「修験道の本」

「修験道の本」(学研)

→いかがわしいもの、怪しいものが好きでたまらない。
インチキくさいものに目がないのである。うさんくさいものをこよなく愛している。
日本仏教でいちばんまがまがしいものは山岳修行をする修験道ではないかと思う。
本書は写真が多く掲載されているのがよく、行者さんたちがじつにいい顔をしているのだ。
あまり大きな声では言えないが、きちがいの顔をしている人が複数いらっしゃる。
死霊がとりついた女性行者のただならぬ雰囲気は、まさにキでたいへん好ましい。
見たことはないが拝み屋さんというのは修験道の系譜らしい。新興宗教っぽくてよい。
考えてみたら修験道は密教、つまりもっとも新しい仏教である。
言い換えたら、もうほとんど釈迦とは関係なくなった仏教が密教ということになる。

心を病んだときは精神科やカウンセリングもいいが、
ときに修験道の怪しげな行者さんにお金を払って相談してみるのもいいかもしれない。
なぜなら修験道はキのにおいがするから、マイナスとマイナスを掛け合わせるようなもので、
意外な効験があるのではないかと予想されるからである。
実際むかしはきちがいの人を、
修験道と縁のある天狗さんたちに面倒をみてもらっていたのではないか。
天狗というのは明らかにいまで言うところの精神病患者だと思う。
トランス状態に入れる天狗さんはときに祭りなどで一定の役割を務めたのではないか。
あちらの世界に行ってしまったのが狂人なのだから、
こちらからあちらに連絡を取りたいときには、そういう人に頼るしかないことになろう。

本書で知った林実利という明治時代の荒行者がよかった。
彼は大峰山で通算16年の修行を送り、最後は那智の大滝に飛び込み自殺をしたという。
いや、自殺ではなく捨身入定である。周辺の住民からたいそう尊敬されていたらしい。
狂ったやつを崇めるような態度を我われは忘れてはならないと思う。
もっとも狂った仏教、修験道の世界は狂人をおおらかに肯定する革命精神にあふれている。
いまの日本に欠けているものゆえ、こんなに惹かれるのだろう。
修験道の行者などへたをするとお笑いの一歩手前なのである。
行者さんに敬意を示すものがいないと修験道は成立しないということだ。
笑ってはいけないのである、修験道を笑ってはいけない。畏れなければならない。
この世を超越したものに恐れを抱かなければならない。

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