なんてどこにもないことを一刻も早く知るべきである。
どうしても清く正しい修行をしたいのなら刑務所にでも行け。
僧侶をふくめ、きっと甘い汁を吸っている人間なんて日本中探してもほとんどいないのだろう。
葬式仏教は浅ましいけれど、人間、正しいことばかりでは生きられないし、
まあ、そんなもんと割り切るしかない。

みんなが葬式にお坊さんを呼ばなくなったらおもしろいが、
人目や世間体というものがある以上はそうもいかないのだろう。
どうでもいいわたしの話をすると、死亡後は通夜、葬式、納骨、墓参り等すべて行事は不要。
もししたい人がいたら勝手にするのは構わないというスタンスだ。
やりたいなら創価学会の友人葬でもキリスト教式でも、ああ鳥葬でも構わない。
どこの墓に入ってもいいし、ゴミ捨て場に放置されてもOKだ。どうせ死んでいるんだから。
なんで葬式や戒名なんかにこだわる人がいるのかさっぱりわからない。

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